お呪い申し上げます

異端者

『お呪い申し上げます』本文

「おのろい申し上げます」

 年末近くの肌寒い朝、とっさに取り上げた私宛のハガキには、そう書かれていた。

 いわゆる不幸の手紙だろうか、結婚して間もないこんな時期に――私は手書きのその文字をじっと見つめた。

 元彼のケンヤの文字だ。送り主は……もちろん彼。

 しばらく見つめた後、プッと吹き出す。彼らしい間違いだと思った。

 きっと彼は「おいわい申し上げます」と書こうとして「祝」を「呪」と間違えたのだろう。

 昔っから、雑なところのある人だった。もっとも、それは嫌いではなかったけど……。

 私宛の手書きのメモには、よくこういう間違いがあった。スマホで変換すればすぐ出る時代にも、漢字の間違いをする人は居るものだ。

 彼には、他にも時間や場所に無頓着なところがあった。待ち合わせの時間を間違えたり、約束と違う場所に行ったり――私は笑って許したが、両親はそうではなかった。

 両親との顔合わせの時、よく似た店名の店に彼は行ってしまった。約束の時間から大幅に遅れて来たが、両親はそのことに激怒して彼との結婚はお流れとなった。

 今時その程度で……世間一般ではそう思われるかもしれないが、田舎ではまだまだ親の権限が強い。友達にも、親に反対されたからと結婚を諦めた子が居た。

 今思えば、彼は何らかの発達障害ではなかったのではないかとも思う。もしあの時に医師の診断書があって、両親の理解が得られていたら――思い出すと、そう考えてしまう。

 それに、ケンヤのそういったところが私は嫌いではなかった。確かに間違いを犯したが、彼は私が間違っても笑って許してくれるおおらかさがあった。

 それでも、私は幸せだ。こうしてアキトと結婚できたのだから。彼はケンヤと違って、約束を破ることは決してしなかった。何か困ったことがあっても、彼に頼めばなんとかなる。そんなどっしりと構えた信頼できるところがあった。

 両親もその堅実な態度には、嬉々ききとして首を縦に振ってくれた。

「一人娘をやるのだから、いい加減な奴は駄目だ。こういう真面目な人が良い」

 父はそう言っていた。あの時は、ケンヤを馬鹿にされたような気がして少し不快だった。父は真面目だが融通ゆうずうが利かない人だ。

 それにしても、どこで結婚の話を知ったのか……彼には、結婚式の招待状は出さなかった。いや、出せなかったというのが正しいか。共通の友人が居るから、そこから伝わっていてもおかしくは……

「ヤヨイ、どうかした?」

 私はアキトに呼ばれて、我に返った。そうだった。彼も年末年始休暇で家に居る。

「ずっと、ハガキを見て固まってたよ」

 そう言われて、初めてそうだったと気付く。

「ううん……何でもないの。ただ、ちょっと昔の知り合いからだったから……」

 そう言葉をにごした。

 彼には、ケンヤのことは話していない。隠している訳ではないが、知ったところで良い気分ではないだろうと思うからだ。

「ふうん、そう」

 アキトは気にしている様子はなかった。その様子にどこかほっとした。

「ねえ、今日の晩御飯……何が食べたい?」

 私は話を変えようと言った。

「そうだね。今日は寒いし、夜はもっと冷えるだろうし……シチューが良いな」

「分かったわ。じゃあ、今夜はクリームシチューね。その前に、お昼は……」

「適当で良いよ」

「はいはい」

 私はハガキをテーブルの上に置くと、冷蔵庫の中を確認した。

 お昼はどうにかなりそうだが、夕食には買い物が必要そうだった。


 気が付くと、白い天井が見えた。照明器具が煌々こうこうと輝いている。

 どうやら私は、病院のベッドの上に居るようだった。

 そんな……どうして!?

 とっさに体を起こそうとすると激痛が走った。思わずうめき声が漏れる。

「重体なんですから、無理しないでください!」

 いつの間に居たのか、部屋の隅には白衣の看護師の女性が立っていた。

「私に、一体何が……」

「事故直後なので、記憶が混乱しているようですね。今すぐ先生を呼びますからね」

 看護師は穏やかだが、有無を言わさぬ口調だった。

 男性の医師が入ってきて説明されると、私は呆然とした。

 私はアキトの運転する車の助手席に座っていて、反対車線からはみ出してきた車と正面衝突。そのまま意識不明の重体となり、病院へと運び込まれたそうだった。

 そうだ。私は夕食の買い物をするためにアキトの運転する車に乗って、それで反対車線から飛び出してきた車を避けようと彼がハンドルを切った。だが、間に合わずに……ガラスの破片がスローモーションのように飛び散った光景を思い出した。

「あの……アキトさんは?」

 嫌な予感がしていた。それでも聞かずにはいられなかった。

「残念ですが、運転席の男性は亡くなりました」

 全身から血の気が引くのが分かった。薄々覚悟はしていたが、そんなもの意味はなかった。

 そんな……彼が? 神が居るのなら、なぜ私ではなく彼を?

