第22話

鐘の音が鳴った。


合図でも、宣告でもない。

ただ「始まってしまった」という事実だけを告げる音。


幕が、上がる。


床が軋み、照明が走る。

観客席は見えない――けれど、視線だけが確かに降ってくる。


ここは、勝ち負けの舞台ではない。

命を奪い合う場所でもない。


己の在り方を、晒すための舞台。

それが、ギトウ幕。


児手柏は、舞台中央に立っていた。


裸足ではない。

修繕された靴が、確かに床を踏みしめている。


(……立ってる)


それだけで、胸の奥が熱くなる。


「はは……」


小さく、息が零れた。


そのときだった。


「――ふん」


舞台脇、闇の縁から、低い声。


清水藤四郎は、もう中央を見ていなかった。

短刀を収め、背を向ける。


「……無駄足だったか」


立ち去ろうとする、その背に。


「待てよ」


静かに、しかし確かに届く声。


生駒光忠だ。


舞台袖に立ったまま、一歩も出ない。

ただ、視線だけを向ける。


「最後まで、見ていけ」


清水が、足を止める。


「……何を」


「ギトウだろ」


生駒は、淡く笑う。


「始まったなら、幕が下りるまでだ」


一瞬の沈黙。


清水は、ゆっくりと振り返る。


その視線の先――

児手柏が、舞台の中心で息を整えていた。


照明が、彼を捉える。


逃げない。

俯かない。


靴が、床を踏みしめる音が、やけに大きく響く。


児手柏は、清水を見る。


「……見てろよ」


挑むような声ではない。

頼る声でもない。


ただ、在るという声。


次の瞬間。


児手柏の動きが、舞台を裂いた。


派手ではない。

技巧でもない。


だが――迷いがない。


踏み込み。

跳躍。

呼吸。


一つ一つが、確かに「今」を刻んでいく。


清水の目が、わずかに見開かれる。


「……」


言葉が、出ない。


舞台袖で、生駒は何も言わない。

ただ、静かに見守っている。


(ほら)


(輝いてるだろ)


児手柏は、最後に一歩踏み鳴らし、動きを止めた。


照明が、収束する。


静寂。


そして。


児手柏は、ちらりと清水を見る。


口角が、ほんの少し上がる。


清水は、息を吐く。


「……馬鹿だな」


短く、しかしどこか柔らかい声。


「そんな顔、できるなら」


一度、目を伏せてから、舞台を見上げる。


「……最初から、そうしていろ」


児手柏は、肩をすくめる。


「今さらだろ」


清水は、もう何も言わなかった。


ただ、舞台を――

最後まで見届ける側として、そこに立ち続けた。


暗転。


照明が落ちる。


これは、勝敗の幕ではない。

誰が、どんな輝きで立ち続けるか。


それを確かめるための、終幕。

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