普通の女の子になりたい にゃん

 ダンジョンが出現して、10年の時が流れた。当時、5歳だった少女はこの日、高校生になる。


 世界は普通では無くなったようだ。しかしそれは分かる人にしか分からない事柄でしか無く、確かにダンジョンが生まれたらしいが、一般人の私生活はそれほど大きな変化は無い。


 強いて言えば、ファンタジー物の漫画やアニメが明らかに目減りした事が彼女にとって最も苦痛だった変化だという。


 高校に入る時も、ダンジョン活動における条項が組み込まれたり、学校内に武器の持ち込みに関する規約があったりで、ダンジョンが少しずつだが日常に組み込まれ常識化してゆく。


 彼女はそれに別段何か想う事も無く、不便を感じる事も無く、この日、人生で最も大きな変化に身を投じる。


 下着姿のまま鏡の前に立った。やや明るめに染めた茶色のボブカットを振り、大きな丸メガネで更に地味に変貌する。


「いい感じに、普通の女子高生だ……」


 感嘆とするほど、周囲の人間と相違無く、誰かと一緒に歩いても、いわゆる量産型に成り切れていると自負しながら、桃色のブラジャーが淡いピンク色のキャミソールが包み込み、上から薄い水色のシャツを羽織る。


「よしっ!」


 仕草も、笑顔の作り方も、彼女の努力全てを見てきた鏡が合格を出した。


 この世は『才能』と『素質』が全てだ。


 時々この二つを同一視している者が居るが、この二つは全く違う。


 『素質』はそのまま、素の性質。例えば、指が長いとか、顔立ちが綺麗とか、逆にブサイクとか。タッパがデカいとか。そんな話だ。


 そして、その素質を恣にし発揮できる意思と環境が揃っている状態を人は『才能がある』と呼ぶ。


 逆に言えば、その環境に少しでも恵まれてしまえば、もうそれ以外の、皆が楽に過ごしているレールの上は、その人にとって修羅となり得る。


 【暮山くれやま 季節きせつ


 彼女にとって、『普通』になる事は正に修羅の道だった。


 普通になる方法が、普通では無かったのだから。


 そこは、沖縄県 那覇市。


 環境から逃げて此処までやって来たのは、冬の事だった。


 まさか沖縄では、ダウンジャケットを必要としないとは思わなかった。『普通』とはまだ程遠く、東京と比べても湿気も多く、風の質すらも違う。だが悪い気分は全く無い。


 ベランダに立てば海が観えるのだから。


「がんばろ」


 そう言って、玄関から外に繰り出した。


 古びた住宅地に立つ二階建てのアパートの一室。錆びた手摺り。いつから使われていないのかも分からない照明も無い天井は太陽を翳し薄暗い廊下を渡って階段を降りる。


 驚いたのは、この地域は凄まじく時代遅れだ。玄関先に座り込む藍色のワンピースを着た老婆は、タライに洗濯板を立て掛けて選択しているし、タンクトップのビール腹のオヤジが空を見上げながら歯を磨いている。彼は部屋を開け広げ、中から凄まじいタバコの臭いと共にブラウン管のテレビが砂嵐の中に白黒のテレビドラマの録画が上映されている。


「…………」

(近づかないでおこう)


 このエリアでだけは、スマートフォンはSFの中のアイテムらしい。


 そしてそのエリアを一歩外に出れば、やや僅かに時代が進む。バカみたいにデコレーションしたバイクと、リーゼントヘアの男達がたむろしながらタバコを吸い散らかし、フォークブーツみたいな靴下を履いたギャルの肩を抱いている。


 年齢もそう変わらないだろうが、これももしかするとダンジョン出現によって起こったなんらかの退行本能なのだろうと、いつしかスマートフォンがニュースを運んできたものだ。


 だからこんな事象がよく起こる。


「離してください!!」


 公園を横切る最中に中から女の声が響いた。


「……?」

(上手いな……)


 あからさまな不良に囲まれ、あからさまな美女が二の腕を握られている。ただ、ような気もする。だから、そう思ったのだ。

 どれだけ引っ張ってもビクともせず、男達はヘラヘラと笑いそんな様を面白がっている。


「…………」


 間違っている。


 『普通』、あれに手を出すのは間違っている。見ないように見て、そして女とは決して視線を合わせないように素通りする。


 だがまた声が響いた。


「やめなさい」


「……?」


 ついうっかり、がっつりと視線を向けてしまった。黒いポニーテールの女が男の手を掴んだ。その腕力から、間違いなく【冒険者】だろう。


「……すご」

(勇気あるなぁ……。色んな意味で)


 その色んな意味の中、事態は最も最悪だった。やはり、あの美女と男達はグルだったらしい。


「釣れた釣れた」と美女は口元に指を添えて邪悪に笑む。合図と共にまた複数人の男達が現れて、ポニーテールの女を取り囲む。


 理由はシンプルだ。


 【冒険者】は金持ちだ。


 ランクが高ければ国から金銭も支払われる場合もあれば、そもそも【冒険者】は娯楽趣味。鍛えれば当たる確率が上がる宝くじのようなものだ。ボスを撃破し宝を手にのし上がった者達の子供ならば、それ相応に金を持っている。更にそのプライドが、『不良に負けてカツアゲされた』などという汚名を好まずおまけにやけに正義感が高い素晴らしいカモなのだ。


「財布出して財布ぅ」


 人差し指を折り曲げて要求する。彼らは皆、刃物を携帯しているようだ。手の中で回しながら、高貴そうな彼女の財布の中を楽しみにしている。だが、女は笑った。


「アッハ……。ごめん。財布なんて持ってないんだ。だって今どき、電子マネーが基本でしょ? もしかして使い方あぁいや、スマホとか、持ってない? 渡せないやごめんねぇ?」


 所詮、戦いを知らない弱者の悪巧みなど、真に冒険者として武器を持ち、モンスターであれ殺しを生業とする者が行う邪悪な笑みには到底勝てないものだがしかしそれでもまだ、あまりにも甘い。


 男達は頷き合い、ナイフを向けた。


 咄嗟だった。何故こう動いてしまったのか全く理解が出来なかったが、心の何処かで、正しい行いをしている時分を望み、正しいと思った行動を取ってしまった自分を誇っている。


「やめてください……」


「あん?」


 虚弱で、地味な女は明らかに、冒険者カモには成り得ない。女は、季節の肩に手を置いて小さく「痛い目見たく無いでしょ」と、突き飛ばす。地面に尻を落とした直後だった。


 女の身体が硬直する。


「………………痛い」


 ドスの効いた声。その気配は、この空間を支配している。


 ドッドッドッドッドッドッドッドッ!!!!


 心臓が激しく脳を揺らす。手にねっとりとした汗が溜まり、滴ることも無く握れば指の隙間から滲み出してくるほどに、身体が発する危険信号は本能が齎すものだと理解できる。


「…行こ?」


 不良達は皆、消沈して背中を向けて公園を出て行く。

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