第3話:見えない境界線

第3話:見えない境界線


深夜の町工場、アークエッジ・スペースの本拠地には、焦げ付いた半田の匂いと、安物のインスタントコーヒーの香りが重苦しく沈殿していた。


「……おかしい。計算が合わねえぞ」


ゲンさんが、油で汚れた手で何度もモニターを叩く。彼が丹精込めて組み上げた二号機『流星』の高度維持システムが、目に見えない「壁」にぶつかったかのように不自然な減速を見せていた。


「ゲンさん、叩いても直らないよ。これは物理的な故障じゃない」


アルが眼鏡を指で押し上げ、青白い顔でコンソールにかじりつく。彼の瞳には、魔法回路上でうごめく「歪み」が映っていた。 「高度百キロ……いわゆる熱圏の入り口、宇宙(そら)のエッジだ。ここで、僕たちが使っていないはずの魔法エネルギーの干渉が、信じられない濃度で検出されている」


福代は、窓の外に広がる墨を流したような夜空を見上げた。肉眼では平和に見えるその場所で、今、何かが起きている。


「アル、干渉の正体は?」


「……ノイズだよ。でも、ただのノイズじゃない。誰かが意図的に撒き散らしたゴミ、いや、九条財閥が捨て続けてきた『魔法廃液』の残滓だ。それが大気の層にこびりついて、衛星の進路を歪めている」


「九条のゴミ……。あいつら、宇宙まで汚してやがんのか」


ゲンさんが吐き捨てたその時、モニターの波形が突如として跳ねた。スピーカーから、鼓膜を突き刺すような鋭い高周波の音が鳴り響く。


「うわっ、なんだ!?」 アルが耳を塞いで叫ぶ。その雑音の合間に、微かな、震えるような声が混じった。


『……聴こえる……? ……逃げて……そこは……』


氷を素肌に押し当てられたような、冷たくて透き通った声。福代の心臓が、ドクンと大きく波打った。かつて自分を宇宙へと導いた、あの銀髪の少女の気配だ。


「セラ……? セラなのか!」


福代がマイクを奪い取るようにして叫ぶ。ノイズが激しくなり、アルが「回路が焼き切れる!」と悲鳴を上げたが、福代は構わなかった。


『……福代……警告……です。このまま魔法の境界(エッジ)を越えないで。今、宇宙は……吐き気を催すほどの毒に満ちている……』


「毒だって? 一体どういうことだ」


セラの声は、深い悲しみに沈んでいた。 『地上の人々が魔法を享受すればするほど、その代償として精製された「淀み」が宇宙へ捨てられる。九条財閥はそれを隠しているけれど……月面から見れば一目瞭然です。宇宙という巨大な生態系が、魔法エネルギーの過剰摂取で壊れ始めている』


福代の脳裏に、九条財閥が誇らしげに掲げていた「魔法通信網」の図が浮かんだ。美しく輝くその糸は、実は宇宙という肺を塞ぐ粘着質な網だったのだ。


「私たちが作っている『純科学衛星』なら、その生態系を壊さずに済むと思っていた。魔法を使わないんだから」


『……いいえ。あなたが放った「矢」が、その汚染層を刺激してしまった。今、宇宙の免疫反応が起きようとしています。九条の捨てた「魔法デブリ」が、あなたの衛星を標的として認識した……!』


「何だと!?」


アルが悲鳴に近い声を上げる。 「社長、レーダーを見ろ! 衛星の周囲に、熱源のない『塊』が急増している。質量はないのに、重力干渉だけがある。……これは、幽霊(ゴースト)だ!」


「ゲンさん、衛星の姿勢制御を最大出力に! アル、科学回路の予備をすべて起動しろ!」


福代の指示が飛ぶ。プレハブの床が、見えない振動でガタガタと震え始めた。 モニターの中の二号機は、自分よりも巨大な、青白く光る不定形の塊――魔法のカスが固まって意志を持ったかのような「デブリ」――に囲まれていた。


