第3話 摩耶観光ホテル

摩耶観光ホテルは、夜になると高さを失う。

山に抱かれ、空に近いはずの建物が、夜だけは地の底へ沈むように感じられる。

ここでは上下が曖昧になる。人の世界も、山の世界も、空の外も。


わたしは、玄関ホールの階段に腰を下ろしていた。

洗面器の朱は静かで、満ちてもいなければ、空でもない。

待っている色だ。


先に来たのは、円盤だった。

黄色の葉巻型母艦

摩耶の稜線をなぞるように現れ、音もなく中庭に降りる。

彼らは前よりも小さく、慎重だった。

この場所が、交差点だと学んだから。


次に足音がした。

多数の賑わい

まるでお祭りのよう

笛や太鼓が鳴っている。


ああ今日は過ぎ越しの日だったわね。


板を踏み、埃を起こし、呼吸を伴う音。


善之。


彼は一人だった。


だが近くに大勢のお客さんがいる。

招かれざる客ども


私の縄張りに土足で入る支那の観光客と同じ輩、、、


だが、孤独ではない歩き方をしている。

山に招かれる者の歩幅だ。


「……やっぱり、ここだったか」


独り言のようでいて、確信の声。

彼はもう、偶然でここに来る人間ではない。


わたしは階段の影から出た。

洗面器の縁が、灯りのないホールでわずかに光る。


善之は驚かなかった。

恐れも、拒絶もない。

ただ、深く息を吸った。


「また、会ったな」


それは挨拶だった。

対決のときの言葉ではない。


円盤の縁が揺れ、彼らが思念を落とす。


――この者は、まだこちらではない

――だが、向こうでもない


正しい、とわたしは思った。

善之は境に立つ者だ。


三者が揃うと、摩耶観光ホテルは反応する。

廊下の奥で、かつてのベルが一度だけ鳴った。

誰も押していない。

呼応だ。


「ここは……」


善之が天井を見上げる。


「集める場所、だな」


言葉にした瞬間、洗面器の中がわずかに揺れた。

彼は分かっている。

この建物が宿ではなく、溜まり場であることを。


円盤が床に光を投げる。

そこに浮かぶのは、過去の断片。

結婚式の写真、観光客の笑顔、破られた計画書。

わたしが集めてきたものと、彼らが解析したものが、重なっていく。


「選ぶ時間だ」


善之が言う。

誰に向けた言葉でもない。


「主になるつもりはない。

 でも、放ってもおけない」


その言葉で、摩耶は答えを出した。


風が通り抜け、窓のないはずのホールに夜景が映る。

神戸の灯り。

遠く、六甲の稜線。

空には、円盤の影。


主は一人でなくていい。

山はそう決めた。


わたしは洗面器を外し、床に置いた。

初めてだ。

朱は零れない。

もう、奪う必要がない。


円盤は理解した。

彼らは侵略者ではなく、記録者になる。

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