第6話

三人でケーキの約束をした翌朝。

 学園内は、翌日に控えた武闘大会の準備で、嵐のような忙しさだった。


​「ほらレオ! そこ、もっと高く魔法で吊るして! 重力操作でしょ!」


「……ユズハ、お前はさっきから指示ばかりだな。自分の炎で看板の乾燥でもしてろ」

​ 中庭では、クラスの出し物の準備をするレオとユズハの、いつもの言い合いが響いている。

 私は、メアちゃんと一緒に模擬店の材料を運んでいた。

​「メアちゃん、重くない? 大丈夫?」

「はい……。エレナさんと一緒なら、全然平気です」

​ メアちゃんは、昨日よりも少しだけ元気がないように見えた。けれど、時折見せる微笑みは、確かに昨日よりも「人間らしく」なっている気がして、私は少し安心していた。

​ お昼休み。

 私たちは中庭のベンチで、準備の合間の休憩を取っていた。

 そこへ、優雅な足取りで近づいてくる人影があった。

​「やあ、準備は順調かな? 『空っぽ』な君たち」

​ 生徒会長のデイン先輩だった。

 彼は相変わらず眠たげな瞳で、私たちを見下ろしている。

​「デイン会長……! 準備なら、もうすぐ終わります」

「そう。……明日の大会、楽しみにしてるよ。特にエレナさん、君の剣がどこまで届くのか。……そして、メアさん」

​ デイン先輩が、ふっとメアちゃんを鋭く見つめた。

「君のその『震え』が、緊張によるものならいいんだけどね」


​「……え?」

 メアちゃんが小さく息を呑む。

 デイン先輩はそれ以上何も言わず、「じゃあね」と手を振って去っていった。血液を操る彼の能力のせいか、彼が通り過ぎた後はいつも、微かに鉄の香りがする。



その日の放課後。

 準備が終わり、誰もいない夕焼けの教室。

 私は窓の外を見つめるメアちゃんの背中を見つけた。

​「メアちゃん、お疲れ様。……明日、頑張ろうね」

 私が後ろから声をかけると、メアちゃんは肩を跳ねさせ、ゆっくりと振り返った。その瞳には、夕陽の赤とは違う、何か決意のような色が混ざっている。

​「……エレナさん。いつまでも…私のこと、忘れないでいてくれますか?」

「えっ? 忘れないよ。だって、明後日は3人でケーキを食べる約束でしょ?」

​ 私が笑って言うと、メアちゃんは一瞬、泣き出しそうな顔をした。

 でも、彼女はすぐに、今までで一番綺麗な笑顔を見せた。

​「……はい。そうですね。約束……しましたもんね」

​ 彼女は自分の胸を抑えるようにして、一歩、私の元へ歩み寄った。

「私、エレナさんに出会えて、本当によかったです。……世界がどれだけ冷たくても、エレナさんの手は、温かかったから」

​ その言葉の意味を、私は深く考えなかった。



ついに、武闘大会当日がやってきた。

 学園の巨大スタジアムは、数千人の観客と、魔法による色とりどりの演出で震えるような熱気に包まれている。

​「一学年トーナメント、第一試合――開始!」

​ 幕開けは、親友のユズハだった。

 彼女は開始早々、鮮やかな炎の魔法で対戦相手を圧倒し、一瞬で勝利を決めた。

「エレナ、見てた!? 私、完璧だったよね!」

 戻ってきたユズハとハイタッチを交わす。

「まあまあなんじゃないか?それとも相手が弱すぎたーとかか?」

レオがそう煽る

「はああ?バカにすんじゃないわよ!」

ユズハが暴れていると

「まあ俺の試合をみてるがいい…圧勝だからな」

​ 続くレオの試合は、もはや「蹂躙」だった。

 彼が指を鳴らした瞬間、対戦相手は強力な重力に押し潰され、一歩も動けぬまま場外へ。圧倒的な「天才」の格を見せつけ、会場を静まり返らせた。

​ そして、私の番が来た。

 対戦相手は、去年の成績が上位だったという実力者の男子生徒。

「無能力者が、魔法使いの僕に勝てると思っているのかい?」

 彼が放つ鋭い氷の礫が、私を襲う。

​(……見える。昨日まで、レオやユズハと特訓してきたんだ。これくらい……!)

