第14話
廊下を抜けた先、舞台裏へ続く回廊で、生駒は足を止めた。
空気が変わったのを、肌で感じたからだ。
甘く、鋭い。
花の香りに似た気配。
「……やっと来た」
低く、やや震えを含んだ声。
柱の陰から現れたのは、歌仙兼定だった。
舞台衣装の裾は完璧に整えられ、立ち姿も美しい。
だが、その瞳だけが、舞台の照明を外れた暗さを帯びていた。
「歌仙」
生駒は名を呼ぶ。
それだけで、歌仙の口元がわずかに緩んだ。
「その呼び方…… 声の高さも」
一歩、近づく。
「君はいつだってそう。
誰に対しても優しくて、正しくて……
昔の“あの人”と、そっくりだ」
甘い声色。
しかし、距離の詰め方は一方的だった。
一歩、また一歩。
生駒の逃げ道を塞ぐ位置取り
「刀剣を見るときの、その目。
“役割”じゃなくて、“存在”を見てるところ」
歌仙は自分の胸に手を当てる。
「昔、あの人もそうだった。
誰よりも刀に優しくて……
それでいて、誰のものにもならなかった」
言葉が、少しだけ歪む。
「だから、君を見たとき……
ああ、って思ったんだ」
くすり、と笑う。
「この人を支えたい。
この人の隣に立ちたい。
……この人を、独り占めしたい、って」
生駒は答えない。
否定も、肯定もしない。
それが、歌仙をさらに昂らせた。
「けれど、俺はその人ではない」
歌仙の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……同じことを言うんだね」
その声には、安堵と失望が混じっている。
「そうやって線を引くところまで、そっくり」
歌仙は一歩下がり、舞台の方を見る。
「だったら、なおさらだよ」
振り返り、生駒を見つめる。
「児手柏のところへ行くんでしょう?」
問いではなかった。
「どうして?」
歌仙の声は、柔らかい。
だが、その奥に沈殿した感情は、濁っている。
「舞台なら、僕がいる。
主演だって務められる。
客も、運営も、皆が認めてる」
「僕は立てる。
僕は、もう輝いてる。」
一歩、また一歩。
生駒との距離が詰まる。
「それなのに――
どうして君は、舞台に立てない刀ばかり見るの?」
生駒は、静かに視線を合わせた。
「歌仙」
「……ねえ」
被せるように、歌仙が言う。
「君が支える役をするなら、僕が主役でいいでしょう?
そうすれば、舞台は成立する。
誰も傷つかない」
その言葉は、理屈としては正しかった。
だからこそ、歪んでいる。
「児手柏なんて、いないほうがいい。
今の舞台には、ふさわしくない」
歌仙の声が、ほんの少しだけ強くなる。
「焼けた記憶に縋って、立てなくなった刀なんて……
君の隣に立つ資格、ない」
その瞬間だった。
「……それは」
生駒が、初めて言葉を強めた。
「君の言葉じゃない」
歌仙の瞳が揺れる。
「歌仙。
君は、本当にそう思っているの?」
沈黙。
歌仙は、唇を噛みしめた。
「……違う」
小さく、絞り出すように。
「違うよ。
わかってる。
児手柏は、悪くない」
視線を逸らし、しかし離れない。
「でも……
君が、彼を見ているのが、耐えられない」
自分の価値を疑いながら、それでも手放せない執着。
「君の隣は、僕の場所だったはずだ」
生駒は、ゆっくりと首を振った。
「歌仙。
君は、もう輝いている。」
それは承認だった。
だが、選択ではない。
「だからこそ――
代役には、なれない」
歌仙の目が、見開かれる。
「代役……?」
「児手柏の代わりに立つことは、
彼の居場所を奪うことになる」
生駒は、優しく、しかし確かに言った。
「俺は、それをしたくないよ」
歌仙は、しばらく黙っていた。
やがて、無理に笑う。
「……そっか」
背を向ける。
「じゃあ、行けばいい」
振り返らずに、言う。
「でも覚えておいて。
舞台は、待ってくれるとは限らない」
そして、最後に振り返り、歌仙は囁く。
「刀剣に優しいところ、ほんとあの人にそっくり…」
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