第7話 再び

 体が動けるまで体力が回復したヒサトは行動を開始する。

 背後には空に向かって水が勢いよく吹き出す水景装置。どうやらここから排出されたようだ。


 服を脱いで汚れを払う。

 そこで左の二の腕に刻まれた『14142135623』という数字に気付いた。


「なんだこの数字?」


 気にはなったが、考えても分からないものは分からない。キャラクターの識別番号か何かだろうと勝手に推測し、何事もなかったかのように服を着る。


 噴水を背にして真っ直ぐに進む。

 最初に視界に現れるのは、空を貫かんばかりに高く聳える一本の巨大な樹木だった。


「すげぇぇぇ!!」


 日惺は興奮に身を委ねる。

 瞳はあらん限りに見開き、その壮大な光景に時を奪われた。


 その銀色の幹は天を支えているかの如く極太。幹の半分ほどの大きさをした枝は世界を覆い尽くすように四方八方に伸びる。

 重なりあって茂る金色の葉は瑞々しく、光を乱反射させて美しく煌めき、幻想的な世界を創り出していた。


 その美しい光景に吸い寄せられるように、ふら、ふら、と一歩一歩大樹に近づくヒサト。


 だが、その行く手を阻むように上から何かが大地に降り立つ。

 一際大きな着地音。立ちこもる土煙の中にソレは現れる。


 真蒼な顔に突き出た鼻。背には翼。身には山伏が着用するような服を纏い、手には手甲、脚部は布で覆っている。


 天狗だ。


 総身三メートルに届く巨大青天狗に、ヒサトは個体としての隔絶とした力の差を感じ取る。


(裏ボスかよ! しかも始まりの場所近くの隠しエリアって王道ストーリーまんまじゃないか)


 人の拳ほどの大きさをした金色の眼球が日惺を捉える。


 武器はない。身を守るような防具はなく、役に立つような道具も持っていない。しかもここではレベルという概念は無いが、敢えていうならレベルは1。


 戦闘経験が皆無の素人でも感じ取れる、肌がひりつくような緊迫感。お互いの能力差からこの場から逃げることも不可能であろう。

 ただ、唯一希望があるとすれば、


(こいつはどうみてもNPC。これがプレイヤーのわけがない。裏ボスなら向こうから何かアクションがあるはすだ)


「名は?」


(来たっ!!)


「ヒサトといいます」


「ヒサトといいます、か。長い名前だな」


「…………は?」


 ヒサトが告げたのはひどく冷めた、口調を強めた短い言葉だった。


「ふっ、ラニブラジョークだ、ヒサト」


 二度目である。

 このつまらない遣り取りにヒサトの顔から表情が消えた。


「そのジョーク全然面白くないですよ。むしろ、人をイラッとさせるだけですので二度とやらないで下さい」


「「……」」


 そして静寂によって冷静さを取り戻す。


「だぁぁぁぁぁ。ごめんなさい。今のなしで」


 無の表情が一変。両手を意味なく空中でさまよわせながら慌てる。


「ふむ。少し動くでないぞ」


 青天狗はヒサトに近寄り、右手を伸ばして頭に手を置いた。

 青天狗の表情は現れた時と変わらず、何を考えているのか分からない。


 このままプチッと押し潰されてしまうのではないかという恐怖心で生きた心地はしなかったが、大人しく青天狗の手を受け入れる。


「なんじゃ。おぬしの行動履歴、0.0000001秒で確認が終わってしもうたじゃないか。このラニブラが始まって321年経つが、初めてここを訪れた者がまさかこの程度しかこの世界に居ないとはのぉ」


 青天狗がヒサトの頭から手を離す。

 ヒサトは数秒前の厳しいツッコミにお咎めがなかったことに安堵する。


「まあよい。状況は理解した。おぬしが迷い込んだこの場所じゃが、ここはいわゆる『伝説』と呼ばれる場所での。冒険に冒険を重ね、悩みや苦しみを乗り換えた者が運を味方につけてようやく辿り着ける場所……だったのじゃがのぉ。どうやらそれは間違いだったようじゃ」


 伝説の場所。そこを人々は【憧憬の地】と呼ぶ。

 天から大地の底まで続く大瀑布。天空に浮かぶ大地。純金で出来た黄金都市といった、心が、魂が強く引きつけられる場所のことを指す。


「ここは八ヶ伝が一つ『巨樹』ユグドラシル。そして儂はその守護者『青震セイシン』じゃ」


 それはヒサトにとって実に納得できる内容だった。なぜならヒサトもこの場所に訪れて魂が震えた一人である。そのため、ここが伝説の場所だということを疑うことはなかった。


「さて。一つずつ説明しながら処理していくかの」


 青天狗の青震はその場に腰を下ろす。


「八ヶ伝に最初に辿り着いた者は、その場の守護者、ここでは儂のことじゃが、主従契約を結ぶ。おぬしが主で儂が従じゃ」


 青震は「手を触るぞ」と前置きしてヒサトの右手を掴むと、キャラクター情報を読み取り、自身と結びつけた。


「終わりじゃ。右の手首を見てみろ。儂の紋である13枚の羽根が束ねられた羽団扇が刻まれておるじゃろ。これで契約完了じゃ。ランキングも大幅に上がったはずじゃ」


「ランキング? なんのランキングですか?」


「……おぬし、何者じゃ」


 青震は気付く。目の前にいる男が321年の歴史を持つこの仮想世界に入って来たばかりだということに。


「何者といわれても。一時的だと思いますけど、ログアウト出来なくなって彷徨ってる者です」


 体が動かせない時に、十二分に冷やされた頭で今の状況を必死に考えた。

 その結果『ログアウトできない』『強制終了できない』これは監禁と同じで犯罪行為に当たる。このような危険なことを大手の制作会社が意図的に行うはずがない。ということは何らかの予想外のトラブルが起こったがために今の状況に至ってしまったのだと結論付けた。

