プリミティブ・プライメイツ ~暴君転生~

翠碧緑

第1話 生きていけるのが不思議だ


 ただ生きているだけのなんて幸せなことか。空調の効いた部屋で怠惰に過ごすことのなんて快適なことか。

 ではなく、と迷う日々。


「はあ……」


 どこに出かけようかと迷う日々も、誰に会おうか迷う日々もできなくなってしまった。


「リエーニ、どうしたの?」


「なんでもないよ。さっさと耕しちゃおうぜ」


「うん!」


 俺の名前はリエーニ。捨て子としてこの孤児院に拾われた男児だ。

 そして、気色の悪いことに昔は日本人だったのだ。


 クソ重いボロボロのくわで土を耕していく。悠々自適に生きていた自分がまさかこんな作業に追われることになるなんて思っていなかった。


「うーし、ここはこのくらいでいいだろ。あと終わってねえのはどこだ?」


「あっち。モノルスのところが終わってない」


「あんにゃろ、サボってんな」


 俺にとっちゃここは地獄みてえな場所だ。一日三食なんて無理。その一食も食えたもんじゃねえ。腹が減りすぎて睡眠も満足に取れねえ。ドカ食い気絶またしてえよ。


 孤児院の癖に国からの支援は少ないらしい。子供達が農作業をしないと回らないくらいの貧困だ。

 男は力仕事。女の子は布を織ったりする内職だ。


「おら、モノルス! さっさと終わらせろよ」


「うぇ~…。腹減ってもう無理~」


 うずくまってるクソガキに取り敢えず一発お見舞いしておく。みんな同じ条件じゃボケが。


「うらッ! 一気にやっちまうぞ!」


「くそぉ…」


 マメが潰れた手はボロボロだ。それでも必死に俺達は大地に向かって農具を叩きつけた。



 気がついたら知らない場所にいた、なんて体験を自分がすることになるとは思っていなかった。理由もわからない。意識を失っていたわけでもない。本当にシームレスにこの地獄にいたのだ。


 いろいろ試したが夢でもない。特殊なバーチャル空間ってわけでもない。自分はただ混乱する身寄りのないガキになってたわけだ。しかも、赤ん坊。ほんとによく生きてたもんだ。


 クソ寒い孤児院の玄関に放置された俺は普通に死にかけた。


 今の俺は多分七歳くらい。孤児院のシスター的な人と年上の子供達に助けられ、なんとか命を繋いだ。


「一瞬千秋に思い馳せよ。日々の生存に感謝を」


 長い机を他の子供達と囲みながら、めっちゃ長い『いただきます』をする。

 いつの間にか最年長になった俺はこの祈りの詠唱を任されていた。要するに今日も生きてて良かったねってことだ。わかる~。


 疲れているのもあるが、食事の風景は静かなものだ。リアクションもない。

 本当にムカつくくらい微妙な味なのだ。素材の味のみ。褒めるところも貶すところも無い。


(コンビニ弁当が恋しい……。やっぱ食事って栄養がどうとかの話じゃねえんだよなあ)


 日本じゃ見たことのない変な野菜を食べながら、そう心のなかで愚痴る。根野菜っぽいんだが、ゴボウと大根の中間みたいなやつだ。たしか、グットプという。どうでもいいか。


「院長、俺やっとくからいいよ」


「リエーニ…。ありがとう、ここは任せますね」


 質素な食事を終え、院長を押しのけて皿洗いを代わる。食器の一つ一つが大切だ。他のガキに任せて割られるのも笑えない。


 この孤児院は国の中の知らん宗教が運営しているらしい。そこから派遣されてきたのが院長と数人のシスターだ。全員女性だ。成人男性がいないってのは、まあ、いろいろ問題があったんだろう。


 井戸から汲んできた水を布に浸し、その布で体を拭く。これがここでの“入浴”なんだってよ。マジで意味わかんねえよな。今、西暦だったら何年なんだよ。まあ多分違うんだろうけどさ。そもそも言語も知らないものだった。せめて英語くらい喋ってくれよ。しんどい。


