三歩目 灯りの消えた街の小さな灯り3~狂気の歌姫~
「ダメェェ!!」
小さな腹に、革靴が迫る!
バキッ!!
茶虎にめり込むその直前、私の蹴りが、男の蹴りとぶつかった!
骨が砕けるような鈍い音と共に、男は反動で転倒、後頭部を地面に強打した。
「いっっ痛てぇぇぇえな!この脳無しが!!」
鬼のような形相で怒鳴り散らす。
無表情で、ただ見下した。
無様な、悪魔を。
「何上からガンくれてんだ!?ぶっ殺すぞ脳無しが!絶対後悔させてやる!女に生まれて来た事をな!ギャハハハハ!!」
「黙って死ね、悪魔」
一切の躊躇なく、そうする事が自然であるかのように、その顔面を踏み付けた。
グチャッ
「ギャッハっ!」
何かが、折れた。
「は、鼻が、俺の鼻があああ!!」
歯が、飛び散る。
「は——————————
骨が、砕ける。
——————————!!
もう、何も耳に入ってこない。
ただ、生温い血の感触があるだけだった。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
どの位そうしていたのだろう?
5分なのか1時間なのか…
気が付けば、氷の様だった足はジンジンと熱い。
広がる血溜まりに、素足が沈んでいる。
男の顔は原型を留めず、ただの赤い肉塊となり
ピクピクと痙攣していた。
ドッドッド
痛い程うるさい鼓動
はぁはぁはぁ
呼吸が苦しく、喉が焼け付くように乾いている。
音が…戻っていく…
うるさい
それは…罵声だった。
「人殺しめ!」
「おい見ろよ!あの傷だらけのぬいぐるみ!」
「うっわっ、えっぐ!酷え事しやがる脳無しだ!」
気付けば、野次馬に取り囲まれていた。
怪物でも見るかの様な目に、取り囲まれていた。
「あっ!あのっ、これは…ちがくって…」
一歩、歩み寄る
ペタッ
血まみれの足音が…地に響いた。
「ひっ!」
「こっ、こないで!悪魔!」
野次馬の輪が、ガヤガヤと後ずさる。
「ま、まって!」
「近付くな脳無しが!警察はまだなのか!?」
…誰も、私の話を聞こうともしない。
誰も、男が茶虎を蹴り殺そうとしたことも
誰も、私が助けたことも…
世界から…取り残されていく中…
輪の外れに──小さな影が見えた。
茶虎!
イカ耳にして、ガクガクと震えている。
金色の瞳が、恐怖で一杯になっている。
……ごめんね。驚かせちゃったね…
ゆっくりと、近付く。
—————!!
—————!?
後ずさる民衆…声は…もう聞こえなかった。
世界がどうなろうが構わない。
ただ…茶虎に、謝りたかった。
「茶虎…」
小さな体が、ビクッと跳ねた。
さらに一歩、近付こうとした。
その瞬間──
「いい加減にしろ!!」
野次馬の中から、がっしりした男が飛び出してきた。
腕を広げて、私と茶虎の間に立ち塞がる。
「このねこまで殺す気かよ!?」
「そんなっ…そんなことっ」
中年女性が、声を上ずらせて叫ぶ。
「嘘よ!ねこちゃん、はやく逃げて!!」
人々が、次々と声を上げる。
「ねこに近付くな悪魔!」
「もう、自首してよ!」
「脳無しがっ!大人しくしてろっ!」
輪が、狭まってくる…
ただ、私を悪者にするだけ。
簡単で、都合がいい。
ただ、茶虎に、ごめんねって、伝えたいだけだったのに…
(…ルナ)
頭の奥で、月影の声が優しく響いた。
(…この子は、お前が守ったことを覚えている。怖がってるのは、お前じゃない。…お前の“狂気”だ)
狂気?
(…そうだ。本当のお前を思い出させてやれ。お前だけが持ってる、“言葉じゃない”もので)
言葉じゃ、ない…?
