ベツレヘムノホシ

緋舒万燈剣

ベツレヘムノホシ

 僕の家は昔から、お屋敷と言われる程に広かったし、装飾も派手だった。西欧の城のようにあしらわれた外装に、噴水のある広い庭と多種多様な植物が盛る温室。それらすべてが風変わりな雰囲気を作り出し、この家を周りの家々とは異なるなものに仕立て上げている。

 本物のお城のように尖塔がある訳でも、ましてや偉大な栄誉のある王様が住んでいる訳でもないけれど、小さい頃から僕にとって大きすぎるこの場所が大好きだった。

 もうおわかりだろうが、僕は由緒ある家庭に生まれた。父さんは先代から伝わる世界的に有名な先進企業のお偉方で、弁護士だった母さんは不慮の事故で四年前に亡くなった。ふたりとも、西欧文化が好きと馬が合い、結婚式を挙げた年にはハネムーンを言い訳に月に一度は必ず欧国に赴いては、羽根を伸ばしていたそうだ。

 僕は、そんな父さんも母さんも大好きだった。ふたりの帰りを待つためにハイスツールに座り、地面に着かない自由な足をバタバタと忙しなく動かしながら、お城に仕える執事バトラーが一日かけてやっと磨ききれるくらいの大きさの窓から家の門をぼんやりと眺めてた。

 それが、六年くらい前の丁度このくらいの時期だった。


 母がいなくなって、大好きだった父は変わっていった。数年前より、仕事に専念するようになった。家での会話が減った。

 何より、あまり家に帰って来なくなった。毎年祝ってくれた誕生日には、大きなホールケーキとお祝いの言葉と、プレゼントだってもらった。でも今年の、僕の十歳の誕生日にいたっては「おめでとう」すら言ってはくれなかった。

 仕事で、海の向こう側に行ってしまったから。

 もちろん、父さんの仕事は僕にとっても誇れるものだし、社員やその他からも人望が厚くて、目標とも言える存在だ。十歳になったから弱音やわがままは言えない。

 けど、寂しい。すぐに会えないとわかっているからこそ「次」の再会が待ち遠しい。

 友だちはみんな優しいし、みんなといるのは楽しいはずなのに胸にぽっかり穴が空いているみたいに笑えなかった。

「お坊ちゃん。私に何でも言ってください。お坊ちゃんが悲しいお顔をしていたら、お父様もご心配なされますから」

 それでも、使用人のノーマンが、こうやっていつも慰めてくれるのは嬉しかった。


 ある日、父さんから手紙と小さなキーケースが届いた。

「お坊ちゃん、お父様からお手紙が……!」

 ノーマンは嬉々として、僕にそれを手渡した。

 僕は驚き半分、嬉しさ半分でそれらを受け取り、自室に籠った。

 手紙には以下の内容が綴られていた。



Dear Rui


 誕生日おめでとう。当日に祝ってあげられなくてごめんね。もう二ヶ月も過ぎてしまったね。もう十歳になったんだね。

 父さんは、ルイが元気だと嬉しいな。

 メールとか通話でも良かったけど、なぜだか文字を書きたくなってね。それで、こうしてペンを執って書いているけど、なんだかむず痒い気持ちになってきたよ。

 それに、ここに書いておくけど、鍵は地下室のもの。父さんからのプレゼント箱の鍵だよ。大切に扱ってね。

 そんなことは置いておいて〝何で手紙なんか〟って思っているでしょう?

 実は、ルイに嘘をついていたことがある。

 ここから先は、ルイの気持ちが整っているときに読んでほしい。気持ちが整った、っていうのはつまり、特別楽しくもなく、特別辛くもなく、特別嬉しくもなく、特別何かを想っているときでもない、普通のとき。

 読み進める前に、父さんは、ルイが大好きで、大切で、言葉に表せないくらいに愛しているってことを知っていてほしい。

 そして、受け入れなくていいから、せめて受け止めてほしい。


 父さんは、重い病気を患っていてね。ルイがこれを読んでいるときには、もうこの世にいないかもしれない。

 ドラマのフレーズのようになってしまったけど伝えておかなくちゃと思ったんだ。手術が成功しても保って数ヶ月の命。延命の役割しかなさないから、仕事もできるかどうかわからない。

