第2話
回廊を抜けると、舞台脇の控えスペースに明かりが灯っていた。
「遅いぞ、生駒」
先に声をかけてきたのは、包丁正宗だった。
腕を組み、壁にもたれている。表情は軽いが、目は舞台のほうを離していない。
「三光と話してた」
生駒がそう言うと、
「あー、なるほど」
包丁は納得したように頷いた。
「開幕前に“いい空気”吸っときたかったわけだ」
「……そんなつもりじゃないよ」
否定しかけたところで、横から勢いよく声が割り込む。
「ねえねえ! 生駒くん!」
日本一則重だった。
年若い声で、身振りも大きい。
「あのねあのね! さっきから探してたんだよ!」
「探してた?」
「うん!」
日本一は懐から一枚の紙を取り出した。
舞台進行表。
主役欄だけが、ぽっかりと空いている。
「あのね、ここ!」
指でトントンと叩く。
「名前、まだだよ!」
生駒は一瞬、言葉を失った。
「……まだ、決まってないだけだ」
「でもね」
日本一は首をかしげる。
「あのね、決まってないってことはね
“決めてない”ってことだよ」
包丁が溜息をつく。
「だから言い方だって……」
「あのねあのね!」
日本一は止まらない。
「舞台ってね、名前がいるんだよ!
主役の名前! 物語の名前! 記憶の名前!」
生駒は静かに問い返す。
「……なかったら?」
「うん?」
「名前が、なかったらどうなる」
日本一は少しだけ考える仕草をして、すぐに答えた。
「あのね」
「あとで、思い出せなくなる」
その場の空気が、わずかに冷える。
「きれいだったね、とか」
「すごかったね、とか」
日本一は無邪気に笑う。
「でもね、“誰の話だっけ?”ってなるんだ」
包丁が視線を逸らした。
「……だからさ」
生駒は低く言う。
「今日は、主役を決めない」
日本一は目をぱちくりさせる。
「どうして?」
「まだ、立てないやつがいる」
包丁が、ぴくりと反応する。
「……ああ」
日本一は首を傾げたまま。
「あのね」
「立てないって、来てないってこと?」
「そうだ」
生駒は、舞台とは逆の方向を見る。
「迎えに行く」
一拍、沈黙。
包丁が先に口を開いた。
「……あそこか」
日本一は、少しだけ声を落とす。
「あのね」
「あそこ、静かだよ」
生駒は頷く。
「だからだ」
日本一は、しばらく生駒を見つめてから、にこっと笑った。
「あのね、生駒くん」
「なに?」
「連れてこれたらね」
小さな声で、しかしはっきりと。
「今日の舞台、ちゃんと“残る”よ」
生駒は、紙を受け取り、主役欄の空白を一度だけ見つめた。
「……残すさ」
そう言って、彼は踵を返した。
主役のいる場所を目指して。
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