二歩目 灯りの消えた街の小さな灯り2

振り向いた瞬間、感情が消えた。

そこに居たのは、しわ一つないスタイリッシュなスーツを着こなした「男」の姿だったのだ。

ぷいっと顔を背けた。

男は朗らかに、だがどこか大袈裟な口調で言った。


「素晴らしい歌声ですね!かの世界的アイドルグループ『ノヴァ』にも引けを取らない!」


…ノヴァ??


世界のトップアイドルグループだが…

つっけんどんに返した。

「どうも」

心の声は聞こえないものの、怪し過ぎだし、何より私は男が「超」嫌いなのだ。

だが、次の言葉に不覚にもトキメいてしまう。

「こんな場所で唄うのは勿体ない!是非うちの店『美味美味クラブ』で唄って貰えないかな?」


「えっ……?」


素っ頓狂な声をあげ

(ど、どうしよう月影! 美味美味クラブだって! 目の前の摩天楼の最上階にあるレストランだよね!?)


(…そう、だな—————確かに—————だからな—————)


その聞き取り辛い台詞に、弾んだ心は風船のように萎んでしまう。

最近はこういった事が多いのだ。


男はにこやかに問いかけて来た。

「どうかな?君さえ良ければ、だけど」

やはり、心の声は聞こえない。


もしも…もしも本当だとしたら…?


うつむくと、ピカピカの革靴が目に入る。

その傍に、小さく丸まり震えている茶虎…


「あの…」

「はい、何でしょう?」

「もし…雇って頂ければ…この子と一緒に暮らせますか?」

思い描いてしまったのだ。茶虎と月影との、暖かな暮らしを。


期待の眼差しに

男は笑顔で

「はい、勿論ですとも!貴女の為に、素敵な部屋をご用意しましょう♪」

膨らむ風船

だが

男の口元が、醜く歪んだ。


(喰い付いたな、もうこっちのもんだ)


……

隠された本音に、膨らんだ風船は弾け飛んだ。

思い描いたささやかな生活と共に…


男はガシッと私の手首を掴み、気持ち悪い満面の笑みで言った。


「さあ、こちらです!これからきっと、世界が変わりますよ♪」

(天にも昇る快楽に溺れさせ、金の生る木の一丁上がりだ。脳無しは騙しやすくて助かるぜ。しかも上玉ときた、ついてたな)


…時折居るのだ。こういった人間が。

嘘を、嘘だと思わず、息を吐くかのように喋る人間が。

言葉と心を完全に一致されると、見抜く事は困難となる…。


硬い指輪が、手首に食い込み、冷たい痛みを刻み込む

闇へと引き摺り込むこの存在は、悪魔以外のなんだというのだろう?


悍ましいキヲクが、蘇る—————


—————感情が、血に染まっていく


害虫を殺す事に、躊躇う人間は居ない。

ましてや、今まさにこびり付いている寄生虫なら尚更。


爪が喰い込むほど握られ、振り揚げられていた。

下卑た笑みに、叩き付けようとした、その時だった!


(…よせ、ルナ!そいつは「ギャッハー団」の幹部だ)


月影の鬼気迫る警告に、後頭部スレスレ——

拳が、髪に触れるか触れないかのところで、ピタリと止まった。


——ギャッハー団…


触れてはいけない闇の名前

背筋に冷たいものが走った。


何故だか、月影は大抵の事を知っている。

納めた手には、爪の跡が赤く浮かび上がっていた。


「すみません。やっぱりいいです」


冷たく言い放ち、悪魔の手を振り解こうとした…が

硬く掴まれ、びくともしない。


「大丈夫ですよ、ほら、もうすぐですからね♪」


何が大丈夫なのか全く解らないが、指輪までもが食い込みとにかく痛い!

そして何より気持ち悪い!!


そのケツに渾身の蹴りを放ちたい衝動を、なんとか抑えていると


「イダッ!! イダダダダッ!!!」


突然男は顔を歪めて飛び跳ねた。

難なく振り解けたが、その足元を見て——凍りついた。


「フー!! フーッ!!」


目を血走らせ、茶色い毛を何倍にも逆立たせ、小さな身体で噛みついていた!


「痛ッッテエんだよ!このクソねこが!! 俺を誰だと思ってる!?」


顔を真っ赤に、血管を浮きだたせ、狂ったように足を振り回す!


「やめて!! 茶虎、逃げて!!」


手を伸ばしたが……小さな身体はすでに空中高くに投げ出されていた!


「茶虎!!」


それでも茶虎は空中で身を翻し、地面に着地と同時に——


「うにゃぁにゃにゃにゃ!!」


まるで電撃のように、甲高い声と動きで飛びかかった!


「イッッデエエエェェ!!」


鋭い牙と爪がスーツの生地をビリビリと引き裂く!


「ちょっまっ!? おにゅーの22万円のスーツがっ…明日のデートがっ!!」


足を高く振り上げ——


「ダメェェ!!」


小さな腹に、革靴が迫る!


バキッ!!


骨が砕ける、鈍い音がこだました—————




…男はやりすぎた。絶対に、絶対に怒らせてはいけない少女を…怒らせた。

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