第4話 死体安置所の怪
第4話:死体安置所の怪
ジ……、ジジ……。
静寂な地下霊廟に、不釣り合いな音が響く。
それは、分厚い布が擦れる音であり、あるいは――死の世界と生の世界を隔てる境界線が、物理的にこじ開けられる音でもあった。
だが、金欲に目が眩んだ男たちは、その異変に気づかない。
「おい、早くしろよ。衛兵の巡回まであと10分だぞ」
苛立った声が、石造りの壁に反響する。
帝都の地下深くに作られたこの霊廟は、冷気とカビ、そして古い死体の甘ったるい腐臭で満ちていた。
「分かってるよ。……へへっ、すげぇな。さすがは聖騎士団長様だ。死に装束の下にこんなモン隠してやがった」
死体袋のジッパーを乱暴にこじ開けた男――下級騎士のベイルが、卑しい笑みを浮かべて手を突っ込んだ。
彼が引きずり出したのは、純金で縁取られた短剣の鞘だ。
アルスが生前、儀礼用として身につけていた装飾品である。
「路地裏の故買屋に持ち込めば、金貨50枚は堅いぜ。これで借金もチャラだ」
「剣はどうだ? 名剣『アストラ』があるはずだろ」
「ああ、あるある。こいつも頂いていこうぜ。どうせ死体には猫に小判……いや、豚に真珠だ」
ベイルともう一人の男、カジムが下卑た笑い声を上げる。
かつて彼らは、私の部下だった。
厳しい訓練についてこられず、不平不満ばかりを漏らしていた落ちこぼれ。
私が何度も庇い、騎士団に残れるよう取り計らってやった連中だ。
それが今、私の遺体を漁り、あまつさえ「豚」と呼ぶか。
(……なるほど。これが『現実』か)
死体袋の底で、私は冷徹に状況を分析していた。
怒りはある。だが、それは激情ではない。
燃え盛る炎というよりは、絶対零度で凍りついた刃物のような、鋭利で静かな殺意だった。
彼らの会話を聞いていると、帝国の腐敗が骨の髄まで進行していることがよく分かる。
騎士が盗みを働き、上官を侮辱し、私欲のために動く。
ヴァレリウスの言う「秩序」とやらの実態がこれだ。
「おい、待てよ。……まだなんかあるぞ」
ベイルが私の胸元に手を伸ばす。
狙いは、首から下げていた聖騎士の認識票だろう。
純銀製のそれは、彼らにとっては数日分の酒代になる。
「死んでもなお役に立つなんて、アンタこそ聖人の鑑だなぁ! 団長!」
ベイルの指先が、私の冷たい皮膚に触れた。
その瞬間だ。
ガシィッ!!
「……ひ、え?」
ベイルの喉から、間の抜けた悲鳴が漏れた。
彼の手首を、死体袋の中から伸びた「白い手」が、万力のような力で握り潰していたからだ。
ミシミシ、と骨がきしむ音が響く。
「い、あ、が……ッ!? な、なんだ!? 離せ、離しやがれ!!」
ベイルが半狂乱で腕を振り回す。
だが、私の指は肉に食い込み、決して離れない。
私はゆっくりと、死体袋のジッパーを内側から引き下げた。
ズルリ。
袋が開く。
暗闇の中に、私の顔が浮かび上がった。
首には、切断されたはずの赤い線。
肌は死人のように青白く、呼吸による胸の上下動は極端に少ない。
だが、その双眸だけが、ランタンの灯りを反射して、爬虫類のような冷たい光を放っていた。
「……あ、あ、ああ……」
ベイルは腰を抜かし、私の顔を見下ろしたまま凍りついた。 背後にいたカジムも、引きつった顔で後ずさる。
「し、死体が……動いた……?」
「馬鹿な……首を、斬られたはずだろ……!?」
パニック。
恐怖。
混乱。
彼らの脳が、目の前の「非現実」を処理しきれずにショートしている。
私は無言のまま、上半身を起こした。
首の傷口がズキリと痛む。
だが、その痛みさえも心地よかった。
それは私が「生きて」おり、そしてこれから彼らに「死」を与えることができるという証明だからだ。
「……誰が、豚だって?」
私の口から出た声は、以前のものとは違っていた。
声帯が一度切断され、無理やり繋がったせいだろうか。
まるで底知れない井戸の底から響くような、湿り気を帯びた掠れ声。
「ひッ、ヒイィィッ!! お、お化け……あ、悪霊だッ!!」
カジムが悲鳴を上げ、腰の剣を抜こうとする。
だが、遅い。
プロの目から見れば、彼らの動作はあまりにも隙だらけだった。
私はベイルの手首を掴んだまま、あえて彼を突き放した。
ドサッ。
尻餅をつくベイル。
「く、来るな……来るなぁぁぁッ!!」
カジムが震える手で剣を構える。
私はゆっくりと、死体安置台から降り立った。
裸足の足裏に、冷たい石床の感触が伝わる。
ポタリ。
首の傷口から、黒い血液が一滴、床に落ちた。
ジュウゥゥ……ッ!
肉が焼けるような嫌な音がして、石の床から白い煙が上がった。
私の血が触れた箇所が、強酸を浴びたように溶解している。
「な、なんだ……? 血が、床を……?」
カジムが目を見開き、後ずさろうとしたその時だ。
彼のブーツが、床に広がった私の血溜まりを踏んだ。
ジュワアアアアッ!!
「ギャアアアアアッ!?」
カジムが絶叫する。
革のブーツが一瞬で溶け落ち、中の足指がドロドロに崩れていく。
骨まで達する溶解。
これはただの毒ではない。概念的な「死」そのものを液状化した、神話の猛毒だ。
「い、痛いッ! 俺の足がッ! 足がぁぁッ!!」
のたうち回るカジム。
それを見て、ベイルは完全に戦意を喪失し、這いつくばって逃げようとした。
「た、助けてくれ……! 俺は何も……!」
逃がさない。
私の背後、ランタンの光が届かない闇の中で、空気が歪んだ。
シュルルルル……。
影が鎌首をもたげる。
一つではない。二つ、三つ……七つ。
私の魂に刻まれた第1の枷「ムシュマッヘ」。その権能が、主人の殺意に呼応して幻影となって顕現したのだ。
七つの蛇の頭が、闇の中で赤い目を爛々と輝かせ、獲物を見下ろしている。
(……キングゥの言った通りだ。力が、溢れてくる)
私は自分の手を見つめた。
人間としての温かみは消えかけている。
だが、その代わりに得たこの力は、腐りきったこの帝国を掃除するには、あまりにも都合がいい。
私は溶解する足を押さえて泣き叫ぶカジムと、恐怖で失禁しているベイルを見下ろし、口の端を吊り上げた。
聖騎士アルス・アストラは死んだ。
ここにいるのは、復讐のためなら魂さえ売り渡す、ただの怪物だ。
「……騒ぐな。まだ『教育』の時間だぞ、元部下たちよ」
さあ、始めようか。 最初の授業を。
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【第一章予約投稿済】奈落の王は11の鎖を断つ 熊桜アリス @kuma_sakura_alice
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