有象無罪

 新しい法律が出た。

「絶対多数決制」と言うその新たな法律は、字の通り、何事においても多数決での判断を優先すると言う物で、刑事事件の裁判など、様々なものに取り入れられた。

「私」は騒がしい朝の教室の中、机に顔を伏せ狸寝入りをしながらも、周囲の話し声に自然と耳を傾けていた。

 前までもセンセーショナルな事件などが、この時間の主な話題だったが、この法律が決まってからは少し違う。

「ねぇねぇ、この事件どっちに投票した?」

「えー、私は無罪かな」

 おそらくインターネットの特設サイトを見て、やいのやいのと騒いでいる声が聞こえてきた。

 人々のこのサイトからの投票により、その事件の判決が決められるのだ。

 この多数決を用いた制度は一見すると完璧な民主主義の様にも思えた。

 世の中には、側から見れば理不尽だと思うような判決や、状況を鑑みると、一概に法律がそう定めているのだから悪だ、と白黒はっきり付けれない事例も存在する。

 そう言う人々が救われたと言う側面は間違いなくあるだろう、だが――――――

「あの、『椿姫』だもんねぇ」

「どうせまた無罪でしょ」

「うんうん、だって今回殺されたのも汚職政治家って噂だし」

 椿姫、それはここ最近聞かない日は無いと言うくらい、この話題の中心人物だった。

 何でも、もう十人ほど殺害しているが、毎回のこと投票により無罪になると言うのだ。

 理由は様々だが、その殺害のターゲットが世間の嫌われ者や、悪事を働いた人物であること、そして公開された彼女本人の顔写真があまりにも美しすぎたこと、そんな理由だった。

