絶対時間
時間の向きに、意味なんてないと思うの。
彼女は突然そう言った。
僕は思わず興味を覚え、どういう意味だい? と問う。
ゆっくりと振り向く彼女の長い髪が、夕日を反射して茜色に燃える。
みんな、時間は過去から未来に向かって流れてると思ってるけれど、宇宙ってそんな単純なものじゃないんじゃないかな。
彼女のその言葉に、僕は、うなずく。微笑みを浮かべる。彼女の髪と同じ色に燃える夕焼けを瞳の奥に招き入れる。
それは、とても素晴らしい洞察だと思うよ。
過去、時間とは何か、科学者たちはずっと問い続けてきた。
イングランドの偉人の作った式には、欠陥があった。時間がマイナスでも、すべてが成り立ってしまった。
第三帝国の偉人の作った式には、もっと大きな欠陥があった。時間と空間が区別できなくなってしまった。
時間を逆行する粒子が登場したときには、時間とは何か、もう誰も分からなくなっていた。
時間ってなんだろう。
その問いの周りは、ずっと、暗く冷たい霧が覆っていた。
だから、君が、時間の向きに意味なんてないって思うのも、仕方がないね。
もし――もし君が、時間の向きを逆にして失った何かを取りに戻れるかもしれない、と希望を持ったのだとしたら。
でも、それはもう、無理なんだ。
時間は、絶望に向けてしか、流れない。
イングランドや第三帝国での物語とは別のところで、違う物語があった。
アイルランドやプロイセン王国に生まれた知の巨人は、時間の本質を見抜いていた。
ロシア生まれの偉人がそれを纏め上げ、ノーベル賞に輝いた。
時間の本質って?
長い睫にも茜の花を咲かせながら、彼女が首を傾げる。
僕の顔を見上げる彼女のほほを、西から吹いてきた浅葱色の風が撫でていく
時間とは、すべてが終わる方向に向けて流れるもの。
決して取り返しのつかないと決まっている方向に向けて流れるもの。
もし時間の符合を逆にしても良いのだとしても、そのどちらの符号が『より取り返しがつかない』のか、時間は、まるで意思を持つようにそれを判断して、自然と流れ出すんだ。
だから、時間は、絶望に向かってしか、流れない。
そうなんだ。私ってば、おかしなことを考えちゃうところだった。
どんな?
私ね、未来から歩いてきた人かも知れないって。
あなたの主観と逆向きに歩いてきて、これから過去に戻っていく人なのかもしれないって。
そう、さっきあなたが言ったみたいに。ただいるだけで、失くした何かを取り戻しに行けるんだって。
でも、なんだかすっきりした。時間は、未来にしか流れないのね。
決して取り返しのつかない未来に向かってしか。
悲しく無いのかい?
僕らの未来は、閉ざされた方向にしか流れないんだ。
無くしたものは、永遠に帰ってこない。
でもそれって、今の次の今は、分からないってこと、よね。
そうだね。今という瞬間が取り返しがつかなくなった瞬間が次の今だ。
今はあっという間に後ろに。僕らは知らず知らずのうちに次の今に立ってる。
だったら、今に絶望しても、次の今は、きっと素晴らしいものかもしれないわ。
取り戻そうなんて思わなくていい。
私の意志で。次の今に、誰も知らない鮮やかな色を塗れるの。
それって、素敵なことじゃない?
面白いことを言うものだな、と思ったけれど、僕はそれに何も相槌を打たなかった。
今、あなたに会えてよかったわ。次の今も、その次の今も、よろしくね。
彼女が言ったとき、その瞳に最後まで残っていた茜の花が、グリーンに輝いた気がした。
僕はいつの間にか、それが彼女なりの誓いの言葉だと知った今に立っていた。
相対時間/絶対時間 月立淳水 @tsukidate
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