お祝い
「それでね、私ね、売春小屋で大人気だったの」
「お、おう……」
もうどんどん話が進んでいく。
「私、そのとき十四歳か十五歳だったかな。日本の男って子供とセックスするのが大好きだから、私はお客さんが途切れなかったよ。小屋ではセーラー服を着て一日中セックスさせられてたなあ。あのセーラー服すっごく臭かったなあ」
ワンちゃんは臭いを思い出したのか、鼻の付け根に皺を寄せた。
「小屋ってどういうこと? 風俗店とは違うの?」
パクさんがなぜか施設に食いついた。そこなの? 気になるの、そこなの?
「小屋だよお。風俗は建物の中でしょ、売春小屋は小屋だよ」
ワンちゃんはあっけらかんと言い放つ。
「あのねー、川の近くに草が生えている空き地があって、そこに小屋があるんだよ。畳があって、その畳が半分くらい土に還りかけてて、壁に穴が空いてて、天井も穴が空いてて雨漏りするの。広さはここの半分ぐらい」
ワンちゃんは居酒屋の個室を指さした。
「……そんな小屋が日本にあるんだ。それも令和に……」
呆然と呟いたパクさんに、ワンちゃんは頷き返した。
「そこに女の子が5人ぐらいいて、お客さんとセックスするとお金がもらえて、借金分を稼げたら、小屋から出してもらえるんだよ」
「すごいところにいたんだね」
私が思わずそう口にすると、ワンちゃんは気を悪くしたふうでもなく、うんうんと頷いた。
「建物が土になりかかっているから、風が吹くと壊れそうで怖かったんだあ」
「ヤクザってそんなところで売春させてるんだ……」
「そうなのー」
「とんでもないよ……子供に……」
パクさんの声に戸惑いがにじむ。彼もどう返答したらいいのかわからずにいるようだ。私もヤクザや買春した男たちを非難すれば、それはワンちゃんをも非難することになるかもしれないと恐れてしまって、なかなか言葉が出てこない。
私はジョッキの残りを一気に飲んだ。それで、ようやく声が出せた。
「えっと、じゃあ、今日はワンちゃんがその小屋から脱出できたお祝いってことなのかな」
「ううん、違うよ。私が小屋を出たのは昔のこと。私ってすぐに五百万円を返済したよ。子供だったから一回のお値段が高かったんだあ。あの時一緒になったおばさんはまだ小屋にいると思う。おばさんは安いし人気ないから」
そこで次の料理が運ばれてきた。串揚げだ。大きな平皿にきれいに並べられていたが、ちょっと焦げていた。ワンちゃんは一番焦げている串を選んで手に取り、「外食ってほんと久しぶりだから嬉しいな」と言って食べて、私に向かって「熱いうちに食べようよ。そっちのは焦げてないよ。ほら、これとか」と、美味しそうに揚がった串を渡してくれた。
「それでね」
彼女は口の中の焦げた串揚げをビールで流し込むようにしてから、再び話し始めた。
「小屋から出た後、私はキャバクラで働き始めたの」
「え、そのときもまだ未成年だよね」
「うん。でも二十歳ですって言えば大丈夫だったよ」
「大丈夫だったんだ……」
パクさんは手で自分の額を覆うようにした。
「私ね、お店で一番のお金持ちのお客さんと結婚しようって思ったの」
「お、おお」
「だって、そのために日本に来たんだもん。お金のためだけに学校も辞めて、お母さんやお父さんと離れて日本に来て、売春小屋で頑張ったんだもん」
「……うん」
ワンちゃんはふうと息を吐いてから、続けた。
「それで、ほんとにとびっきりのお金持ちのオジサンと結婚したんだ」
「すごいじゃん」
えへへ、と笑うワンちゃん。
「でも、そのオジサンって気に入らないことがあると私を殴るし、怒鳴るし、最低だったの。お金もくれないし」
ああ……。でも、そうだろうなとは思った。
「それで離婚してってお願いしたんだけど、私、そのときに妊娠してたんだあ」
彼女はさっきからビールを飲んでいるが大丈夫なのかと一瞬思って、いや、これは過去の話だと思い出す。
「そうしたらオジサンが、その子は俺の子だから、離婚は認めないって言い出したの。だから、違うよ、私ほんとは浮気してたんだよ、浮気相手の男の子供だよって、嘘ついたの。そういうの託卵っていうんでしょ、私、それだって言い張ったの」
「託卵ってそういうパターンもあるんだ……」
パクさんはすっかり何も言えなくって、泣きそうな情けない顔をして私とワンちゃんを交互に見ているだけになっている。