​ 私は魔力を持たない。けれど、数週間の特訓で、魔法の「予備動作」を見抜く目は養われていた。

 氷の隙間を縫うように駆け抜け、最短距離で懐に潜り込む。

​「――っ、速い!?」

​ 氷の杖を振り上げる暇も与えず、私の木刀が彼の胴を捉えた。

 ドォォン! という衝撃音と共に、彼が吹き飛ぶ。

​『勝者、エレナ・ウェルム! なんということだ、魔法を一切使わず、上位候補を撃破したあああ!』

​ 実況の声が、地鳴りのような歓声に飲み込まれる。「無能力者の剣士」の名が、スタジアム全体に熱狂を巻き起こした。

​ その後、メアちゃんも試合に臨んだ。

 彼女は不器用ながらも必死に立ち回り、最後は相手の隙を突くような動きで、ギリギリの判定勝ちを収めた。

「よかった……。エレナさんの、お荷物にならなくて……」

 肩で息をするメアちゃんを、私とユズハで抱きしめて喜んだ。この時はまだ、すべてが上手くいっていると思っていた。

​ 準決勝。ユズハとレオの直接対決。

 ユズハの猛烈な炎を、レオは冷徹な重力操作でことごとく地面に叩き落とした。

「……負けたぁ。悔しいけどやっぱりレオは強すぎるよ」

 悔しがるユズハ。けれど、その目は晴れやかだった。

​ そして、ついに。

『お待たせいたしました! 本日のメインイベント! 一年生期待の星の天才レオ・タリクか! 奇跡の凡才エレナ・ウェルムか! 宿命の再戦、開始!』

​ スタジアムの熱気が爆発する。

 私は、レオと向き合った。

 入学初日の、あの冷ややかな空気とは違う。レオの瞳には、私をライバルとして認める、熱い闘志が宿っていた。

​「準備はいいか、エレナ。……今日こそ、お前のその剣を叩き折ってやる」

「……受けて立つよ、レオくん!」

​ 私たちが武器を構えた

スタジアムが、熱狂の渦に包まれる。

 私とレオは、互いの間合いを見極めながら、静かに木刀を構えた。

​「行くぞ、エレナ!」

「こい、レオくん!」

​ レオが踏み込み、重力魔法によって加速された一撃が放たれる。私はそれを最小限の動きで受け流し、鋭いカウンターを繰り出す。

 キィィィィン! と、木刀同士とは思えない金属音が響く。

 

 観客席は総立ちだ。

 無能力者と天才。その二人の実力が、魔法と技術の狭間で拮抗している。

 最高に楽しくて、最高に熱い。

 誰もがこの戦いの続きを、決着の瞬間を待ち望んでいた。


​ ――その時だった。

​ パリィィィィィィィィン!!

​ スタジアムの全方位から、鼓膜を突き刺すような、巨大なガラスが砕ける音が響き渡った。

​「っ……!? なんだ、今の音は!」

 レオが剣を止め、空を見上げる。

 快晴だった青空が、インクをぶちまけたような禍々しい「紫色の闇」に侵食されていく。学園を長年守り続けてきた、鉄壁の魔法結界が粉々に砕け散っていた。


​「おい、見ろよ……空が割れてるぞ……」

「逃げろ! 何かが来る!!」


​ 歓声は一瞬で悲鳴に変わった。

 割れた空の裂け目から、真っ黒な霧を纏った化け物たちが、雨のように降り注ぐ。

​「……ヴェノム・アイリス」

 いつの間にか舞台の袖に現れたデイン会長が、冷徹な声で呟いた。その隣には、顔色を変えたフィリア先生とホーク先生の姿もある。

​「生徒たちは避難させろ! これはただのテロじゃない、戦争だ!」

 ホーク先生が怒号を上げる。

 しかし、混乱はそれだけでは収まらなかった。

​ スタジアムの四隅から、巨大な魔力の柱が立ち昇る。

 火、水、風、土。

 この世の理(ことわり)を司る、四体の「エレメンタル」が、召喚の儀式によって呼び出されたのだ。

​「そんな……。嘘、だよね……?」

 私は震える声で、観客席を見渡した。

「ユズハちゃん!? メアちゃん!?」

​ そこにユズハの姿は見えた。彼女は逃げ遅れた観客を守るように炎を構えている。

 けれど――。

 さっきまでそこに座っていたはずのメアちゃんの姿だけが、どこにもなかった。

​「メアちゃん……メアちゃん!!」

​ 私の叫びをかき消すように、紅蓮の翼を持つ火の精霊・サラマンダーが、スタジアムの天井を焼き払いながら咆哮を上げた。


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