第二話 訃報 遺書 赤い封筒
「平素より、弊社所属のバーチャルアーティスト 尾花日々草 を長年にわたりご支援いただき、誠にありがとうございます。
20XX年X月X日、尾花日々草 は病気療養のため入院しておりましたが、
17日間に及ぶ懸命な闘病の末、誠に残念ながら永眠いたしました。
弊社は、生前の 尾花日々草 本人の意思を尊重し、
当該チャンネルにおけるすべての動画(通常動画、音楽作品、配信アーカイブ等を含みますが、これらに限りません)を、今後も公開したままといたします。
ただし、コラボレーション動画につきましては、共演者からの申し出、またはその他特別な事情が生じた場合、削除される可能性がございます。
なお、当該チャンネルにおける収益化は、本日をもって永久に停止いたします。
故人の御霊が安らかに眠られますよう、心よりお祈り申し上げます。
飛越光年文化伝媒股份有限公司
社員一同
敬具
20XX年X月○○日」
この投稿が公開されてから一時間後、もう一つの投稿が掲載された。
「皆さん、こんにちは。日々草です。
この文章を読んでいる頃には、私の訃報が出てから、一時間ほど経っているはずですね。
皆さんがこの文章を、あまりにも強い衝撃の中で読ませてしまわないようにと思い、
この時間差を作ってほしいと、マネージャーにお願いしました。
もし、私の想定できなかった事情で、何らかの悪影響が出てしまっていたら、本当にごめんなさい。
次は気をつけます。
会社からは音声を録ってほしいとも言われましたが、
今の自分の声を、どうしても皆さんに聞かせたくなくて。ごめんなさい。
以前、配信でも話したことがありますが、
私は小学生の頃に何度も入院し、中学・高校の頃はいったん落ち着いていました。
でも、大学に進学してから再び悪化してしまい、結局、学業を修了することもできませんでした。
人の輪に入れず、
そもそも健康に生きることすらままならない。
そんな私が、一番落ち込んでいた時期に、たまたま飛越に所属し、
そして、たくさんの人と出会うことができました。
どんな場所でも強く生きて、咲いていられる存在でありたいと思って、この芸名を選びましたが……
どうやら、思い通りにはいきませんでしたね。
他の同期生や、業界全体と比べて、
私は目立った実績を残せたわけでもありません。
それでも、私を応援してくれた一人ひとりのファンは、
間違いなく、私にとって一番大切な宝物です。
私のことを「嫁」と呼んでくれた人も、
イラストを描いてくれた人も、
切り抜きを作ってくれた人も、
それから、私のことを
「ケシとアサを足したみたいな名前」なんて呼んでいた人も
(あれは、今でも正直よく分かっていませんが)。
皆さんと出会えたこと、本当に嬉しかったです。
三年間も引き延ばしたまま、結局ファンネームを決められなかったこと、
本当にごめんなさい。
いつも「また考えるね」と言いながら、最後まで思いつきませんでした。
もし来世があるのなら、
今度は丈夫で、長生きする双子葉の木本植物に生まれたいですね(笑)
それでは、さようなら。
もし、たまにでも私のことを思い出して、
昔の動画を見返してくれたら……私は、とても嬉しいです。
飛越文化第四期生
尾花日々草
P.S.
