第3話

舞台袖は、いつもより眩しかった。


 照明が強いわけじゃない。

 ただ、今日はやけに視線が集まっている気がした。


「……なに」


 児手柏は小さく鼻を鳴らし、顎を上げる。

 見られるのは慣れている。

 そういう役だ。

 そういう刀だ。


 ――そのはずだった。


 踏み出した瞬間、足元で異音がした。


 ぱきり、という、乾いた音。


 拍子木でも、照明のトラブルでもない。

 自分の足元から鳴った音だと理解するまで、ほんの一瞬の間があった。


「……え?」


 次の一歩で、確信に変わる。


 足が沈む。

 支えが、ない。


 児手柏は思わず立ち止まり、視線を落とした。


 靴のつま先。

 裂け目が走っている。


 縫い目の奥から、焦げたような黒が覗いていた。


「……っ」


 息が、詰まった。


 それ以上見たくないのに、目が離れない。

 裂けた革の縁。

 歪んだ形。


 その色と形が、記憶を無理やり引きずり出す。



 ――火。


 ――赤くて、熱くて。


 ――触れたら、終わりだった。


 焼け焦げた自分の身。

 置かれたまま、誰も近寄らなかった時間。


「……やめろ」


 低く呟くが、過去は止まらない。


 ――「大事な刀だったのに」


 ――「でも、もう……」


 続きの言葉を、何度も聞いた。

 言われなくても、わかっていた。


 使えない。

 飾れない。

 舞台になんて、立てない。


 胸の奥が、じくりと痛んだ。



 ぐらり、と身体が傾く。


 裂け目が広がり、靴底が剥がれかけていた。


「……っ、なんで……」


 声が震えるのが、はっきりわかる。


 こんなところで。

 こんなときに。


 誰かが見ているかもしれない。

 そう思った瞬間、喉がひゅっと鳴った。


 児手柏は反射的に靴を脱いだ。


 ――履いていられなかった。


 足を守るはずのものが、今は刃みたいだった。


 床に裸足が触れる。


 冷たい。

 固い。


 舞台の床は、こんなにも無慈悲だったか。


「……あは」


 乾いた笑いが漏れる。


 裸足。


 焼けたあと、誰にも触れられなかったときと同じだ。


 守るものが、何もない。


「……また、こうなるんだ」


 呟いた言葉は、誰にも届かない。


 見られない。

 選ばれない。

 価値がない。


 その感覚が、じわじわと胸を締めつける。


 ――見向きも、されなくなる。


 それだけは、耐えられなかった。



 逃げよう。


 そう思った瞬間、身体が勝手に動いた。


 靴を拾う余裕なんて、ない。

 拾ったところで、直るわけじゃない。


 床に置き去りにされた靴が、やけに遠く見える。


 児手柏は、裸足のまま走り出した。


 舞台の光から、背を向けて。


 足音が、ぺたぺたと響く。

 頼りなくて、情けない音。


 それでも、止まれない。


 止まったら、思い出してしまう。


 焼けて、置かれて、忘れられた自分を。


「……追わないで」


 誰に向けた言葉かわからないまま、吐き出す。


 追われたら、壊れてしまう。


 だから、暗い方へ。

 誰も来ない場所へ。


 裸足の足裏が、少しずつ痛くなる。


 でも、その痛みが、罰みたいで。


「……これでいい」


 小さく、そう言い聞かせながら。


 児手柏包永は、舞台から姿を消した。

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