第27話

舞台はまだ眠っている。

照明の落ちた菫外栄華館は、巨大な器官のように静まり返っていた。


童子切は舞台の中央に立ち、誰もいない客席を見渡していた。

その背後で、石田は腕を組み、黙って立っている。


不意に、童子切が口を開いた。


「むかしむかし、この世界は火と煙に覆われていた」


「刃は主を失い、役目を終え、眠るしかなかった。

 そこで一振りが選ばれた。

 世界を終わらせるためにな」


舞台の奥――奈落の方向を、童子切は見もしない。


「そいつは、正しい選択をした。

 争いを止め、刃を眠らせ、すべてを終わらせる理想だ」


淡々としている。

評価も、感情もない。


「だが、それだけじゃ足りなかった」


ここで、声が少しだけ強くなる。


「終わらせただけじゃ、希望は残らない。

 だからもう一振りが選んだ。

 ――演じ続けることを」


「この演目が、どうして“未明”を名乗っているのか」


「神話か。」


石田正宗の問いに童子切は答えない。

答えを期待されていないことも、わかっていた。


「世界がまだ、朝と夜を区別できなかった頃の話だ」


童子切は、ゆっくりと舞台を歩き始める。


「火と煙が空を覆い、

 人は争い、

 刃は主の意思を受けて振るわれ続けていた」


その声は、語りというより、記録に近い。


「やがて世界は、耐えきれなくなった。

 戦を止めようとした人間と、

 戦うために生まれた刃が、

 同時に行き場を失った」


石田は、わずかに視線を伏せた。


「終わらせただけじゃ、希望は残らない。

 だからもう一振りが選んだ。

 ――演じ続けることを」


「刃は舞台に立ち、主を演じ、輝きを競う。

 そうして、希望を語り続ける場所が生まれた」


童子切は奈落の方を見下ろす。


「光は、天では強すぎた。

 だから一度、地に落とされた」


「……グラウンド・ゼロ」


ぽつりと、石田が呟く。


「そうだ。

 すべてが焼け、

 すべてが終わりかけた場所」


童子切は頷いた。


「だが、神は直接世界を救わなかった」


石田は眉をひそめる。


「代わりに、“依代”を選んだ。

 神話を受け止められる器。

 ギトウ少年でありながら、神の理に触れられる存在」


「それが……アマテラスの花婿」


「そうだ」


即答だった。


「アマテラスは、世界と再び結び直されるために、

 誰かの手を取る必要があった」


童子切の声が、ほんの少しだけ低くなる。


「アマテラスの花婿は、神の光を受け入れ、

 代わりにすべてを差し出した」


石田は、静かに息を吐いた。


「……それを、お前は“選択”と呼ぶのか」


童子切は振り返らない。


「呼び方はいくらでもある」


「僕には、取引にしか聞こえない」


沈黙。


「光を見せて、

 救済を約束して、

 拒めない場所に立たせた」


石田は一歩、舞台へ踏み出す。


「それを“応じた”なんて言葉で包むのは、

 あまりに残酷だ」


童子切は、少しだけ間を置いてから言った。


「結果として、世界は続いた」


「代償は?」


「一振り分だ」


淡々とした答えだった。


「世界と引き換えなら、安い」


その言葉に、石田の胸がひりついた。


「……やっぱり、お前は」


声は低いが、揺れていない。

童子切は、かすかに笑う。


「神話は、犠牲なしでは成立しない」


「それを、再演する気か」


「する」


迷いのない声。


「未明ギトウ幕は、未完だからな」


石田は、舞台の奈落を見た。


「なぜ、もう一人必要なんだ」


童子切は、初めて足を止めた。


「一人では、夜が長すぎた」


その声には、わずかな疲労が滲んでいた。


「終わらせる役と、

 続ける役。

 光と影」


「最初から、二人必要だったと?」


「そうだ」


「じゃあ、なぜ一人に背負わせた」


沈黙が落ちる。


「間に合わなかった」


童子切は、目を伏せたまま言った。


「世界の崩壊の方が、早かった」


石田は、その横顔を見つめる。


「だから、今度は壊さない?」


「壊さない」


「誰かを?」


「劇場を」


はっきりと。


「必要なら、全部を使う」


石田は、ゆっくりと首を振った。


「それは救済じゃない」


一歩、前に出る。


「神話を延命させるための、生贄選びだ」


童子切は、その言葉を否定しなかった。


「だからこそ、舞台に立つ者が要る」


石田は、静かに笑った。


「なら、僕は」


視線を上げる。


「神話を疑う役をやる」


童子切は、面白そうに目を細めた。


「覚悟はあるか」


「最初から、そのつもりだ」


「未明ギトウ幕・再演。

 アマテラスの花婿を、もう一人作る」


石田は、その背中を見つめる。


「……誰かを救うためだと言うなら」


低く、しかし確実に。


「俺は、お前の敵になる」


童子切は笑った。


「舞台は、対立があった方が面白い」


その言葉で、二人の溝は決定的になった。


奈落は何も語らない。

だが確かに、次の朝を待っている。


未明は、まだ終わらない。

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