「リエーニくん。背中おねがいします」


「あいよ」


 近くの女の子に声をかけられ、大人しく従う。汚えボロボロの肌が目の前に広がる。骨ばってて見てて悲しくなってくる。

 負担をかけないようにやさしく汚れを落としていく。介護かよ。病気の奴らの世話することもあるし、まあそうか。


「リエーニくんはここを出たらどうするの?」


「あん? 別になんでもいいよ。食えりゃ」


 たらいに布を浸けると、どんどん水が濁っていく。絞ってまたこの子の体を拭いていく。

 衛生なんて気にする余裕がない。『どんなシャンプー使ってる?』、なんて質問は遥か彼方だ。


 旧時代過ぎる。ガスも電気もない。ああ、でもガス、電気、水道代に悩まされることもないか。クソが。


「そうなの? リエーニくんは吟遊詩人とか、演劇やってくんだと思ってた」


「無理だろ」


 ここは娯楽が少ない。というか無い。多分ド田舎よりもない。

 だから多分男女で乳繰り合うしか無いんだろう。そんでそんな恋愛のトラブルを防ぐために、二次性徴を迎えたくらいの子供はここを出ていくことになる。


 少し斡旋して貰えるとは思うが、大体が花売りだろう。出ていった先輩方が会いに戻ってくることは今まで一度もなかった。詰んでる。


 そもそも俺はどうすれば日本に帰れるんだ。いろいろ考えてはいるんだが、どうしようもない。

 口座に余裕はあったから七年経っててもなんとかなる…はずだ。いや、身分の証明が……。くそが。


「わたしリエーニくんの歌ってるところすごいと思うもん。有名になれると思うよ」


「そーか。まあ、ままごとだろうよ。玄人からしてみりゃな」


「むぅ。リエーニくんのそういうとこきらーい」


 ぺちっと布を軽く叩きつけてやると、何が楽しいのかその子は笑いながらお礼を言って去っていった。


 娯楽がない以上自分で暇つぶしをするしかなかった。仕事のない日は外で、カラオケもどきをやっていた。なんだか歌を少しでも思い出していなければ、日本でのことを忘れてしまいそうで少し怖かったのだ。


 もう歌詞はあやふやで、多分思い出せない曲もたくさんある。なんだか切ない気持ちになった。水に映る自分の顔はもう日本人じゃない。それでもなんとか自己を保とうとしている。


 やがて、そんな一人遊びは他の子供達と共有することになった。

 最初は聞くだけだった子供達はリズムに合わせて体を動かすようになり、なんとなく歌うようになった。

 そこで俺は歌詞をこの国の言葉で現代語訳? して教えていった。


 それからは週末には庭で合唱する子供達が増えて大変だった。


 歌のレパートリー自体はあまり持っていなかったので、すぐ俺はネタ切れを起こした。そこで今度は一人演劇を始めたのだ。


 おとぎ話を聞かせるような感じで。翻訳にめちゃくちゃ頭を使った。使えない表現も多くて苦労した。

 演技力自体は必要なかったが、子供達にわかりやすいように体を動かしたり、話し方のアレンジは必要だった。


「そろそろ貴方も寝なさいリエーニ」


「はいよ、シスター」


「また新作? みんな楽しみにしてるわよ」


「だから毎回苦労すんだよなぁ」


 広間にて貴重なインクと紙を使わせてもらいながら、俺は台本を執筆していた。大した長さじゃないが、言い回しをメモするためだ。


「シスター?」


「ふふふ」


 不意にシスターに頭を撫でられた。ガキじゃねえんだからそういう事するのはやめてほしい。

 別に“そういうつもり”じゃないんだよ。暇つぶしでしかないんだ。俺自身の楽しみで、娯楽なだけ。


「きっと、貴方の行いを女神様は見てくれていますよ」


 祭壇に飾られた瞳のない女神の像は何も語らなかった。


 何も思っていないわけじゃない。最初は何かのばちに当たったんじゃないかって思っていた。

 日本でもこんな環境は確かにあったんだ。勿論、俺には両親も兄弟もいた。教育だって受けられたし、毎日笑って過ごせていた。


 そして、それを気にすることもなく自堕落に過ごしていた。だから、『苦労を味わえ』とこんなところに飛ばされたんじゃないかって思っていた。


 その答え合わせも出来ていない。女神が、何か超常の存在が俺に説明することはついぞなかった。


 もうなんとなく理解っている。俺はもう二度と日本には、いや、元の世界には戻れないのだと。地球でもないのかもしれない。くそが。


 あの子に言われたことが少し俺を刺していた。


『リエーニくんはここを出たらどうするの?』


「──どうすりゃあいいんだろうな」


 独り占めしている個室でつい溢れる言葉。でもそれが他人に


 この世界はヤバイところだと思ってる。結構クソだと思う。ああ、これなら素直に真っ白なまま生まれていた方がマシだったんじゃねえかな。


 気がつけば歌を唄う。よく悲しいときに聞いていた優しい歌。


 その音は俺にしか聞こえない。そういうふうに俺が操作している。言っただろ? 俺は元々カラオケもどきをやっていたんだ。

 俺の周囲2メートルくらい。そこにだけ、電子音楽に似た音が木霊している。勿論、弦楽器も打楽器も意識すれば流せる。


 音波を操作する力。それを使えば、覚える限り全ての曲を再現できる。声だって変えられる。今の俺の特技であり、趣味だ。


 この世界において、たった一つ喜べる要素。


 俺は魔法使いエスパーになったんだ。

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