第9話
舞台裏は、夜よりも静かだった。
照明の届かない通路で、清水藤四郎は壁にもたれて立っていた。
視線はずっと、床に落ちた光を見ている。
――あれほど、輝いていたのに。
小夜左文字が、気配を殺して近づく。
「……清水」
「来るな」
短い拒絶だった。
だが声には、怒りよりも疲労が滲んでいる。
「児手柏のこと?」
清水は答えない。
けれど、その沈黙こそが答えだった。
小夜は、少し間を置いてから言う。
「輝きって、いずれは消えるものだよ」
清水の肩が、わずかに揺れた。
「……違う」
絞り出すような声だった。
「あいつは、消えちゃいけなかった」
清水の脳裏には、
かつて舞台の中央に立つ児手柏の姿が焼き付いている。
焼けてもなお、
誰よりも大切にされ、
誰よりも“生きていていい”と証明された刀。
その姿は、清水にとって――
救いそのものだった。
「焼けたって、折れたって……
それでも舞台に立てるって、あいつが示してくれなきゃ」
拳が、震える。
「それなのに……
靴が壊れただけで、逃げるなんて」
言葉が、刃になる。
「輝きを失ったあいつを見るくらいなら……」
清水は、そこで言葉を止めた。
小夜は、静かに首を振る。
「清水」
「分かってる」
清水は、顔を上げない。
「分かってるんだ。
これは、俺のエゴだ」
児手柏が輝いていれば、
自分も救われる気がしていた。
舞台に立ち続けるあいつを見ていれば…
清水藤四郎は、あの火を見ていない。
焼け落ちる刃も、
崩れゆく蔵も、
悲鳴も、煙も。
すべて――
後から聞かされた話だった。
だからこそ、清水は信じ続けていた。
――児手柏は、焼けて失われてなんかいない。
誰かがそう言うたび、
清水は首を振った。
違う。
あいつは、そんな簡単に消える刀じゃない。
焼けたとしても、
折れたとしても、
誰かに忘れられたとしても。
それでも、
舞台に立つ資格を失うはずがない。
清水にとって、児手柏は
「失われなかった証」だった。
戦も、火も、時代も越えて、
なお大切にされ続けた刀。
――それが本当なら。
自分たちが信じてきたものも、間違っていなかったはずだった。
だから。
だからこそ。
今、舞台に立てず、
靴を壊し、
逃げるように消えた児手柏の姿が、
清水には――
“失われた”ように見えてしまった。
「……嘘だろ」
誰に向けた言葉でもない。
遠くで聞いた知らせを、
必死に否定し続けてきた、その時間すべてが、
音を立てて崩れていく。
「お前は……
失われてなんか、いないはずだろ」
震える声は、祈りに近い。
清水は、拳を握りしめる。
――輝いてほしかった。
焼けたかどうかなんて、問題じゃなかった。
折れたかどうかも、関係なかった。
輝き続けてくれさえすれば、
俺は信じ続けられた。
だから。
だからこそ。
今の児手柏は、
清水にとって――
信じ続けた世界そのものを否定する存在になってしまった。
「……せめて」
呟きは、刃よりも鋭い。
「せめて、俺の信じたままでいてくれ」
――だから。
「輝かないなら……終わらせるべきだ」
その言葉は、祈りの形をしていた。
小夜は、一歩踏み出す。
「それは、助けじゃない」
「分かってる!」
清水が、初めて声を荒げた。
「分かってるから……
俺がやるしかないんだ」
誰かが止めれば、
児手柏はまた舞台に戻るかもしれない。
それが、清水には耐えられなかった。
輝かない姿で、
“生き続ける”ことを選ばれるくらいなら。
清水は、ゆっくりと刀に手をかける。
「……行くの?」
小夜の問いに、清水は頷いた。
「最後に、もう一度だけ」
それが、祈りなのか、
絶望なのか、
清水自身にも、もう分からなかった。
だが確かなのは――
このままでは、誰かが血を流すということだけだった。
静寂の中、
小夜は清水の背中を見送りながら、心の中で呟く。
――どうか、間に合って。
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