 答えのない問い。その後も医師は説明を続けていたが、もはや聞いてすらいなかった。


 それから少し後に、実家から両親が会いに来てくれた。

「せっかく良い人に出会えたのに、こんなことになって……」

 母は自分のことのように悲しんでいたが、私には何の感情も湧かなかった。

 もう、どうでも良かった。

 人間というのは、悲しみが許容値を超えると、返って無になってしまうらしかった。

「ヤヨイと結婚したばかりだというのに、無責任じゃないか!?」

 父の方はいきどおりに近かった。こちらも、私は平然と眺めるしかできなかった。

 医師の話だと、治療しても障害が残るのはほぼ確定で、下半身不随になるだろうとのことだった。相手の方は軽傷で済んでおり、現在は警察が取り調べ中だそうだ。

 両親は事故の経緯とそれを知ると、ここに居ない相手に向かって罵詈雑言ばりぞうごんを吐き続けた。それは耳障りで、傷口を広げる行為でしかなかった。

「うるさい」

 私は、ののしり続ける両親に向かって言った。

 確かに、私だって憎い……が、その悪口を延々と聞かされても良い気分はしない。

「ご、ごめんなさいね。病室でこんなことを……」

 母が気付いたのか、父を連れて出て行った。

 もし、アキトが生きていれば……彼は大きな手で私を包み込んでくれた。彼が居てくれれば、孤独を意識することなど無かった。

 窓の外はすっかり暗くなり、静まり返った病室で私はケンヤからのハガキのことを思い出していた。


 お呪い申し上げます――あれは、間違いではなかったのではないか?


 私は枕元のスマホから、ケンヤの番号を探す。スマホの方に掛けると「現在使われておりません」のアナウンスがした。少し躊躇ためらいがあったが、彼から何かあったらと聞いていた彼の実家の番号に掛けた。

「ああ、アンタか!? うちの息子をたぶらかしたのは!」

 彼の母親からは相手が誰か分かると、そんな暴言が飛び出した。

 聞くと、彼は元々、仕事での失敗が多かったが、私と別れて以降それが特に酷くなって解雇され、実家に引きこもっていたという。彼は部屋からほとんど出ずに、私のSNSばかり見ていたそうだ。

 そういえば、すっかり忘れていた。彼にも、私のSNSのことは話したことがあったが、その時は興味なさそうにされたはずだった。

「ずっと、アンタのことばかり想い続けて、もう諦めろと何度も言ったのに……そんなに大事にされてた自覚なかったんでしょ!?」

 そんな彼が何ヶ月かぶりに外に出たと思ったら、その翌日にはのどをナイフで切り裂いて死んでいるのを見つけたという……置かれた食事に手を着けていないのと、部屋の中から異臭がするのでのぞき込んで気付いたそうだ。

「あの、部屋を出た日って――」

 間違いなかった。あの日、ハガキの消印の日付……それを出した後、彼は命を絶った。

 酷い眩暈めまいがして、世界がグニャリと歪んだ気がした。私は間違っていた。別れた後、彼もどこかで幸せに生きていると思っていた、いや思い込もうとしていた。


 あれは、自らを捨てた者への「呪い」だった。


 彼は自身を捨てた彼女が、結婚して幸せそうにしているのを知っていた。自分は失意の中、仕事も手に付かず解雇されて、全てを失ったというのに。

 だから、精一杯の怨念を込めてハガキを書き、自らの命を捧げた――生贄いけにえとして。

「まあ、アンタにはふさわしい『罰』じゃないかい?」

 彼の母親は、私の状態を伝えるとそう言って一方的に電話を切った。

 罰――そう、これは私に与えられた罰なのだ。両親に気に入られた「良い子」で居たいと願って、彼を捨てたゆえの。それを背負って、私は生き続ける。思えば、彼を捨てて自分だけ幸せになろうとしたことが間違いだったのではないだろうか。

 賠償金があるだろうし、生命保険からも幾らかは出るだろう。生きていくことだけなら、できるかもしれない。

 しかし、希望を見出みいだすことはもうないだろう。絶望の中、私は生き続けなければならない。それはきっと、みにくく見苦しい。彼の言う「呪い」とは、自身の想いを「痛み」として永遠に刻み付けることだったのかもしれない。

 それでも、生きている分、私は幸せかもしれない。こうして自身の「罪」と向き合う機会が得られたのだから。多くの人々が、同じような境遇になっても罪を自覚せずに居ることだろう。


 ――これを読んでいる方にも、お呪い申し上げます。

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