 今頃現実世界では躍起になって問題解決に当たっていると考えると、心配は残るものの落ち着きを取り戻すことができた。


「ログアウト? なんじゃそれは」


 NPCなら知らなくてもいい情報ということだろう。


「このゲームの世界から出られなくなってるってことです」


「ゲームが何かは分からんが、この世界は仮想世界じゃぞ」


 NPCが仮想世界を理解しているのにログアウトを知らないという事実に違和感を覚える。


「まあ、そうでしょうね。現実ではありえないことばかりですから」


「ふむ。じゃあおぬしの言う現実の世界ではどこに住んでいたのじゃ?」


どうせ言っても分からないだろう。ヒサトは面倒に思いつつ軽い気持ちで答える。


「日本という所です」


「知らんな。 そのような名をした場所は存在したことがない」


 ああ、そうだろうな。という言葉しか頭に出てこない。期待していなかった分、その答えに対して特に思うことはなかった。


「まあ、そういう設定ならそうなんでしょうね」


「違う、設定とかそういうことを言うておるのではない。歴史を遡ってみても日本という場所は存在しとらんと言うておるんじゃ」


「まあ、そういう設定ならそうなんでしょうね」


「ええい、同じことを二度言うでない!!」


 茶化したわけではなく、本当にヒサトはそれ以外に言うことがなかった。


「そうじゃ、質問を変えよう。所属はどこじゃ?」


 青震の言い回しに再び違和感を覚える。


「所属? 日本ですよ」


「そうではない。それは住んでいた場所のことじゃろ? 今は船団の話をしとるんじゃ」


「船団?? 船なんか乗ってないですよ。だから、さっきから言ってるように日本っていう国から来たんですって!!」


 意味が分からない質問を繰り返す青震。ヒサトの表情に苛立ちが現れる。


「な、なんじゃと!? おぬし船に乗ってないのか? 船団を知らない!? ……おぬし、まさか船団の外から来たとでもいうのか?」


「そうですね。船団なんて聞いたこともないですから、その通りなんだと思いますよ」


「なんてことじゃ! やはりこの宇宙には存在していたのか、惑星フォリス以外の生命体が!!」


「落ち着いて下さい。さっきからよく分からないストーリー展開になってるんですけど大丈夫ですか?」


「ヒサトこそ何を言っておる!! これが興奮せずにいられるかっ!! 儂は今、まさに異星人に会っとるんじゃぞ!!」


 感情の熱が高まる青震に対し、どんどん熱が冷めていくヒサト。


「うーん。……ダメだ。面白そうなゲームだったんだけど、この設定についていく自信がないや。いったいいつになったらログアウトできるんだよ」


「ふむ。先ほどから知らない言葉が出てくるが、ログアウトとは話の流れからして、このラニブラの世界から出ていくと言っておるのか? 残念ながらそれは無理じゃ。この仮想空間内では自由に過ごせるが、ラニブラの世界から出るにはグランドマザーの許可が必要じゃからな」


 不穏なことを話し始める青震の言葉に耳を傾ける。


「グランドマザー?」


「アイダ船団、居住艦48隻、護衛艦192隻、旗艦1隻の計241隻に命令を下す頭脳、『ディバクレイン』のことじゃ。じゃが、ディバクレインに許可を得るには彼女の子供達『ディバクレイン・チルドレン』、通称『ディバーチル』に許可を得なければならんのじゃよ」


 興が乗ったヒサトは問いかける。


「そのディバ―チルに許可をもらうにはどうしたらいいんですか?」


「ディバーチルは各艦の艦長に就任しておっての。全部で241体おるんじゃが、その艦長に情報を持っていくには各艦の部門長の役職に就いている人工頭脳『アーチレイン』に許可をもらわなければならないんじゃ」


「へぇ。そういう設定になっているんですね」


「……おぬし、さっきから儂のこと全然信じとらんじゃろ」


「いえ、信じてますよ。そういうゲームなんでしょ?」


「……もうよい。そのログアウトやらが出来るようになったら教えてくれ。それで、これからどうするんじゃ?」


「これから? どうするって…………」


 言葉が詰まる。ヒサトは戻ることしか考えていなかった。いつか戻れると信じていたからこそ、この世界での今後について何も考えていなかった。


――それはいつだ。


 1時間後、1日後、1週間後、1ヶ月後、1年後……。


 不安という重くドス黒い感情が波のように次々に押し寄せてきた。

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