第8話
舞台袖を抜けた廊下は、さっきまでの熱が嘘みたいに静かだった。
生駒光忠は、まだ胸の奥に残るざらつきを振り払うように歩いていた。
「……児手柏」
名前を呼んでも、返事はない。
「あっ」
前方で、ひょいと誰かが顔を出した。
「ねえねえ、今の舞台見た? すごかったよね!」
声が高い。
無邪気で、やたらと距離が近い。
「日本一則重……」
「あのねあのね! 歌仙くん、めっちゃ光ってた! ピカピカだった!
でもね、なんかね――」
日本一は首を傾げ、言葉を探す。
「――ちがう、って思った!」
その後ろから、ゆっくりと包丁正宗が歩いてきた。
「まあまあ、日本一。
そういうの、言語化しなくていいんだよ」
包丁は生駒を見つけて、にやりと笑う。
「生駒、探し物?」
「……うん」
生駒は頷いた。
「児手柏が、いなくなった」
「あー、だから歌仙が。」
包丁は軽く肩をすくめる。
「だと思った。
あの空気、耐えられるタイプじゃないもん」
「ねえねえ!」
日本一が割り込む。
「あのねあのね、さっきね!
くつ! 落ちてた!」
「靴……?」
生駒の足が、止まる。
生駒光忠は、手にしたままの靴を見下ろした。
舞台用に誂えられたはずのそれは、つま先が焦げ、革がひび割れている。
踏み出すたびに、役を与えるはずだった舞台が、逆に刀を傷つけることがある――
この劇場では、そういうことが起きる。
ここ、栄華館はただの舞台ではない。
刀剣たちの記憶と心象を材料にして成り立つ場所だ。
演じるほどに、過去が呼び起こされ、
立てば立つほど、現実の傷に触れてしまうこともある。
だからこそ、舞台に立てない刀がいる。
「……靴って」
生駒は顔を上げ、二人を見る。
「これのこと?」
「あ、それそれ!」
日本一則重が、ぱっと指をさした。
「あのねあのね、それ!
さっき落ちてたやつ!」
包丁正宗は、靴を一瞥してから、肩をすくめる。
「やっぱり見つけてたか。
触らない方がいいと思ったけど……もう遅かったね」
「焼けた記憶?」
生駒が訊ねると、包丁はあっさり頷いた。
「そ。
靴ってさ、舞台に立つための“許可証”みたいなもんでしょ」
日本一が、うんうんと大きく頷く。
「立てないときのやつだよね!」
「児手柏は、
“履けなくなった瞬間”を、もう一回踏み抜いちゃったんだと思う」
包丁の声は軽いが、言っていることは重い。
「焼けて、誰にも見向きもされなくなったとき。
あの感じが、戻ってきた」
生駒は、靴を強く握った。
「……だから、裸足で?」
「たぶんね」
日本一が、少しだけ声を落とす。
「あのね、あのね……
裸足で逃げるときって、戻るつもりないときだよ」
生駒の胸が、ざわりと揺れた。
この劇場には、いくつもの「行き止まり」がある。
幽夢の境、奈落、そして――
舞台に立つことを、自分からやめてしまう場所。
児手柏は、そこへ向かおうとしている。
「どっちに行った?」
「裏だよ」
包丁が即答する。
「三途側じゃない。
でも、気持ちが落ちる方」
「……行く」
生駒は、迷わなかった。
「今行かないと、
もう“迎えに行く理由”が消える気がする」
日本一は一瞬きょとんとしてから、にぱっと笑った。
「じゃあさ!」
「?」
「ちゃんと一緒に帰ってきてね!」
包丁も、ひらりと手を振る。
「主役じゃなくてもいい。
でも、連れ戻す役は――今、生駒だ」
生駒は頷き、走り出す。
壊れた靴を、答えにするために。
裸足で逃げた刀を、舞台へ戻すために。
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