 それに、父さんが弱っているなんてことを知られたくなかったから。だから、ルイを置いて行ってしまった。唯一の治療を受けるために。

 これって、全くの独りよがりだよね。

 母さんがいないルイの十歳の誕生日に〝ルイは独りになる〟なんて悲しいプレゼントはしたくなかった。

 ルイは察しが良いから、電話だと声で調子が悪いことなんてすぐに見破られそうで、怖かった。

 仕事を言い訳に息子に嘘をついて、置いてけぼりにするなんて我ながら酷い父親だね。

 本当にごめん。


 関係ないかもしれないけど、この手紙が届く日は、手術は終わっているはずなんだ。

 もし、こんな父さんでも会いたいって思ってくれるなら、会いに来てほしい。


 気長に待っているから。


From dad



 手紙を読んだ僕は一晩中泣き喚いた。年が二桁になって、背伸びをしていたことも忘れて、ひたすらに嗚咽を漏らした。

 後半は何を書いてあるのか涙で視界が滲んでしまってよくわからなかった。でも、だからといって、もう一度読みたいとは思わなかった。

 その日から一週間は、学校にも、習い事にも行かず、お腹の減らない生活をしていた。気持ちがぐちゃぐちゃで。何も食べたくない日が続いた。

 それでもノーマンは、毎日僕を起こして、料理を作ってくれていた。

 

 そんなある日、涙でぐしゃぐしゃになった封筒が閉じてあるシーリングワックスの隙間から、これまたぐしゃぐしゃになってしまっている一枚のカードが入っていることに気がついた。

「何、これ?」

 おずおずと、それらを確認するとコンピュータ打ちで「1973」とだけ書かれていた。

 僕は、その数字に見覚えがあった。

「父さんの会社が創業した年だ……!」

 つい、言葉を発してしまったが自室だということに安堵した。

 そう言えば、父さんからの手紙には〝父さんからのプレゼント箱の鍵〟なんていう、よくわからないフレーズが書かれていたことを思い出した。元々、地下室の出入りは禁止されていたけどプレゼント箱ならば、開けざるを得ないし、単純に気になる。

 今日も学校をサボってしまったけど、誕生日プレゼントを開けるのだから仕方がない、と自分に言い聞かせ、父さんの書斎の前に立った。

 地下室は、この部屋の奥にある。絶対に入ってはいけない場所は今となっては自分のものなのだ。だからなおさら、この目で確認したい。

 父さんからのプレゼントを。

 ガチャリと音を立てて金属製のアナログなドアノブを回す。

 僕は、父さんの書斎がこの家で一番お気に入りだった。近代的で真新しい外装とは裏腹に、部屋中の木製の本棚には、古書や紙資料がわんさかと溢れている。その匂いも薄暗さも、僕にとって居心地の良い場所だった。

 中央にはヴィンテージなデザインのランプが乗っている机。その裏に地下室への扉がある。

 僕は、懐中電灯を片手に、迷わずその扉のもとに駆け寄り、おそるおそる扉を開ける。

 扉の先には、階段が続いている。僕は意を決して、暗くて足場の悪い地下室への階段を、一歩ずつ慎重に下っていった。

 足音がよく響いてうるさいくらいだ。床は生憎のコンクリートで、靴下越しにひんやりとした冷たさが足取りを鈍くさせる。

 懐中電灯では心許なく、暗くて寒い。おまけにホコリが舞ってせ返る。

 やっとの思いで見つけた部屋の蛍光灯のスイッチは、広い地下室の隅の方だった。

 僕は、その薄暗い光に誘われるように、とぼとぼと歩みを進めた。


「アンド、ロイド…?」

 僕より背の高いソレをアンドロイドだと認識したのは、父さんの会社が、そういった「もの」を作る会社で、近年それが汎用化しているからだと思う。

 ホコリまみれの場所にあるにも関わらず、傷や汚れが一切なく、新しいのが妙に不自然で目立っている。

 早速僕は、本体の起動スイッチやリモコン、カードの挿入口を手当たり次第探したけど、見当たらない。

 ただ台の上に立っているだけ。無機質な瞳は少し恐怖心をくすぐられる。

「本物の人間みたいだ」

 ――首に刻まれた文字・・以外は。

「Prototype1973……」

 これが僕へのプレゼントなのだろうか。

 童話やお伽噺の世界では、王子様がキスをするとお姫様は長い眠りから覚めたりするけど、そういうのはアンドロイドに伝わるのだろうか。

 でも、見たところ男っぽいし、子供ながらにキスははばかられる。


 そこまで考えた僕は、ふと父さんが言っていたことを思い出した。

『人の体温で起動させるアンドロイドを開発したい、なんて思っていてね。お伽噺のお姫様が王子様からのキスで目を覚ますのと同じで、僕の作ったアンドロイドを愛する人と同じように起こしてもらいたいんだ』

 あの時の画面の向こうの父さんは、母さんを亡くした悲しみから必死に抜け出そうとして、そんなことを言っていたのかもしれない。

 真意はわからない。でも、今すぐにでもこのアンドロイドを起こさないといけない。

 僕は直感でそう感じた。

 会いに行かなくてはいけない「父さん」はここにいると。

 僕は、父さんにしてもらったことの中で、いちばん嬉しかったことを考える。

 僕の努力と成果を褒めるときに頭を撫でてくれたこと。遊園地へ行ったとき、大きくて温かい手で、僕の手をしっかりとつないでくれたこと。小さい頃は毎晩のようにしてくれていた、額への優しいキスのこと。

