第2話 分水嶺

 フォルディア王国に魔族が迫るという噂話が現実となった翌日。ハイネルトの冒険者ギルドでA級パーティーとなっていた“黎明の剣”に終止符が打たれようとしていた。


 あれから三年——ハイネルトの冬の空気は相変わらず凍てついていた。


 朝の鐘が鳴ったばかりだというのに、ギルド前の広場にはいつもより人が多かった。たまたま皆が早起きしただけだ、とセラは思おうとした。


「本当に行くんだね」


 セラの言葉にユアンは照れたように頭を掻いた。


「当たり前だ、義勇軍の招集だぞ? フォルディア中の猛者を集めなきゃいけない事態なんだ。黎明の剣の英雄様が、こんなところで遊んで良いはずがない!」


 言葉は軽い。だが彼の背負ったクレイモアはしっかりと地面から離れ、ずっと傷だらけになっていた。


「……無理はしないで」


 セラはそれだけ言うのが精一杯だった。彼女の生まれ育ったこの街から、果敢に飛び立つ若者を止める言葉を知らなかった。ユアンは不安そうなセラに一瞬きょとんとし、それから大きく笑った。


「何言ってんだよ。僕は英雄になるんだから、無理くらいするさ。セルジュに教わった魔法もあるしな!」


 セラは笑えなかった。魔法も使いこなす万能型となったユアンは、ときに無理が過ぎることが多かったからだ。


「安心しろ、王国の盾たるセイラント侯も騎士団を動かすのだ。こいつが無理をするなら俺が止める」


 擦り傷ですっかりくすんだ、いつもの銀色の鎧ではなかった。騎士団の正装たる真鍮色の鎧を身につけたクラウスが、ユアンの肩に手をかけた。セイラント騎士団の剣と盾の紋章が朝日に輝いていた。


「セラ、ちゃーんとあたしが近況を知らせる手紙を出すから! そんな心配そうな顔しないで、ね」


 がらがらと馬車を引いて来たミーナが心配するセラに笑顔を向けた。馬車の荷台に所狭しと物資が積み込まれていた。


「……おい、けちんぼのお前さんにしちゃ食糧が多すぎないか? どれだけ籠城する気だ、その前に傷むぞ?」


 荷台を覗いたセルジュが疑問を呈するとミーナはにんまりと口角を上げて胸を張った。


「ぶっぶー! 残念でした。こんな時こそ商売でぇす! 武器に防具に薬に日用品の魔道具。ハイネルト産のものは王都じゃ評判が良いんだよぉ?」


「けっ、商魂たくましいこった。早死にする心配もなさそうだな」


 呆れ顔で肩をすくめるセルジュにミーナはにひひと笑った。


「うまく行けば一旗上げられると思うよぉ。そうしたらハイネルトにもいい流れ持ってこれると思うんだぁ」


「そう、期待してるね」


 無理をして笑ったセラの胸の奥に小さな棘が残った。期待している、嘘ではない——ずっと商会の夢を語っていたミーナの成功を祈らずにはいられないというのに。


「戻ってくるよね?」


 思わず口をついて出たセラの言葉に、ミーナは少しだけ困った顔をした。


「もちろーん。……たぶん?」


 過剰な自信家ミーナのその言葉に、ユアンもクラウスも、セルジュでさえ声を出して笑った。セラだけが、その曖昧さが怖かった。


「騎士団からの正式な辞令だからな。次に戻る時は立場が変わっている」


「クラウスは騎士団長になったりして」


「ははは、そこまで功績が立てられれば御の字だ。俺は責務を全うするのみ。この黎明の剣の力を示してやるさ」


 誇らしげな声だった。セラは頷くことしかできなかった。


 俄かに周囲が騒がしくなる。旅団の先頭が出発したのだ。ユアンとクラウスがミーナが馭者を務める馬車に乗り込む。


「セラ!」


 走り出した馬車の荷台からユアンが叫ぶ。


「置いていくわけじゃない! だから——」


 セラにその言葉は最後まで聞こえなかった。ただ見えなくなるまで手を振る、振り返される。それだけの時間。


 王都へ救援隊として組織された冒険者たちは旅立った。ハイネルトの街を出て一路、王都へ。


 広場には、いつもの石畳と、いつもの凍てついた空気。そしてエストックを下ろしたセラ。


「……行ってらっしゃい」


 力もなく彼女は呟いた。動き出した街の喧騒にそれは飲まれた。ただ生まれ育ったこの街が好きな彼女の、心の隙間を喧騒が埋めてくれた。


「……セラ、話がある」


「セルジュ」


 三人を送り出す意味で決定した黎明の剣の解散。そこに同行しないと言った年上の呼び掛けは、セラの心を再び締め付けた。


「俺は行く場所を決めてない」


「自由人らしいね」


「縛られるのは性に合わんからな」


 セルジュはセラには興味がないように視線を逸らし、ぼそりと続けた。


「だが、初心を刻んだこのハイネルトがなくなるわけじゃない」


 その言葉はこの街に残るセラへの慰めだったのか。この後に冒険者の頂点を目指すと言い残して立ち去るセルジュの思わせぶりな言葉は、セラにはついぞ理解できなかった。


 朝の鐘は、変わらず街の歯車を回していた。止まることなく、置き去りにするように。


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