5ヶ月後

「ふう……」


 流れてきた汗が目に染みる。痛む腰を押さえ、俺は小さく伸びをした。さっきまで明るかった窓の外はもう濃紺に染まっていて、白木蓮の白い花びらが美しく舞う。

 6畳の部屋に積んでいた最後の段ボールの中身を出しきる。底面を支えていたガムテープを剥がしきり、両腕で抱えるほどの大きさの箱を床に倒すと、俺は右足で踏みつけた。バギャ、バギャと軋みながら、段ボールは崩壊していく。まもなくそれは原型を無くし板となった。



 ——あの日に俺は地獄を見た。

 いや、正確に言うと今も地獄だ。慣れたから少しはマシなだけで。

 そう、あの日。寝起きで分からなかったスキルの意味は、ベッドから出てすぐに分かった。

『何なんだよまったく……!』

 俺は腹立ちまぎれに部屋の電気のスイッチを押そうとした。と、

 空気が一瞬、澄む。

 ファーン、という微かに震えるような音と共に、ボタンの上に浮かび上がったのは。


【スキル発動:祝福】

『はぁ?』


 何だかよく分からないが、嫌な予感がする。急いで電気をつけようと指に力を入れた。が、

 ……押せない。

 びくともしない、という言葉で表すべきような気すらしてきた。もう一度押そうとするが押せない。というか、そもそも指がちっとも沈まない。プラスチックの軽い感触だけを残すはずのボタンは、まるで分厚いゴム板か何かを触っているかのように硬い。かろうじて若干動いているような感じがしなくもない、程度だ。

 ——成程。納得と同時に乾いた笑いがこぼれる。

「レベル、上がったな……?」

 ステータスウインドウが微かな音と共に浮かび上がる。遠慮も申し訳なさも感じてなさそうな無機質を俺は睨む。

【祝福対象:寝室スイッチ Lv.1→Lv.MAX】

「やっぱだよなあ!! クソがよお!!」

 祝福ってそういう意味かよ! HP強化でもMP強化でも無い気がするんだがこれは!!

 と思い、ふと気付く。何でかは分からないが、スイッチが暖かくなっている気がする。人差し指にだんだんと強まる熱が感じられて——。


 ——パンッ


 スイッチが火の玉を吐き出した。舞い上がる熱風と火の粉に俺は慌てて指を引っ込める。成程な、MPはちゃんと強化されていたらしい。問題は、いきなりこうやってスイッチが魔力を消費し出すということだろう。これでもし、MPは自動で回復していくものなどといった効果が付与されていたら目も当てられない。

「……あ、」

 最悪のタイミングで、俺は思い出す。スキル説明にあった文章を。

祝福可能」とあったが、俺が【祝福】を入手したのは朝起きたタイミングで、なぜ起きたかと言えば目覚まし時計が鳴ったからだ。つまり俺がその時触っていたのは。

「スヌーズ……!」

 気づいてしまったとはいえ、時すでに遅し。あるいは後悔先に立たず。覆水は盆に返らず。

 これからの人生、俺はこのスキルで苦労する。ただ一つわかったことはそれだった。


 落ち着いてから、スキル説明をもう一回読み直した。

 取り敢えず、スマホでアラームを設定していなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。これがもし、電子機器一般に能力を発動することになったら……。地獄以外の何者でもないだろう。しかし、今の状態もなかなかな地獄だ。これから先をどうしようかと考える俺は頭を抱えた。

 その後、色々なことを試して(というか日常生活に試させられて)分かったことがある。①このスキルは使用者、つまり俺の感情が大きく動いている時、より強く効果を発揮する。おそらくは1回の接触で1回までしか【祝福】がはたらかない、ということはない。②ボタン1つを祝福できるのは998回まで。その都度ボタンは固くなっていくと同時に、レベルに沿ったMPを含有するようになる。ということだ。

 俺の気分に比例して【祝福】を連続で行えたりするような柔軟性はあるのに、何故祝福対象は選択の幅がもう少し広くないのか。全くもってゴミのように苛つくつくりだ。

 俺は左手で握り潰すようにしてステータスウインドウを消す。

 この世に神はいないのではないな、そう独り言ちながら。


 ——そう、この世に神はいないのではない。

 俺らという存在相手に優しさを微塵も持っていないというだけで、神は存在するのだ。


 俺はいつか天にましますあのクソジジイを殴ることを決意した。



 ——それが、5ヶ月前のことだ。

 あの家で生活していて、多くの苦労をした。まず、エアコンや電気がつけられない。リモコンのボタンなんかを相手にスキルが働いてしまうからだ。他にも、ボタンだと俺が思っていないものでもスキルがボタンだと判断するものがいくつかあることに気づいた。