「クソッ、こいつら、衛星を喰うつもりかよ!」 ゲンさんの拳が震えている。 「魔法なんて使わねえ、清らかな機械に、なんでこんな薄汚ねえ呪いが降りかかってくるんだ!」


「……それが、境界線のルールなんだ」 福代は歯を食いしばった。 「九条は、自分たちの富を維持するために宇宙をゴミ捨て場にした。そして、そこを掃除しようとする者や、新しいルールを持ち込もうとする者を、そのゴミを使って排除する。……セラ! どうすればいい、この『淀み』を抜ける方法は!」


通信の向こうで、セラが祈るような声を漏らした。 『……共振、させてください。魔法に対抗するのではなく、宇宙の本来の「拍動」を、衛星から放つのです。科学とは、魔法という幻想を剥ぎ取るための真実……その真実の音を!』


「アル、聞こえたな! 全衛星の水晶発振器を、宇宙背景放射の基本周波数に同期させろ!」


「正気か!? 回路に過負荷がかかって、数千万の衛星がパァになるかもしれないんだぞ!」


「やれ! 宇宙を汚す嘘(まほう)に、俺たちの真実(かがく)をぶつけるんだ!」


アルの手が、電光石火の速さでキーボードを叩き伏せる。 「……同期完了。……出力、最大!」


その瞬間、モニターから光が溢れた。 衛星『流星』から放たれたのは、目に見える閃光ではない。純粋な、物理法則の結晶としての振動波だった。


粘着質な魔法のデブリたちが、その振動に触れた瞬間、パリンとガラスが割れるような音を立てて霧散していく。 福代の鼻腔を、オゾンのような焦げた空気が突き抜けた。モニターに映る宇宙が、一瞬だけ、本来の、魔法に汚される前の深い紺碧を取り戻したように見えた。


「……消えた」


ゲンさんが膝をついた。 レーダーから反応が消え、二号機は再び静かに、滑らかな軌道を描き始めた。


「助かったのか……?」


アルが呆然と呟く中、再びノイズ混じりの通信が入る。


『……見事でした、福代。でも、これは始まりに過ぎない。九条は今、あなたを明確な「敵」と認識したはず。彼らにとって、魔法の淀みを払うあなたの光は、ビジネスモデルを破壊する不都合な真実だから』


「分かっているさ。……でも、セラ。君のいる月まで、必ずこの道を繋いでみせる」


『……信じて……います。でも、気をつけて。次は、目に見える「牙」があなたを襲う……』


通信が途絶えた。 静まり返った工場に、機械の排熱ファンの音だけが虚しく響く。


福代は、自分の手が汗でびっしょりと濡れていることに気づいた。 恐怖ではない。 武者震いだった。


「ゲンさん、アル、恵」 福代は、仲間たちの顔を一人ずつ見つめた。 「今のを見たか。九条の魔法は、宇宙を殺している。僕たちが作っているのは、ただの衛星じゃない。宇宙を浄化し、人々に取り戻すための『メス』だ」


「……高くつくぜ、この仕事は」 ゲンさんが苦笑しながら、新しいコーヒーを淹れ始めた。その手は、もう震えていなかった。


「最高だ。魔法使いどものインチキを、物理の教科書でぶん殴ってやる」 アルが不敵に笑う。


「社長、九条財閥の法務部から、衛星通信の干渉に関する『抗議書』が届き始めています。展開が早いですね」 恵が事務的に、だがどこか楽しそうに報告した。


「ああ、望むところだ。見えない境界線を越えたなら、次は正々堂々と表舞台で戦ってやろうじゃないか」


福代は、夜明けの空を見上げた。 そこには、数千機の科学衛星が、魔法の霧を払いながら、真実の網を編み上げる未来が見えていた。


第4話「九条の牙:宇宙海賊の襲来」へ続く。


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