 この多数決の制度に人々が馴染み始めると、もはやそれはコンテンツとしてエンターテイメントと化してしまっていた。

 現にその「椿」と言う少女はまるでアイドルやヒーローの様に持て囃され、名前に姫までつけて呼ばれている。

 私はこの世間の薄寒い風潮を受け入れる事が出来なかった。

 私はどんな事件であれ、投票などしない。

 この気味の悪いイベント毎に参加するつもりなどなかった。

 ふと、顔を上げるとクラスメイト達が醜悪な笑顔でスマートフォンを覗いている様に見えた。

「あーあ、私の嫌いな人も殺してくれたらなぁ」

 同級生が冗談めかしつつもそう笑っているのが目に入った。

 事件との現実的な距離感は身近になったと言うのに、心の距離感は酷く離れてしまった様に私は感じた。


 放課後、家路を辿る中でもその多数決制度の影は色濃く落ちていた。

 街のモニター、新聞、会話……それらの全てに私は辟易としながら、人気の少ない住宅街に差し掛かった時だった。

 ぴちゃり、と水たまりに足が踏み入れた。

 水……いや、そうではない。

 それは真っ赤な色をしており、鮮烈な臭いを発していた。

「血……?」

 思わず出た言葉だった。

 脳みそがそれを理解した瞬間に途端に背筋が凍りつく。

 本当に驚いた時というのは声など逆にあげれないもので、私は口元を手で押さえつつも恐る恐るその血溜まりの水源を探ろうと視線を辿らせる。

「あ、こんばんわ……」

 一人の少女がそこには立っていた。

 黒いセーラー服と、同じ色をした艶やかな長髪は血に塗れており。赤黒く鈍い光を放つようだ。

 少女は私に気がつくと、まるで近所の人に挨拶を交わすような、そんな雰囲気でそう言った。

 その手には刃物が握られていた。

「つ、つばきひめ……!」

 その端正な顔立ちを私は知っていた。

 多数決に関わる事は無いと避けて生活している自分でさえ、一目で認識できる程度には彼女は有名人だった。

 私の思わず口から出た言葉に、少女……もとい椿は少し苦々しい顔をした。

「その呼び方、好きじゃあ無いんですよね」

 あまりにも日常会話でもするような、そんな様子に私が言葉を失っていると、少女は一瞬考える素振りを見せたのち「少しお話ししませんか」と愛想の良い笑みを浮かべた。


 恐怖で頭がおかしくなりそうになりながらも、私は椿についていき、古びたアパートの一室へ招かれた。

 拒否したかったし、今すぐに警察に駆け込みたい気持ちだった。

 彼女は「そんなに怯えないでくださいよ」とは言うが、私からすればその手に持った刃物で脅迫されているような気分だった。

 妙な行動を起こせば殺される、そんな嫌な想像ばかりが浮かぶ。

「どうぞ」

 そう言われながら入った部屋は狭いワンルームで、彼女の住居であると言うことが察せられた。

 私は何をされるのだろう、口封じに殺されるのだろうか、先程、証拠を隠そうとするでもなく道端に放置された死体が脳裏をよぎる。

 あんな風になるのだろうか……そう考えていたところ、彼女は「かけてください」と言うと、小さなテーブルの上にお茶を入れて置いた。

 それから、彼女の口から発せられた言葉を理解するのに私はしばらくの時間を要した。

 彼女は自分が世間ではどう扱われているのかと聞いてきたり、この多数決制度についてどう思っているかをひとしきり聞いた後に俯くと、呟くように言った。

「私、本当は死にたかったんです」

 その言葉には黙っていた私は思わず「え……?」と声を漏らしてしまった。

「けれども、自殺する勇気もなくて、司法に殺して貰おうと思いました」

 椿は窓の外を見やりながら言った。

 隣に立つビルの影に太陽と空は阻まれており、日当たりの悪い窓だった。

「だけど、どうせ死ぬなら、私は何かの役に立ちたかった」

 窓越しに灰色の壁を見つめながら、椿はそう言う。

「私が生きて、何か良いことがあるんだって、思いたかった……」

 そこまで聞いて、何となく彼女の行動原理に想像がついた私は、まだ先を続けようとする言葉を遮って言った。

「それで、こんなことを……?」

 こんな事、と言うのは彼女が繰り返す、この「私刑」の様な殺人を指したつもりだった。

 だから、悪人や評判の悪い人を殺していると言うのだろうか。

 私は、死ぬべき人間は居るとは思う、だが殺して良いとは思わない。

 そんな思想の持ち主だ。

 それが顔に出ていたのか、椿は小さく頷いた。

「そうして、世の役に立って私は死刑になれるはずでした。けれど……」

 その言葉の続きは聞かずとも何となく察する事が出来た。

 けれども、世の中はそれを許さなかった。

 彼女は祀あげられるままに、世の中のヒーロー……

 現代の人斬りとなってしまったのだ。

 どこか遠い目をしたこの少女に、私は少しだけ恐怖感が薄れているのを感じた。

「みんなの期待に応えたいんです、誰もやらないのなら私が……私は死んだって構わない、もう何度も次で最期だと思って人を殺してきました」

 世の中は彼女を絞首台に送ることを良しとしなかった。

「さっき、君が殺していた人って……?」

「あの人は、薬物の密売人です。何人もの人を騙し、お金を取り立て、けれども今の今まで逃げ延びてきました」

 そう彼女は言った。

 それが本当ならば、彼女によって救われた人がまた沢山出るという事だろうか。

 そして、またその真意とは裏腹に功績は讃えられ、彼女は投票によって無罪となるのだろう。

「……それをどうして私に?」

 ふと、生じた疑問を彼女にぶつけると、椿はこちらを少し見た後に、黙り込んだ。

 言葉を探しているようだった。

「どうしてでしょうね。もう、疲れちゃったからでしょうか」

 そう言い放つ彼女は、世の中で語られる有名人とはかけ離れた、寂しそうな一人の人間に見えた。

「何度も自分で死のうと思いました。それでも、夜、布団に入ると声が聞こえてくる気がするんです。次はアイツだ、アイツを殺さなきゃって」

「…………」