 例えば、トイレで用を足す。流そうとレバーを引くと……。

 ——【祝福】

 スキル発動の証が浮かび上がってくるのだ。そして若干回しにくくなっている。最初は3秒程頑張れば回せる程度だったが、段々これが固くなっていくのだ。これに気づいた時は流石に発狂した。

 おそらく定義づけるなら、「物理的な力によって動かせる、何らかのアクションに繋がる機構」というのはすべて『ボタン』というカウントになるのだろう。冷蔵庫を閉めただけで内部の小さな小さなスイッチ(庫内の電気がついたり消えたりするあれ)相手にスキルを発動してしまった時の俺の顔を皆様にも見せてあげたい。柔軟性にあふれたスキルを相手にそれはそれは大きな舌打ちが出たものだ。最早呪いか何かだとしか思えない。



「……いや、誰相手に何言ってんだ俺は?」

 ふと我に帰る。意識が、現実へと戻る。そうだ、俺は一人だ、なのに何故今誰かが『いる』かのような振る舞いをしたのか。スキルのせいで頭までやられてきているのだったら笑えない。漠然とした不安を、首を横に振って追い払う。時計を見ると、20時。

「……よし、今日はこれで終わり!」

 わざとらしく俺は大声を出すと、板と化した段ボールを蹴ってどかし、立ち上がる。今日は十分動いたし、夕食を済ませてしまったら風呂に入って寝よう。俺はI型の小さなキッチンに立つ。昨日作り置きしておいた煮物をIHクッキングヒーターに乗せ、加熱する。ガスコンロならつまみを回すたび【祝福】してしまうが、IHのものによっては物理的な力ではなく静電容量方式によるタッチ操作が可能なものがある。これは『ボタン』と認識されない。この物件を次の住まいとした理由の一つだ。


「加熱を開始します」

 ピピ、という控えめな電子音と共にIHが動き出した。


 煮物が温まるまでの数分、そう考えて俺は壁に寄りかかって息を吐く。

 あの家はすぐに使えなくなった。鍵、コンロ、色々な『ボタン』に触れられる回数は最高998回までなのだから、1日5、6回使うとすれば半年で住めなくなる。

 新居は築浅とは言えないが、少なくとも【祝福】スキルを前提に考え抜いた結果の部屋だ。物理ボタンは極力少ない。ドアは引き戸、照明はスマホ連動、エアコンだってそう。お風呂をいれるボタンは何ともならなかったが、最近外出中に持ち歩いている小さめのゴム球を投げつけることで解決した。まあ、投擲とうてき技術が未熟だった頃を考えるとこれも微妙なものだ。


 ピロリピロリー、とIHが控えめに完了音を鳴らす。

「お?できたか〜?」

 鍋蓋を持ち上げると、ふわりと香る鰹出汁。素晴らしい。

 皿に急いで煮物を盛り、ちゃちゃっと夕飯を済ませる。

 独り暮らしにしては上出来だと思う。異世界で野営ばっかしてた頃に比べれば、涙が出るほど文化的だ。


「ごちそうさまでした……」

 キッチンでひっそりと飯を食い終わり、空いた食器相手に挨拶。さて、風呂でもいれようか。そう思って一歩、踏み出した瞬間だった。


 ——ピンポーン


 全身が一瞬硬直した。

 インターホン。

 よりによって、インターホン。

 こればっかりは出るときに困る。家電量販店で買ってきたインターホンを使っているとはいえ、通話のボタンにボールを投げつけては、大きな雑音が入る。とはいえ手で押せばその都度【祝福】してしまう。消耗品としては貧乏人にとっては安い買い物ではない。


 俺は慎重に、まだボタンに触れないように、子機のモニターを覗く。

 映っていたのは女性だった。歳は俺と同じか、少し下くらいに見える。顎の辺りで切り揃えた髪と切れ長の瞳が美しい。ラフな部屋着姿なところを見ると、そう遠くからは来ていないらしい。

「……あれ?」

 ふと、この女性に見覚えがあることに気づく。そうだ、数日前引っ越しの挨拶をしに行った隣人さんだ。何か失礼でもしてしまったのだろうか?不安になりながら俺は子機のボタンを押す。と


 ——【祝福】

 ファーン、と小さく音がして空気が澄む。


 またボタンが固くなる。不安をそのまま感じ取ったのか、なんとレベルが10UP。思わず俺はため息をついた。

「嘘だろ……」

『え?何ですか?もしもし?』

「あっ、もしもし?お隣さんですよね?何でしょう?」

 危ない危ない危ない。相手との通話がつながっていたらしい。気を取り直して俺は言葉を紡いだ。それを聞いてか聞かずかはわからないが、画面の向こうで女が小さく吐く。その次の言葉に、俺は自分の耳を疑った。


『やっぱり……すみません、今貴方が使っている“それ”を持ってきてください』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る