第3話 眩い日々➂

「お邪魔しました」

「また来週お願いね」

玄関先で僕に手を振る生徒の母親に一礼して家庭教師先のお宅を出ると、外は3日ぶりに粉雪が舞っていた。

急ぎ足で、駅の地下道へと続く階段を下りる。

時刻は21時を過ぎていて、さっぽろ地下街のお店はどこも閉まっていた。

「結構疲れてるんだけどな」

今日の夕方、バイトへ向かう準備をしていると、突然リサさんから電話がかかってきた。

「今から送るリンクのお店に、今日の24時までに行くこと、絶対だからね」

それだけ言うと、リサさんは電話を切った。送られてきたお店の住所に従ってたどり着いたのはレンガ造りの廃墟ビルだった。

何回確認しても場所は間違っていない。

中に入るかどうかためらっていると、仕事終わりのサラリーマンや、少し疲れた風のOLさん達が

ビルの前で立ちすくむ僕の隣を通り過ぎて、次々に建物の中へと吸い込まれていった。

僕も意を決して彼らの後ろに続き、閉まりかけたエレベーターへ飛び乗った。

あまりの不安と緊張で、自分が息をするのを忘れていることに気が付いた頃、

6階で止まったエレベーターの扉が開いて、柔らかなオレンジ色の光と、軽快な音楽が僕の目と耳に飛び込んできた。

そこは、リサさんが送ってくれたお店の入り口だったのだ。

意表を突かれた僕がその場でしばらく佇んでいると、

「一名様でしょうか?」

入口のすぐそばにある厨房から、少し驚いた顔をした彼女が僕を見つめていた。



カフェ「once upon a time...」

彼女が働くその場所は、仕事帰りの大人たちで溢れていた。

「来るなら言ってくれればよかったのに」

少し拗ねたような顔をして出てきた彼女は、僕をカウンター席へと案内してくれた。

「こちらメニューになります」

お冷とともに手渡された縦長のメニュー表に目を通す。今はものすごく甘いものが食べたい。

そう思って、僕はミルクティーとカスタードプリンを注文した。

「ビールもあるけどいいの?」

僕のオーダーを受けた彼女がクラフト紙にメモを取りながらこちらに視線を向けてくる。

「はい、ミルクティーで」

「かしこまりました。マスター、ミルクティーHOTとプリン固めです」

彼女が僕に向かってふっと微笑みかけると、

「彼、知り合いなの?」とマスターが尋ねた。

「そうなんです、可愛いでしょ?」

「アヤちゃん、可愛いはないよ、かわいそうだろ」

すかさず、僕の隣に座っていた60代ほどの男性が彼女につっこんだ。

「そうですか?私にとって、可愛いは最高の誉め言葉なんですけどね」

そう言って、彼女は、予め用意しておいたカップにホーロー鍋からミルクティーを注ぎ、

マスターがどこからともなく取り出したプリンの頂上に、慎重な手つきでホイップクリームをトッピングした。




僕が家庭教師のアルバイトにかこつけてonce upon a time...に通うようになってからしばらく経った大雪の日の夜、

さすがに歩いて帰るのはかわいそうだからと、彼女はすぐ近くにある自宅に僕を上げてくれた。

それなのに、

「どうして」

嗚咽がこみあげて止まらない。

あんなにたくさん笑ってくれたじゃないか、あんなに僕といると楽しいって言ってくれたじゃないか

彼女の言葉は、僕にとって理不尽な拒絶に感じられた。

彼女は少し困ったような顔をして僕を抱きしめ、背中をさすってくれた。

「大丈夫だよ」

しばらくして、やっと泣き止んだ僕の顔を、彼女はいたずらっぽさと心配が混ざり合った顔で覗き込んだ。

「笑わないでくださいよ、こっちは真剣だったのに」

「ごめんごめん」

僕たちはなぜか、今の状況がおかしくなってしまって体を震わせながら笑った。

絨毯の上に寝ころんで、向かい合うこと数秒、

どちらからともなく、キスを交わした。

せっかく初めて好きな人の体温をこんなに近くで感じられるのに、

彼女のどこに触れてもつかみどころがなく、おまけに僕はずっと涙の味がしていたと思う。




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