この手紙は、ファンの皆さんに向けて書いたものです。
会社や家族や友人に向けて、形式的に長い感謝の名前リストを書くつもりはありませんでした。
何かを感謝するたびに、延々と名前を並べるあの感じ、あまり好きじゃなくて。
でも、冷たいと思わないでくださいね。
感謝すべき人には、ちゃんと一人ひとり、別に手紙を書いています。」
終わった。
三年間推してきたVは、二つの投稿とともに消えた。
いや、日付を見れば、彼女はすでに七日前に亡くなっている。
公式発表であることはともかく、
あの冷たくて、どこかユーモアの混じった文面は、どう見ても日々草そのものだった。
この一年、俺は兵役に就いていて、
ようやく就職したばかりだった。
これからは、もっと金を使って応援できると思っていた矢先に、彼女は逝ってしまった。
訃報を目にしたのは、ほんの十分前のことだ。
一か月近く配信がなかった日々草を気にしていたところに、
突然この知らせが飛び込んできて、頭の中が真っ白になった。
その直後、日々草の直筆の手紙が公開された。
息が、できなくなった。
「おいおい、みんながすぐに訃報を見るとは限らないって、考えろよ……!」
……そうコメントしたくなっても、
彼女はもう、見ることができない。
「次は気をつけます。」
……w
部屋の中にある、数少ないグッズと二枚のポスターを眺めながら、
俺はしばらく、ただ呆然としていた。
そのあと、丸一日かけてネット上の反応を追った。
どれだけ多くの人に愛されていたのかを実感する一方で、
自分の中から、何かが剥がれ落ちていく感覚があった。
「もしかしたら、俺はそこまで日々草のことが好きだったわけじゃないのかもしれない」
「心のどこかで、彼女を錨代わりにして、
ここに繋ぎ止めて、他の誰かを好きにならないようにしていただけなんじゃないか」
そんなふうに、何度も疑ったことはある。
それでも今は、はっきりと分かる。
自分が、どこか欠けてしまったような空虚さを感じている。
頭がくらくらする。
前頭部と後頭部で、それぞれ違う種類の、奇妙な眩暈がしていた。
額のあたりは、燃え尽きかけの金紙のようだ。
暗く、不安定に漂い、熱を持ち、火花が散り、煙まで上がっている。
一方、後頭部は、卵の殻にある気室を突き破ったような感覚だった。
沸騰した湯の中で、体全体をふわりと持ち上げられながら、
中身が抜けていくにつれて、逆に、どんどん重くなっていく。
その後、まる半月のあいだ、俺はまるでロボット掃除機のように、決められたルートをなぞって動いていた。
起きる、仕事、帰宅、食事、休む。
起きる、仕事、帰宅、食事、休む。
起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む起きて仕事して帰って食べて休む……。
…………。
ある休日の夕食どき。
除隊してからまだ日が浅く、かろうじて保たれていた生活リズムが、操り人形師のように俺を引き起こし、
コンビニで弁当を買うよう、体を動かした。
けれど、腹は減っているのに、まったく食べたい気がしない。
俺はベンチに腰掛け、温めた牛丼を横に置いたまま、またぼんやりしていた。
食べ物の匂いに耐えきれなくなるまで、
体はなかなか動かなかった。
限界になって、ようやく機械みたいに箸を動かし始める。
俯いて食べているとき、足元に赤い封筒が落ちているのに気づいた。
……台湾人なら、誰でもそれが何を意味するか分かる。
それなのに、その瞬間、
俺はある強烈な考えに取り憑かれた。
もう、身近な女性と関係を築くつもりはない。
けれど、日々草がいなくなったあとで、
別の誰かを推すことにも、強い罪悪感を覚えてしまう。
「でも……別の形の関係なら……」
何に導かれたのか、自分でも分からないまま、
俺はその赤い封筒を拾い上げた。
袋に触れただけで分かった。
中に入っているのは、写真と、髪の毛に違いない。
冥婚の儀式は、一昨日の土曜日に執り行われた。
義父母は、早くに亡くなった娘に、恋愛や結婚をしたいという願いを叶えさせるため、
彼女の髪と写真が入った赤い封筒を、地面に置いたのだという。
大まかな流れは、普通の結婚式とほとんど変わらない。
ただし、参列者は極端に少なかった。
立ち会ったのは、廟公(びょうこう)※台湾の寺廟の管理人(香火の世話をする人)が一人と、相手の両親、俺、
そして――怒りが収まらない様子の、俺の母だけだった。
「何度言ったら分かるの。道に落ちてる赤い封筒は拾うなって言ったでしょ?」
心の空白を埋めるために、わざと拾ったんだ、とはさすがに言えない。
だから俺は、ただ小さな声で、何度も母に謝り続けるしかなかった。
奇妙なことに、その女性は、俺の高校時代の同級生だった。
体が弱く、長い髪が目元を隠している。
今どきのオタク用語で言えば、典型的な陰キャ女子だ。
彼女は一度、俺を、まったく興味のない女性向けアニメ映画に誘った。
映画を観たあと、ファストフードを一緒に食べて、それぞれ帰った。
その夜、彼女から届いたメッセージに、俺はかなり腹を立てた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。
忘れたい人がいて、勇気を出してあなたを誘いました。
でも……やっぱり、その人の記憶を上書きしたくありません。ごめんなさい」
それ以来、俺たちの間に、ほとんど交流はなかった。
……そうか。彼女は、亡くなったのか。
彼女の両親に、もう少し詳しい話を聞こうとしても、
返ってくるのは
「今はまだ話したくない。少し時間を置いてからにしてほしい」
という言葉ばかりだった。
だから、ここ数年、彼女が何をしていたのか、俺は何も知らない。
位牌を安置し終えたあと、俺は小さく笑った。
「結局……最後は、俺と結婚することになったんだな」
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