第3話 カラオケ特訓

 歌特訓の約束をした翌週の土曜。

 俺と黒牧さんは近場のカラオケにやってきていた。


「カラオケボックスに来るなんていつ以来かなぁ」


 あてがわれた個室に入ると、マイクが浮き上がり黒牧さんの靴がリズミカルに音を立てた。その拍子に、丈の長いベージュのスカートがフワリと揺れる。


 そう。


 今日の黒牧さんは私服を着ているのだ。

 派手すぎない落ち着いた服装だが、身体のラインがくっきりしているからつい目を惹かれてしまう。

 あまりガン見し過ぎないようにせねば。


「黒牧さん、カラオケは初めてってわけじゃないんだな」


 入口の扉を後ろ手で閉めながら、俺は隅っこの席に滑り込む。


「うん! 家族と何度か来たことはあるんだ~」


 マイクが机に着地し、今度は選曲端末が持ち上げられた。

 黒牧さんは機嫌よく鼻歌を口ずさみながら、操作法を確かめるように画面をタッチしている。


「じゃあ、とりあえずなにか歌ってみよう。どんな曲なら知ってるんだ?」


「えっとぉ。これなら歌えるかな。あ。繰り返しになるけどわたし、歌はホントに得意じゃないから。期待しないでね……」


 口では弱気なことを言っているが、その割には楽しそうにしてなかったか?

 ひょっとすると、苦手意識があるだけで歌うのが嫌いってわけじゃないのかもしれない。


 まあ、ひとまずお手並み拝見といこう。

 曲が注文され、モニターに楽曲名が表示される。

 知らない曲名だが、なにやら和の雰囲気を感じる文字列だ。

 スピーカーからどこか懐かしくもある哀愁を帯びたメロディが流れ始めた。


「ん? この曲ってまさか」


 黒牧さんがこぶしの効いた歌声を披露し始めた瞬間、俺は思わず声を上げていた。


「ストップ! ストップ!」


「はっ、はいっ! 止めますっ! や、やっぱりダメだったかな?」


 肩をびくつかせて、黒牧さんが速やかに演奏停止ボタンを押し、音楽が鳴りやんだ。

 ツッコミたいことは色々あるが、まずは一つ聞きたい。


「なぜに演歌を?」


「両親がよく歌ってたの。おかげで歌詞は丸暗記できてるから、いけるかなって」


 黒牧さんはマイクを身体の正面に構えたまま、気恥ずかしそうに答えた。

 なるほど、気持ちは分からんでもない。だが。


「歌配信の準備なんだから、リスナーが聴きたがる選曲にしないと練習にならないと思うぞ?」


「だ、駄目かなぁ? 一応、歌い慣れてるから演歌一本で行きたかったんだけど……」


「演歌ばかり歌うつもりだったのかよっ!」


 まさかの全曲演歌配信を敢行しかけている彼女に向かって、俺はリスナーとしての本心を吐露する。


「キララちゃんの歌配信でずっと演歌が流れてたら、サテメイトたちが混乱しちゃうだろ!」


「そっ、そうなの!?」


「そうだよっ!」


 歌が苦手とは言っていたけど、ここまでレパートリーが極端とは予想外だったぜ。


「もっと最近の曲で頼むよ」


「最近の曲かぁ。ならこれとか?」


 今度は見覚えのあるタイトルだ。なんかのアニメの主題歌になってたやつか。


 気が進まなそうな様子だったが、モニターに歌詞が表示されると黒牧さんの美声が室内に響き渡った。

 声はしっかり出ている。おまけになにやら簡単な振り付けのダンスまで踊ってくれた。

 キレのある動きに俺の目は釘付けになってしまう。


 一曲歌い終わり、一息ついた彼女は緊張した様子で尋ねてきた。


「ど、どうだった?」


 俺は満面の笑顔を作って返答する。


「うむ。確かにうまくはないな!」


 へたではないが、何度も聞きたいかと問われると頷きにくい絶妙なリズムの外しっぷりであった。


「うぐっ! わ、分かってたけどやっぱりショックかもぉ」


「でも、音痴じゃあないと思うぞ」


「え? そうなの?」


「たぶん、歌い方を理解していないだけなんだ」


 親の演歌を真似して歌っているせいで、変な癖がついてしまったのだろう。


「コツさえ掴めば普通にうまくなれるんじゃないかな」


「ほ、本当に?」


「ああ! さっそく練習を始めよう」


 そこからは俺にとってかけがえのない時間になった。

 腹式呼吸の使い方や母音を意識する発声。黒牧さんは教えたことをどんどん吸収していった。気分はまさしくアイドルのプロデューサーだ。


「どう? 今度はできてた?」


 2時間ほどの特訓の末辿り着いた歌唱に、俺は自然と拍手を送っていた。

 感動のあまり思わず涙ぐんでしまう。


「完璧だ。もう、俺に教えられることはない。最高だよ、キララちゃん――」


「やったぁ!」


 無邪気に飛び跳ねて喜ぶ黒牧さん。

 その姿に、ふと違和感を覚えた。


 完全に透明だった黒牧さんの顔が、うっすらと輪郭だけ見えたのだ。

 ステルス迷彩のように背景と同化してはいるが、空間が顔の形に歪んでいる。

 こんな見え方をしたのは初めてだった。


「須々木くん? どうかしたの?」


 目を擦っていると心配して黒牧さんが駆け寄ってきた。

 光の屈折の加減で、彼女がそこにいることが分かる。


「黒牧さんの顔が、見えそうなんだ」


「えっ、それって……」


 彼女の声色があっという間に様変わりする。


「い、嫌っ! 見ないでぇ!」


 黒牧さんは怯えたように飛び退き、両腕で顔を隠してしまう。


「ちょっ、もう少し顔を見せてくれよ。って、あれ?」


 瞬きを繰り返していると、彼女の肌に該当する部分はいつも通り見えなくなっていた。


「駄目だ。元に戻っちまった。なんだったんだ? 今のは」


「もしかして、病気が治りかけてるってことなの?」


 黒牧さんは恐る恐るといった感じで、腕を下ろす。


「分からん。まあ、まずは医者に相談してみた方がいいかもな」


「そ、そっか……」


 彼女の服に、手で握りしめたかのような皺が寄った。


「須々木くん。目の調子が良くないみたいだし、今日は大事を取ってそろそろ帰らない?」


 もっと遊びたい気持ちはあったが、彼女の気遣いを無下にするわけにはいかない。

 こうして、黒牧さんとのカラオケデートは幕を下ろした。

 だが、この時俺は彼女の本心に気づくことができていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る