第10話|九人の食卓
第10話|九人の食卓
初夏の風が、新しくなったリビングのカーテンを軽やかに揺らしていた。
一年という時間は、この古い家を少しだけ変えた。
床下の防除を終え、軋んでいた床板を張り替え、壁の一部を塗り直した。
けれど、いちばん大きく変わったのは、リビングの真ん中に鎮座する――
あまりにも大きく、少し不格好な、一枚板のテーブルだった。
倉庫に眠っていた杉の無垢材。
大介が源次郎に頭を下げ、譲り受け、数ヶ月かけて削り出したものだ。
鉋の角度も、木目の読み方も、
すべては源次郎の「見ていろ」という無言の背中から盗んだ。
「……ここ、ちょっと隙間があるな」
老眼鏡越しに、源次郎が継ぎ目を覗き込む。
「わざとです。
木の呼吸を逃がすためだって、じいじが言ったんでしょう」
大介が笑って返すと、
源次郎は「フン」と鼻を鳴らしただけだった。
それでも、素人細工だと切り捨てることはしない。
不格好な天板を、何度も、確かめるように掌で撫でている。
芳江は、その様子をソファから静かに眺めていた。
膝の上では、三歳になった花が、端材を積み木代わりに並べている。
芳江は口を出さない。
ただ、新しい木の香りが家に満ちているのを、深く息を吸って味わっていた。
「さあ、ご飯よ。全員、座って」
恵美の声が、リビングに響く。
以前は椅子が足りず、
誰かが立ち、誰かが床に座っていた。
今は違う。
この巨大なテーブルを囲んで、九脚の椅子が並んでいる。
「大介、これ」
慎一が、少し誇らしげに箱を置いた。
中から出てきたのは、
持ち手の色がそれぞれ違う、同じ形の九膳の箸。
「……九膳、ちゃんとある」
真央が、一本ずつ丁寧に並べながら呟く。
「当たり前なのに、不思議ですね」
「僕のは青!」
「次郎は緑!」
子どもたちの声が重なる。
九人が席につく。
源次郎と芳江。
慎一と恵美。
大介と真央。
その間に、太一、次郎、花。
全員の顔が見える。
肘はぶつからない。
それでいて、手を伸ばせば誰かに触れられる距離。
食卓には、
恵美の真っ黒な煮付けと、
真央の色鮮やかなサラダ。
源次郎が、真っ先にサラダへ箸を伸ばした。
「……お義父さん?」
真央が驚くと、源次郎はぶっきらぼうに答える。
「血圧にいいんだろ。
長生きしねえと、このテーブルが朽ちるまで見届けられん」
食卓に、笑いが広がった。
「よし」
慎一が言う。
「冷めないうちに」
「せーの」
「いただきます」
九つの声が重なり、
一つの太い音になって、天井へ抜けていく。
箸が触れ合う音。
子どもたちの笑い声。
「美味しいね」という、何気ない会話。
それは、一年前、
生活の雪崩に飲み込まれていた頃には、
思い描けなかった音だった。
お箸が足りないことで始まった同居は、
お箸を揃えることで、ひとつの区切りを迎えた。
けれど、完成ではない。
このテーブルには、
これから無数の傷が刻まれる。
泣きながら箸を置く日も、
怒って席を立つ夜も、きっと来る。
それでも――
九つの席がある限り、
九人は何度でも、ここに戻ってくる。
「ねえ、パパ」
次郎が大介を見上げる。
「明日も、お箸ある?」
「ああ」
大介は、自分の箸を確かめるように握った。
「明日も、明後日も。
ずっとある」
外には、夕闇が降りてきている。
けれど、九人の食卓を照らす灯りは、
今日も変わらず、この家を包んでいた。
――それだけで、十分だった。
(完)
九膳(きゅうぜん)の 箸並びおり 冬の朝
不揃いなれど 一(ひと)つの食卓
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