私のような普通の人間に、その精神状態が分かるはずもなく、かける言葉が見つからずに私は沈黙してしまった。

「私にしか出来ないことなのかもしれない。それなら、私がやるべき事なのかもしれない、そして世間も私をそう求めている」

 椿は妙にゆったりとした動作でカップに唇をつけると、一息ついた。

「……そんな風に悩んでいるところ、今日貴方と出会いました」

「私と……?」

「別に、誰でも良かったんだと思います。ただ、本当の私を誰かに知って欲しかった……きっとそれだけなんです」

 確かに、目の前のこの少女は「椿姫」と呼ばれ語られる様なヒーロー像とはかけ離れていた。

 そこに居たのは、ただ世間からの期待に応えようと自分を追い詰めている一人の少女のように見えた。


 それから暫くして、私は椿の部屋を出た。

 特に危害は加えられなかった。

 去り際に彼女が笑いながら「清き一票をお願いしますね。勿論、有罪の方に」と笑いながら私を見送ったのが印象的だった。


 翌日、教室では、やはり昨日の椿の殺人の件で話題は持ちきりになっていた。

 今回、殺害された人の悪評と、やはり彼女こそが真の現代における法の執行人だと言う声が嫌でも耳に入ってくる。

「きっと、椿姫は正義感と芯の強さを持つ人に違いない」

 そんな無責任な声が聞こえる。

 私は昨日の彼女の様子を思い出しながら、それは違う、と思うだけで言えずにいた。

 数年ぶりにスマートフォンで投票のサイトを開き、今回の事件の多数決の投票ホームを見る。

 まだ、発表は無いが、きっと今回も彼女は無罪になるのだろう。

 画面に映る無機質な「無罪」「有罪」の二文字を、やはり私はいつまでもタップできずにいた。


 放課後、もう一度だけ彼女と話そうと住宅街を練り歩いた。

 記憶を頼りに、尋ねた彼女のアパートを探す。

 会ってどうにかなる訳でも、どうする訳でもない。

 ただ、それでも知った以上、何かしなければならない気がした。

 そんな自己満足からの行動だ。

 陽も落ちてきたので、やはり今日は帰ろうか、と悩んでいたところだ。

 その、椿の艶やかな黒髪を私は見つけた。

「あっ……」

 声をかけようと近づいて気がついた。

 椿はどうやら他の人と一緒に居る様子だった。

 その為、私が躊躇した時だった。

「え……?」

 思わず、私の口からそんな声が漏れた。

 椿が刺されていた。

 それも、私がつい先ほど気がついたもう一人の人物によってだ。

 目深に被ったフードの為、性別は判別できなかったが、その手に握っていた包丁を彼女の胸あたりに突き立てたのだ。

 私が急いで駆け寄ると、その人物は走り去ってしまったが、去り際に低い声で「父の仇だ」と呟いた様な気がした。

 その場に倒れ込んだ椿を囲む様に真っ赤な血が水溜まりを作り始めていた。

「だ、大丈夫!?」

 その彼女を抱き抱えた私は、大丈夫な筈など無いのだが、反射的にそんな言葉を掛けていた。

「あぁ……こんばんわ」

 彼女は青白い顔をこちらへ向けながらそんな挨拶をした。

 少し間の抜けた様にも見える光景だった。

「い、今救急車を……!」

 取り乱しながらスマートフォンを手にした私は震える指先を画面に走らせる。

「因果応報……ってやつですね……」

 そう言うと椿は救急車を呼ぼうと操作する私のその腕を遮る様にした。

「何やって……!」

 思わず画面から目を離し彼女の方を見る。

 その表情は不気味なくらいに落ち着き払っている様だった。

 何処か穏やかでさえある。

「良いんです」

 そして、さらに青ざめた顔色のまま、ゆっくりと首を横に振った。

「これで、やっと……」

 椿は何処か安堵した様な、そんな風な微笑を浮かべた。

 その言葉の続きを言う事なく、そして彼女はゆっくりと目を閉じた。

 眠る様であった。

 私は何となく、ダメなのだろう、と言うのを察した。

 医療についての知識は無いが、確信めいた物があった。

 指先が冷える様な錯覚を覚えた。

 あまりの出来事に私の血の気が引いているのか、それとも彼女の身体が冷たくなっていたのか。

 どちらなのかは分からなかった。

 椿の瞳を閉じたその顔に一瞬息を呑んだその時だった。

 時間にして、五秒とも経っていなかっただろう。

 背後から声をかけられた。

「何してるんですか?」

 思わず振り返ると見知らぬ女性だった。

 その女性は私と、その腕に眠る椿とを二、三度見やると「きゃあああ!」とつんざく様な悲鳴をあげた。

「あ、貴方が……!?ひっ、ひとごろ……け、警察……!」

 何か誤解された様だったが、私にそれに反論する様な気力は無く、ただ警察へ事情を話そうとするその女性を呆然と受け入れていた。


 それから、椿の事がニュースになるのにはそう時間を要さなかった。

 『椿姫刺殺、正義の執行人ここに散る』そんな如何にもと言った様な見出しが大々的に出た。

 私は容疑者の一人となった。

 勿論、否認はしたし、物的証拠も無いに等しい物だった。

 けれど私の取り調べをした警察は「決まりだからねぇ、多数決だよ」と言うと苦笑いを浮かべるばかりだった。

 暗い留置所の中、その投票期間が終わるのを私は待っていた。

 だが、世間がどう受け止めるのか,そんな事は結果を見る前に明らかだった。

 冷たい床に腰をおろしながら、私はあの日の椿の事を考えていた。

 彼女はあの最期に満足したのだろうか。

 世間から隔離された空間だが、不思議と安堵している自分が確かに居た。

 もう、社会に関わらなくても良いのだ、あの多数決から解放される、そんな事を考えていた。

 噂に聞いたがインターネットでは「許せない」「死刑にするべきだ」「逆恨みだろう」と様々な私に対する非難の声で溢れているらしい。

 彼女は……椿は地獄に行くのだろうか、それとも天国なのだろうか。

 誰が彼女を裁くのだろう。

「ねぇ、そっちの世界は生きやすい?」

 呟くその問いに答える声は無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る