第3話 買われた忠誠、買えない殺意

 その合図と共に表通りの景色が一変した。

 華やかなパレード会場は、瞬きする間に泥沼の戦場へと姿を変える。


「オラァッ!聖女の首は金貨の山だ!奪い取れぇ!」


 金に目の眩んだ傭兵たちが、群衆を押しのけて雪崩れ込んでくる。

 それだけではない。買収された王国の近衛兵までもが我先にと剣を抜き、裏切りの刃を向けてくる。

 四方八方、すべてが敵。

 だが俺の自慢の共犯者たちは、微塵も動じなかった。


「……汚らわしい。聖女様、眼をお瞑りください」


 リーゼロッテがスカートの裾を大胆に引き裂いた。

 露わになった白く力強い脚が地面を踏み砕く。彼女は近くの街灯を素手で引っこ抜くと、それを長槍代わりに振り回して兵士の群れをなぎ払った。

 鉄塊が肉を砕く音が響く。イブニングドレス姿の女騎士は、戦場でも戦乙女ヴァルキリーそのものだ。


「……数が多い。掃除する」


 セツナが宙を舞った。

 漆黒のドレスが花のように開く。彼女は空中で独楽のように回転しながら、ガーターベルトに仕込んだナイフを全方位に投擲した。

 正確無比な死の雨。前列の傭兵たちが喉を押さえて沈黙する。


「あらあら。せっかくのおめかしが台無しね」


 ヴェロニカは優雅に煙管を吹かしながら、近寄ってくる敵兵の顔面に紫煙を吹きかけた。

 男たちが喉を掻きむしり、泡を吹いて倒れる。神経毒だ。


 強い。

 頼もしい限りだ。だが敵の数が尋常ではない。

 沸いてくる敵をどれだけ倒しても、ミダスのばら撒いた「金」に吸い寄せられる蛾のように次々と増援が現れる。


「はっはっは!無駄だ無駄だ!金貨一枚で命を売る貧乏人など、この世にはいくらでもいる!」


 黄金の重装甲を纏った巨漢、ミダスが高笑いしながら歩み寄ってくる。

 リーゼロッテが街灯を投げ捨てるや否や、ミダスへ肉薄した。


「黙れ成金!そのふざけた首、胴体から切り離してくれる!」


 神速の抜刀。リーゼロッテの帯びた長剣がミダスの首の隙間――鎧の継ぎ目を正確に狙う。

 必殺の一撃。

 だが。


 ガギィンッ!!


 甲高い金属音が響きリーゼロッテの剣が弾かれた。

 否、弾かれたのではない。刃が通らなかったのだ。

 継ぎ目だと思った部分はただの隙間ではなかった。そこには濃密な魔力で練り上げられた、黄金の障壁が存在していた。


「なッ……硬い!?」

「ハッ!ただの鎧だと思ったか?」


 ミダスがニヤリと笑う。

 彼が軽く手を掲げると、地面に散らばっていた大量の金貨、市民が身につけていた貴金属、店舗の金看板――ありとあらゆる「金」が浮き上がり、彼の身体へと吸着した。

 それは瞬く間に融合し、彼を覆う巨大なゴーレムのような追加装甲へと変貌する。


「錬金術、などという高尚なものではない。これは『資本の質量』だ!」

 ミダスが黄金の巨腕を振り下ろす。

 リーゼロッテがとっさに防御姿勢を取るがあまりの重量差に吹き飛ばされた。


「ぐぅッ……!」

「リーゼロッテ!」


 彼女はドレスを擦り切らせて石畳を転がり、俺の足元で止まった。無事だがダメージは深い。


「……なるほど。金を操る魔導アーマーですか」


 俺は眉をひそめた。

 金は柔らかい金属だ。だが魔力を通す伝導率は極めて高い。

 ミダスは莫大な資産を魔力変換し、物理攻撃を無効化する防御フィールドと、質量兵器としての攻撃力を両立させている。

 金で雇った兵隊と金で作った鎧。

 徹頭徹尾、金に依存した戦い方だ。


「その通り!金こそが力だ!愛だの忠誠だの、そんな不確かなもので腹は膨れない!」


 ミダスは黄金の拳を打ち合わせ、雷鳴のような音を立てた。


「見ろ、この圧倒的な質量を!私が積み上げた財こそが私の『心臓ハート』なのだよ!」

「心臓、ですか」


 俺は鼻で笑った。


「ずいぶんと安っぽい心臓ですね。値札がついているじゃありませんか」

「なんとでも言え。貴様らの首もすぐに換金してやる!」


 黄金の巨体が突進してくる。

 戦車並みの質量だ。セツナの暗器もヴェロニカの毒も、あの装甲の前では無意味だろう。

 護衛たちは満身創痍。俺たちの周囲は完全に包囲されている。


(……やれやれ。誕生日にこれだけの出費を強いるとは)


 俺は深いため息をつきスカートのドレープを掴んだ。

 純白のレース。刺繍入りの最高級品。

 だがこんな布きれなど戦場ではただの枷だ。

 俺は両手でドレスの裾を掴み、躊躇なく引き裂いた。

 ビリィッ!という音と共にドレスの前面が大きく開かれ、深いスリットが生まれる。


「聖女様……!?」


 リーゼロッテが息を呑む。

 露わになったのは艶めかしい白脚と――そこに装着された、無骨で凶暴な鉄塊。

 可変式パイルバンカー『罪咎ザイ・キュウ』だ。

 胸元に張り付いていた幼竜バレットも、殺気を感じて飛び起き俺の肩へと移動する。


「下がっていなさい、リーゼロッテ。……精算チェックの時間です」


 俺はヒールを踏みしめ巨大な黄金の怪物を見据えた。

 奴は金を最強だと信じている。金で買えないものはないと信じている。

 だからこそ教えてやらなければならない。


 金貨は溶ければ形を変える。だが鍛え抜かれた鋼鉄は、折れはしても曲がらない。

 俺たちの心臓ハートが、何で出来ているのかを。


「ミダスさん。貴方は一つ勘違いをしていますよ」


 俺はパイルバンカーの撃鉄を起こし、聖女の微笑みで告げた。


「本当の『重み』というのは金庫の中ではなく……覚悟の中に宿るものなのです」

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