「だけどオジサンは信じてくれなくて、DNA鑑定をするって話になって、でも鑑定したらオジサンの子供だってことがはっきりしちゃうじゃない?」
「うん」
ワンちゃんはイタズラっぽく目を細めた。
「だから、私、失踪したんだあ」
「お、おお」
なかなか波瀾万丈というか壮絶な話だった。ただ、ここまで聞いたかぎりでは、お祝いの要素がない。今日は一体何のお祝いなのだろう。ワンちゃんはにこにこ笑っているのに、なんだか聞くに聞けない。妙な圧を感じていた。このお祝いに参加した者は、水を差すことなく彼女の話を最後まで聞かなければならないのだ。そうする義務がある、そんな気がした。
「それで私はシングルマザーになって、子供を育てながら、キャバクラで働いていたら、お客さんから事務職に誘われたの。それで昼は事務をやって、夜はキャバって感じでやってたら、昼のほうの職場でパクさんにスカウトされたんだよ。日本語うまいねって、センスあるから翻訳やってみない? って」
ここでやっとパクさんと彼女のつながりがわかった。パクさんも頷いている。
「翻訳だから在宅でできるよ、子供と一緒にいられるよって。訳したら訳した分だけ収入になるのも良いなって思ったの。娘をずっと保育所に預けっぱなしで、もうちょっと一緒にいてあげたいってのもあったし。それでキャバと事務を辞めて、翻訳の仕事をして中国の家族に仕送りをしてたの」
「仕送り……?」
彼女はぐっとビールを飲み干して、手の甲で口元をぬぐった。
「そう。それで、やっと目標金額が貯まって、この前、弟の手術が終わったの」
ワンちゃんが言葉を切ると、しん、と静かになった。気づけばみんな黙って彼女の話に耳を傾けていた。
「手術は成功したんだって。もう治療費もたくさん要らないんだって。お父さんもお母さんもすごく喜んで、うちは農家で、弟が跡取りだから、これで安心だ、良かったって」
そこまで一気に言うと、ワンちゃんは眉根をぎゅっと寄せて、笑った。
「だから、今日はお祝いなんだあ」
彼女の言葉に嘘はない。弟さんの手術がうまくいったことを喜んでいて、両親がそれを心から喜んでいることについても、嬉しく思っている。
けれど、私の心が反応していた。バタフライピーの青いお茶がレモン汁を入れたらピンクになるのと同じ原理で、意思とは関係なく彼女の悲しみを自然と感じ取って、反応せざるを得ないのだ。この人は、家族のために犠牲になった人。私と同じだ。ううん、私は家から逃げたから風俗に行かずに済んだけれど、この人は逃げなかったのだ。その小さな肩で全てを背負って、異国で頑張ってきたのだ。その苦労を親から認めてもらえることもなく。その献身を当たり前のこととして受け流されて。
同情するのは違う気がした。だけど、褒めるのもまた違うと思った。
私は何も言わずに彼女の肩から背中を撫でた。野良猫を撫でるように、相手の嫌がる気配を感じたらすぐに手を引くように気をつけながら。
ワンちゃんの顔からみるみる笑顔が消えて、下唇を噛んで俯いてしまった。それでも背中を撫で続けたら、少しだけ顔を上げた。目元を赤くして、「ハッピーだねって言って」とねだってきた。
「ハッピーだね」
言われたとおりに答えてから、言葉を付け足した。
「これまでずっと家族のために頑張ってきたんだね。今日からやっとワンちゃんの人生が始まるんだね。それは確かにハッピーだよ」
なにそれ、とワンちゃんはとがった声を出した。初めて苛立ちをあらわにしたワンちゃん。今何を考えているのだろう。傷つけてしまっただろうか。しかし、私の手を振り払おうとする気配はなかったから、そのまま撫で続けた。
ワンちゃんは鼻を鳴らした。
「もう遅いよ、子供がいるのに。私の人生なんてないよ。今度は娘のために頑張らなきゃ」
「そうだね、そうだけど……でも、きっとそれだけじゃないよ。これからは子供のためだけの人生じゃなくて、子供と自分のための人生が始まるんだよ」
なにそれ、とワンちゃんはまた言ったけど、声からはさっきの苛立ちは消えていた。むしろ壊れそうなほど弱々しかった。
つい頭を撫でそうになって、はっと踏みとどまる。
「ねえ、ワンちゃんって呼び名は犬みたいだし、それもうやめない? ワンちゃんは犬じゃないもん」
「そうかな。私ってずっと犬みたいに誰かの役に立つために使われてきたからピッタリだって思ってたよ」
