ナーシーズ・サンバ 看護しちゃうヨ♪
嵐山之鬼子(KCA)
0.プロローグ
駅前繁華街……から見て裏道にあたる通りの端っこで営業しているバー“TranceBalance”。
店構えはちと小さめだが、オーナーの趣味か内装が古き良きジャズ喫茶を思わせる作りで、店内に流れるBGMもジャズやブルース、あるいはイージーリスニングなどが主体の、流行に真っ向からケンカを売った店だった。
もっとも、だからこそ懐古趣味の変わり者や、ちょっと通ぶりたい人間に支持され、そこそこの客入りを得ている。
そんな店だから、客層も落ち着いた品の良い(あるいはおとなしい)人間が多いのだが……。
「ふぅ~~、ゥィック!」
酒場である以上は、飲み過ぎたり、悪酔いしたりする人間は、やはり不可避なのである。
「もう、詠くん、飲み過ぎだよ?」
連れの女性の呆れたような言葉にも、青年はボンヤリした視線を返すばかり。
この酔っぱらってクダ撒いてる青年──詠一(えいいち)の方は、実はとある総合病院に勤める新米医者で、しかも院長の息子だったりする。
金持ちのボンボンで職業が医者となると、キザで鼻持ちならないハンサム……というのが物語なんかのお約束だが、詠一の場合は生憎それにはあてはまらない。
顔立ち自体はそこそこ整っているが、背が低く童顔なため、20代半ばになった今でも学生(それも大学生ではなく高校生)と間違われることもしばしばだ。
性格も、甘ったれなところは確かに坊ちゃんっぽいが、強引とかプライドとか言う言葉とは縁の遠い、むしろ他人とブツかることを極端に忌避するヘタレといってよいタイプだ。
対して、女性──英美(えいみ)の方は詠一と同い年の幼馴染で、現在は同じ病院の小児科の婦長をしている。
癖の強い髪を首筋にかかるくらいのショートカットに切り揃えた、意志の強そうな瞳が印象的な女性だ。女性としては長身で、容貌も可愛いというよりは美形あるいはカッコいいと評した方が適切だろう。実際、看護学校時代は後輩にモテモテだった。
ふたりは幼稚園の頃からの同い年の幼馴染で、高校までは同じ学校に通っていた。と言っても、色恋めいた関係ではなく、どちらかと言うと「強気で優等生な姉貴分と弱気で地味な弟分」と評した方がよさそうな関係だったが。
成績に関しても、英美が3年間学年首位だったのに対して、詠一はどうにか上の中という程度だったのだ。
高校卒業後、英美はそのまま看護学校に入り、その後正看護師の資格を得て、詠一の家が経営する病院に就職。
一方、詠一は、何とかかんとか地方の大学の医学部に滑り込み、そこでの苦心惨憺の末、意外(?)にも医師免許取得に成功し、余所でのインターンを経て、今年実家の病院に晴れて医師として帰って来た──と言うワケだ。
このふたり、決して仲が悪いワケではない(むしろ男女の垣根を越えて良い)のだが、互いが互いに複雑なコンプレックスめいたものを胸中に抱えているのも事実だった。
「はぁ~、そりゃ、勤め始めたばかりで仕事に慣れてないから、ストレスが溜まってるのはわかるけどね」
溜息をつく女性の言葉の何かが琴線に触れたのか、青年はすわった目付きでブツブツと愚痴を垂れ流し始めた。
女性の方も最初は酔っ払いの言うことだからと「ハイハイ」と適当に聞き流していたのだが、それが10分以上続くと、さすがに堪忍袋の緒が切れたらしい。
「いい加減にしなさい! 詠くん、アンタ、どれだけ自分が恵まれてるか、わかってないの?」
高校始まって以来の秀才と呼ばれ、また本人にも密かに自負があったにも関わらず、金銭的な事情で医大への進学をあきらめ、看護師への道を進むことに「妥協」した太田英美。
「なんだよ、それなら僕なんかじゃなくて英美さんが医者になればよかったんだよ!」
対して、自分に医者は向いていないと思い、どうせ医療に携わるなら看護師の道の方が良かったと思いつつも、家庭環境がそれを許さず、結果的に医者に「なってしまった」初瀬川詠一。
互いが本音を隠さず話せば衝突は必至だったと言えよう。
酔いに任せた醜い口論が始まるか……と思いきや。
「ふむ。それでは、おふたりが立場を交換してみると言うのはどうでしょう?」
カウンターの内側でグラスを磨いていたはずの“TranceBalance”のマスターが、ふたりの前にコトリとグラスを置いたことで、気勢が削がれた英美たちは口をつぐむ。
