第2話 おみくじに文句をつける女

 境内の隅、古びた大釜から湯気を上げる甘酒の屋台。  使い捨ての紙コップを受け取り、悴んだ指先を温めていると、すぐ隣から「チッ」という、元旦の神域にはおよそ似つかわしくない派手な舌打ちが聞こえてきた。


 見れば、同年代か、あるいは少し下か。  仕立ての良さそうな紺色のコートに身を包んだ女性が、今しがた引いたばかりであろうおみくじの紙を、親の仇でも見るような目で見つめている。


「……何が『北に行けば吉』よ。北に行ったら海しかないじゃない。入水自殺でもしろってこと?」


 なかなかにパンチの効いた独り言だ。  おみくじの神託に対して、ここまで論理的(?)かつ攻撃的なカウンターを当てる人間を、俺は初めて見た。  ふと視線を感じたのか、彼女がこちらを向いた。  大きな瞳の奥には、まだ隠しきれていない苛立ちと、それを上回る深い疲労が沈んでいる。


「……なんですか。あなのも『末吉』あたりで絶望中?」


 初対面の男に向かって、第一声がこれだ。  本来なら「失礼な人だな」と立ち去る場面だが、なぜだろう、今の俺には彼女の刺々しさが、冬の朝の冷気と同じくらい心地よく感じられた。


「いえ、私は『中吉』でした。ただ、縁談は急ぐなと釘を刺されましたが」 「中吉。微妙ですね。一番コメントに困るやつだ」 「ええ。おまけに失物は出がたし、だそうで。三年間という月日を探しているんですが、神様には見つけられないらしい」


 自分でも驚くほど、皮肉が滑らかに口をついて出た。  彼女は一瞬、目を丸くしたが、すぐにフッと自嘲気味な笑みを漏らした。  その笑い方は、俺が今朝鏡に向かってしてみせたものと、驚くほどよく似ていた。


「三年ですか。私は五年。……まあ、五年の月日が『都内一等地のマンションの権利』に化けたんだから、マシだと思わなきゃいけないんでしょうけど」


 五年。マンション。権利。  その単語の並びだけで、彼女が潜り抜けてきた修羅場の凄まじさが手に取るようにわかった。  どうやら彼女も、俺と同じ種類の「戦友」であるらしい。


「甘酒、もう一杯飲みますか? マンションのお祝いに」 「……お祝いじゃなくて、お清めでしょ」


 彼女はそう言いながらも、手に持った紙コップを俺の方へ少しだけ掲げた。  元旦、午前九時。  ラブホテルに吸い込まれた愛車のローンを抱える男と、裏切りの対価にコンクリートの箱を手に入れた女。


「乾杯」


 紙コップ同士が触れ合う、カサッという味気ない音。  神社の境内で、俺たちは誰に聞かせるでもない、二度目の独身生活の祝杯を挙げた。


「ちなみに、そのおみくじ……北以外にはなんて?」 「『旅行:連れがあれば良し』。……皮肉よね、本当に。連れを北の海に沈めてきたばかりなのに」


 彼女はそう言って、甘酒をぐいっと飲み干した。  どうやらこの正月、寝正月を決め込まなくて正解だったらしい。    人生、最後から二番目の恋がいつ始まるかなんて、神様だって教えてはくれない。  ただ、この冷え切った甘酒の甘さだけが、今の俺たちには唯一の現実だった。


【to the next】

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2026年1月1日 06:01
2026年1月1日 19:00
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厄落としは、真っ赤なスポーツカーに乗って ——最後から二番目の恋は、カレーの香りと共に—— 比絽斗 @motive038

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