「名前を教えてよ。名前で呼びたいな。まず私から名乗るね。私はユカっていうの」
「ユカ……。私は、ユーウェイ」
「ユーウェイ……」
それは岩の間からこぼれ落ちる透明な水のように澄んだ響きに聞こえた。
ユーウェイは私の手首を掴んだ。撫でられたくないということかと思って、手を引こうとしたら、逆に引っ張られて、そのまま手を握られた。意外と大きなその手を、私は握り返した。それは一見手繋ぎのようでいて、実は握手だったのだと思う。ユーウェイもまた感じ取っていたのかもしれない。親から犠牲になることを求められた者同士の共鳴を。
「ユーウェイさんは、何かやりたいことってある? 何でも良いよ、大きいことでも小さいことでも、何でも言ってみてよ。できる限り協力するから。ねえ、ユカさん」
私が同意して頷くと、彼女は涙声でぽつぽつと語り出した。
「私の好きな野菜を育ててみたいな。実家にいたときは農作業を手伝うことはあったけど、何を植えるかは私が決めることはできなかったから。それにね、弟の好物だった空豆の世話も私がやってたんだけど、私が育てるとうんとたくさんの実をつけたんだあ」
ユーウェイの心は今もまだ中国に、両親のもとに残っているのだろうなと思った。日本に来る前の少女だった時のまま、心の時間が止まっているのかもしれない。それが悲しくもあり、いじらしくもあった。
「野菜ってことは家庭菜園だね。簡単簡単、庭のある家を借りたらいいんだ。よしきた、まかせて」
笑顔を取り戻したパクさんは、二の腕に力こぶをつくるときみたいなポーズをしてみせた。
それから毎週のように私とユーウェイ、そして娘のシンイーは、パクさんの車に乗って、物件巡りをした。
条件はとにかく家賃が安くて庭が広いこと。あと来年に就学を控えたシンイーのため、近くに小学校があること。
しかし、ユーウェイの予算で借りられる一軒家なんてなかなか見つからなかった。不動産屋さんから「その予算で小学校の近くとなりますと、アパートぐらいしか借りられませんよ」と言われたこともあった。
パクさんが私たちにルームシェアを提案したとき、実は私もそれが良いんじゃないかって内心では思っていた。図々しいかなと思って、言い出せずにいただけ。だって、もともと、どこかに引っ越したいって思っていたところだったし。ユーウェイも自分から言い出すのは気が引けていたとのことだった。
二カ月後、ボロいけど安い家を借りることができた。契約者はユーウェイと私。家賃は折半だ。
引っ越しが終わると、ユーウェイはすぐさま庭で家庭菜園を始めた。農家の娘だけあって上手に育てている。私のよく知らない葉物野菜が庭中に茂り、それが炒め物になったりお漬け物になったりして食卓に登場した。
ユーウェイは子育て中かつ在宅勤務なこともあり、三食きちんと自炊していた。私はそのおこぼれに預かるというか、夕飯のおかずをお裾分けしてもらっている。おかげでお総菜を買う頻度がぐっと下がり、かなり助かっている。
シンイーが熱を出したときなどは、おかずの恩返しのチャンスだ。といっても買い出しをしたり、運転免許のないユーウェイのかわりに通院時の送迎を頼まれるぐらいのことしかできないけれど。
家にはしょっちゅうパクさんが遊びに来てくれて、韓国の鍋を振る舞ってくれる。パクさんは鍋好きなのだ。ユーウェイは中国の鍋のほうが美味しいって言う。私は日本の鍋が美味しいって言う。幼いシンイーは、誰の味方をしたらいいのかと迷って目をくるくるさせているから、気を遣わなくていいよって言ったら「お鍋は好きじゃないの。チキンナゲットが好きなの」とのことだった。三カ国、撃沈。
「今度みんなでファストフード店に行こうよ」
パクさんはハンドルを回すみたいなジェスチャーをした。
「それって何のお祝い?」
シンイーはファストフードは何か特別な日のご馳走だと思っている。ユーウェイが、娘の健康のために滅多に食べさせないせいだ。
「お祝いかあ」
パクさんは少し考えてから、
「シンイーちゃんたち家族が仲良く暮らしてることのお祝いかな」
と言った。
それってどんな宝物より価値のあるお祝いだなって、私は思った。
<了>
人生を始める日のアライアンス ゴオルド @hasupalen
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