「立場を…交換?」
いくらか理性が残っていた英美と異なり、ホロ酔いを通り越して潰れる手前まで来ている詠一は、ボンヤリとマスターの言葉を繰り返した。
「ええ。隣りの芝は青く見えるもの。一時的にお互いの立場になれば、自分が羨望していた相手の立場が、それほど気楽なものではないと思い知ることができるでしょう」
「そんなコト、できるワケが……」
「それが可能なんですよ」
英美の否定をさえぎるようにマスターが言葉をかぶせ、自信ありげに片目をつむってみせる。
「そちらに今お出ししたカクテルを、ご両人が半分ずつ口にすれば、たちまちおふたりの「立場」が交換されます。御二方とカクテルを作った私以外の人には、太田さんが初瀬川さんに、初瀬川さんが太田さんだと認識されるようになるんですよ」
「そんな馬鹿な。マスターの冗談でしょ」と否定する一方で、英美の心の中で「それがもし本当なら……」と期待する気持ちがなかったと言ったら嘘になるだろう。
考え込む英美を尻目に、すっかり酔いの回った詠一が、「そりゃいいや、ハハハ!」と珍しく大胆に躊躇いなくカクテルグラスの中味を半分ゴクゴクと飲み下す。
「ヒック……これで、あとはひでみさんのばんれすよ~」
得意げな詠一の表情を見た英美は、引っ込みが付かず、自らもグイッとグラスの残りを飲み干した。
「それで、マスター、このあと……」
そう言いかけたところで、英美の意識は途切れた。
* * *
次に意識を取り戻したのは、“TranceBalance”の営業時間が終わる、そろそろ看板という時間だった。すでに、ふたりのほかに客は残っていない。
「え、ヤダ、うそ。私、あのまま潰れちゃったの!?」
それほど度の強いカクテルだとは思えなかったのだが……。
「ええ、その通りですよ、英美さん──いえ、“英一”さんとお呼びするべきですかね」
マスターの意味ありげな視線を辿り、自らの身体に目を落とした英美はハッとする。
なぜなら、そこには見覚えのある色合いの高価なアルマーニのジャケットとスラックスを身に着けていたからだ。
(まさか、私と詠くんの身体が入れ替わった!?)
慌てて胸元に手をやったところ、幸いにして(あまり大きくないのが悩みの種ではあるが)乳房の存在が感じ取れたのでホッとする。おそるおそる股間を探ってみたところ、こちらも女性のままだった。
ふと傍らを見れば、先程まで自分が着ていたはずのヴィヴィフルールのレディススーツをだらしなく着崩した詠一の姿があった。
胸の膨らみがほぼ皆無(僅かな盛り上がりはたぶん、寄せて上げるブラの影響だろう)なことから、こちらも身体は男のままのようだ。
「ちょっと、詠くん、起きなさい。マスター、いくら何でもこんな悪戯……!」
ヘタレな幼馴染を揺さぶり起こしつつ、マスターに抗議する英美だったが、マスターは慌てず、身分証を確認してみるように言う。
英美のジャケットの胸ポケットには、「初瀬川英一」名義の免許証が入っていた。貼られた顔写真は、髪を短く刈り込んだ英美そのものだ。ふと頭のあたりが随分さっぱりしていることに気付く英美。どうやら、この写真同様の髪型になっているようだ。
まだ寝ぼけ眼の詠一が傍らのハンドバッグを探ると、そこには「太田詠美」名義の身分証が入っていた。よく見れば、かなり寝乱れてはいるものの、今の詠一の髪型はさっきまでの英美のものに違いない。
混乱してすっかり酔いも醒めたふたりに、マスターは「ご覧の通り、おふたりの立場を交換しましたよ」とニヤリと笑う。
「ま、まさか、本当にこんなコトができるなんて……」
「もしかして、ずっとこのままなんてことは……」
蒼い顔をするふたりを「心配無用」とマスターはなだめる。
「今日はもう材料がないので無理ですが、来週あたりにもう一度おふたりでご来店いただければ、同じカクテルを作って差し上げますよ。それを飲めば元の通りです」
元に戻れる方法があると知って、ようやくふたりは安堵する。
「先程も言った通り、基本的に、今のおふたりの立場は完全に入れ替わっています。ですから、元に戻るまでは太田さんは初瀬川さん、初瀬川さんは太田さんとして行動してくださいね」
最後にそう言うと、「そろそろ看板ですので」とマスターはふたりを店から追い出したのだった。
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