ふと、気づいた。
いつも…いつだって待ち望んでいてくれた。
路上で出会った時も、小さな体を震わせながら、唯一耳を傾けて、ゴロゴロと鳴らしてくれた。
今も、きっと──
(…そうだ、ルナ。…お前なら、出来る)
うん、解ったよ、ありがとう、月影。…いつも、助けられてばかりだね…
(…それは…)
え?
(…届けてやれ。この愚かな者達にも…本当の、お前を、見せてやれ…俺が、そばにいる)
…うん。
月影…
ゆっくりと、息を吸い込んだ。
血の匂いが鼻を突く。
喉が焼け付くかのように痛む。
それでも──
静かに、口を開いた。
♪———————————————♪
ただ、一匹のねこに、自分を届けるための唄。
民衆の罵声が、波のように押し寄せる。
「うるせえよ!黙れ人殺し!」
「歌うんじゃねえ!気味わりぃんだよこの悪魔が!」
「警察はまだなのか!?」
それでも、唄い続ける。
目を閉じて。
茶虎だけを思い浮かべて。
その喧騒の中で、輪の奥から小さなざわめきが起こった。
「お、おい!あ、あれ…」
「いっいやーーー!!」
ゴロゴロという心地い声が近付いてくる。
ふと
足元に、柔らかい感触
小さな温もりが、震えながらも足に頭を擦りつけていた。
♪—————っ♪
声が…震える…
金色の瞳が上目遣いに私を見ていた。
まるで…まるで──
「ぼくが最古参だよ♪」
「この歌を、一番近くで聴くのはぼくだよ♪」
とでも言っているかのように。
──ごめんね、茶虎。
驚かせて、怖い思いさせて…
でも、ありがとう。
戻って来てくれて…
「うそ、だろ…!?悪魔に、寄り添ってる?」
「マジかよ…やべえ、よ、あれ、絶対やべえって!」
「誰か早く助け出せ! 殺されるぞ、ねこちゃんが!」
「俺がなんとかしてやる!」
大柄の男が、腕を広げて飛び出してきたその瞬間──鬼気迫る声
「おい、ちょっと待て!!」
注目が一気に集まる。
大柄の男も、茶虎を掴みかかろうとする体制で止まる。
「こいつ……これじゃねえか!?」
脳内通信でデータを共有し始めた。
「なっ!?僅か1時間足らずで…222万再生!?」
「マジかよ…?はぁ!?炎上してるぞ!」
「ホントだ!…なんだ?このコメント欄…」
共有された画面に、次々とコメントが流れていく。
『助けてやれよどクズ共が!』
『寒いのに素足とか可哀想すぎて泣いた😭😭』
『うっわバカップルじゃんwwwww顔出しで草』
『これ拡散しろ拡散 絶対許さん』
『猫も守ってるし、少女悪くねえだろ!!』
『てかこの歌声で鳥肌立ったわ 誰だこの子』
『正義執行人気取りの野次馬も同罪だろwww』
『もう遅いけど誰か助けに行ってあげて……』
『終わったなこいつらwwwwwwwww』
民衆の顔が、みるみる青ざめていく。
「くっそ…、偽善者共がっ」
「やめとけ!火に油だっ!!」
ざわめきが、戸惑いに。
戸惑いが、沈黙に変わる。
誰もが、鎮まりかえった。
♪——————————♪
「…でも、よ…」
「ああ、なんか、ずっと聴いていたくなるな…」
震える声で、必死に紡いだ。
茶虎が、足に体を預けるように寄り添う。
小さな体が、温かい。
──心の奥で、もう一つの温もりが、ぎゅっとしがみついてくる気がした。
遠くで、サイレンが近づいてくる。
ウィーン……ウィーン……
最後に、茶虎に…この世界に、少しだけ…
♪ありがとう ここにいてくれて この暗い街で かけがえのない 小さな灯り♪
…歌声が、静かに夜の港町に溶けていった。
…サイレンが、すぐそこまで来ていた。
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