第26話
目を開けた瞬間、天井が近すぎて、少しだけ息が詰まった。
見慣れた部屋だ。
照明の位置も、壁の色も、すぐに思い出せる。
それなのに、胸の奥に、取り残された感じが残っている。
何かを見ていた。
はずなのに、輪郭がほどけるみたいに、細部が逃げていく。
「……なんか」
声に出した途端、現実が戻ってくる。
「懐かしい夢を見てた気がする」
自分でも曖昧だと思う。
内容を思い出そうとすると、窓の向こうの光みたいに、すり抜けてしまう。
隣から、気の抜けた声が返ってきた。
「へえ」
気配が動く。
「夢なんて見るんだ」
児手柏だ。少し間を置いて、首を傾げる気配。
「ギトウ少年ってさ、夢を見るの?」
からかっているようで、でも本気で不思議がっている声音だった。
生駒は、しばらく考える。
見るのが当たり前だと思っていた。
だから今まで、疑問にしたことがなかった。
「……さあ」
そう答えながら、胸の奥を探る。
夢の中で、誰かと話していた。
確かに、言葉を交わしていた。
でも、名前は思い出せない。
顔も、はっきりしない。
ただ、窓があって。
外に、自分がいて。
中に、誰かがいた。
「見ちゃいけない決まりはないだろ」
そう言うと、向こうは小さく笑った。
「まあ、そうか」
少しだけ間が空く。
「でもさ」
声の調子が、ほんのわずかに変わる。
「懐かしいって、変じゃない?」
生駒は答えない。
懐かしい。
確かに、そうだった。
初めて見るはずの光景なのに、
初めて会うはずの誰かなのに。
「……よくわかんない」
本音だった。
「起きたら、もう忘れかけてるし」
「ふうん」
それきり、その話題は終わる。
日常が、何事もなかったように流れ出す。
けれど生駒の胸の奥には、
置いてきたままの感情が、まだ残っていた。
――日の当たる場所。
なぜか、その言葉だけが、
妙に鮮明だった。
「そんなことよりねえ、聞いた?」
少し弾んだ声。
「童子切がさ、次の主役を決めるんだって」
生駒の相槌より早く、
低い声が、被せるように響いた。
「やめとけ」
鉋切だ。ぴたりと、空気が止まる。
「……なんで?」
不満を隠そうともしない声。
その直後、布が擦れる音と、足を庇うような気配。
「まだ治ってねえだろ」
淡々と、けれど有無を言わせない。
「主役オーディションなんて、無理する場じゃない」
「でも——」
言い返そうとした瞬間、言葉が詰まる。
生駒には、見えなくてもわかった。
踏み出そうとして、踏み出せなかった、その一瞬。
「この前、あれだけやっただろ」
低い声が続く。
「今は休め。舞台は逃げねえ」
少しだけ、悔しそうに息を吸う音がした。
「……わかってる」
そう言いながらも、声は沈んでいない。
むしろ、燃え残りの熱が、まだ確かにあった。
「俺さ」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
「今度は、主役になりたい」
空気が、静まり返る。
視線が集まるのを感じる。
けれど、引き下がる気はなかった。
「支えるのも、好きだよ」
それは本音だった。
「でも」
胸の奥に残っていた、あの夢の感触が、
言葉を押し出す。
「舞台の真ん中に立ちたいって、思った」
一瞬の沈黙。
誰かが、冗談だと思うか迷っている。
誰かが、真剣さを測っている。
「……へえ」
少し間を置いて、声が返る。
「珍しいこと言うじゃん」
生駒は笑った。
「俺だって、ギトウ少年だからさ」
舞台に立つ理由を、
もう一度、自分で確かめたくなっただけだ。
胸の奥で、何かが、静かに動き出していた。
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