 でも、僕が何よりも嬉しかったのは、僕に「愛してる」と言って、強すぎも弱すぎもしない力で僕のことを抱き締めてくれたことだった。


 思い至ると、僕はゆっくりとアンドロイドの腰に腕を回し、ちょうど腹部の辺りに耳をくっつけるようにして目を閉じた。

「起きてよ。父さん」

 すると、目に光が点り、無機物であるはずのアンドロイドの体に僕の体温が移ったかのように温かくなった。

「おはよう。ルイ」

 数年前まで、毎日のように飽くほど聞いた声が聞こえた。反射的に顔を見上げると、さっきまでアンドロイド特有の無機質な顔をしていた男性の顔が、父さんそっくりの顔になっていた。

 そういうプログラムなのかもしれない。

 幻覚の可能性だってあるけど、今はまだこの温かさに浸っていたかった。

「お、はよ…とうさん……」

 僕は泣きそうになりながらその台詞に答える。

「ルイ、起こしてくれたんだね」

「うん」

「ありがとう」

 微笑んだ顔も父さんそっくりだ。

「どういたし…まして?」

 それに対する僕の返しが面白かったのか、アンドロイドの口の端から「ふふっ」と声が漏れる。

「父さん、もう動けないんだ。手術は成功したけど、植物状態で声も発せられない。だから、ルイが聞いているこの声は、思考の転送装置で読み取った脳の周波を音声出力装置に代替させえいるだけの偽物なんだ」

「そ、そんな」

 動揺が隠せない。

「今の父さんと直接会ったとしても目を合わせることさえできない。だから、このまま話を聞いてほしい。お願いだよ」

「わかった……」

「いい子だ。ルイの声も父さんに聞こえているから、気になったことがあれば、訊ねてくれてもいいんだよ」

「……うん」

「まず、誕生日おめでとう。もう数ヶ月も前のことだけど言いたかったんだ。十歳のルイが見られなくてやるせない気分になるけど、こうして声が聞けて嬉しいよ」

「ぼ、ぼくだって…うれしい……嬉しい、けど……」

 嬉しさと寂しさが相まって、堪えていたよくわからない涙が頬を伝う。言葉も上手く話せない。ここ数日の僕は、ことあるごとに泣いている気がする。ずっと泣いてばかりだ。

「誕生日プレゼント、渡しそびれていたね。ルイは、父さんからのプレゼント、受け取ってくれるかい?」

「プレ、ゼント……?」

「そう。十歳の誕生日プレゼント。……でも、これだけは伝えておくね。もしかしたら、ルイにとって重すぎるものかもしれないんだ」

「重すぎる…もの……?」

 言葉を反芻する。

「父さんからのプレゼントは、決して小さいものでもないし、その分…重大な責任を伴う。それでも、父さんはルイならきっとできるって信じてるし、ルイに託したいんだ。どうだい?受け取ってくれるかい?」

 声は、芯の通った揺るぎのないもので、根拠や理由なんて聞くに足りない気さえした。

「わかった…。僕、受け取る……!」

 多分、淀みのない顔をしていたと思う。本当の自分を見ることなんてできっこないからわからないけど、僕は世界でいちばんの自信をもって、僕の父さん…いや、社長・・から意志を継いだ。

「では君を第五代『RE.EPOCH社』の社長に任命する」

 父さんの嬉しそうな笑顔のおかげで、その重みを直に感じることはなかった。それはオブラートに包まれた鉄の塊のようでもあり、雲の隙間から射す光の梯子のようでもあった。


「僕はルイの母さんを愛したんだ。だから、ルイを見捨てるわけがない。僕が死んでしまうのは単なる別れじゃないんだ。僕も母さんもルイのことを愛してる。だから前に進んでほしい」


 涙が溢れた。止まらない。

 地下という閉鎖された空間も相まって、いずれ涙の海ができて溺れてしまうのではないかと思うほど泣いた。

 何より、『愛してる』の言葉が嬉しかった。

 だから涙が静かに頬をつたっても、際限なく目から涙が溢れても、嬉し泣きかどうかなんて判断できなかった。


 アンドロイドはもう動かない。

 また僕が抱きしめたとして、そしたら起動するかもしれないけど、もう本来の役割は果たされたから。

 だから、無理に起こさない。


 それに――。

 必ず、またどこかで会える気がするから。


「任せてよ、父さん」




『孤独な者よ、君は創造者の道を行く。』

           フリードリヒ・ニーチェ

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