第3話 お姉ちゃんの言うことにゃ
「お父さんもお母さんも言わないから、私が言うけどさあ」
と、前置きをした姉・
続く言葉は予想通り、「そろそろ働け」だった。
八月のお盆休みの前に会社を辞めた。それから婚約破棄にまつわるあれやこれやを無感動に、機械的にこなして片がついて、なんやかんや一か月半もの間、ずっと無職である。このままじゃいけないと思いつつも、やる気が出ない。
東京での仕事は、冷凍弁当や総菜を研究、開発する部署の一員として、日がな一日、新メニューのことであったり、改良点であったりを考えていた。味もそうだし、栄養面も重要で、何よりも値段である。私たちが検討し、作り上げたメニューも、予算の関係で世に出ないこともたくさんあった。悔しくて、コストとクオリティの両方を追求するのは、楽しくてやりがいがあったのだ。
函館には、そういう仕事がない。デスクワークの仕事の求人はほとんどなく、高齢社会まっしぐらな中、介護関係の求人だけは、「経験不問!」の文字がでかでかと躍っている。
立派な仕事だと思う。私には到底無理な仕事だ。命を直接預かるのは、畏れ多い。
「高望みやえり好みしてる場合じゃないんだって。ほら、うちのスーパーのレジ打ちのバイトから始めたら?」
姉の旦那さんは小学校の先生。そして三人の子どもがいる。子どもたちが保育園や学校に行っている間、週に三日、スーパーで働いている。家のことと仕事を両立させている姉はすごいと思うけれど、レジ打ちにはクリエイティブのかけらもないな、と惹かれない。
「このままじゃあんた、ニート……ううん、ごくつぶしだよ」
何も言わないのをいいことに、散々な言い様である。さすがにカチンと来たので、姉の前に置いたあんかけ焼きそばを取り上げた。
「ごくつぶしの作ったご飯なんか、食べられませんよね~ぇ? これはやっぱり私がひとりで食うわ。お姉ちゃんは、冷凍ご飯でチャーハンでも作ったら?」
「あっ、嘘! ごめんなさい! ごくつぶしは言い過ぎた!」
即座に頭を下げ、「だから返してください」と、手を差し出す。我が姉ながら、なんて食い意地が張ってるんだろう。子どもの頃からたくさん振る舞ってきた、私のせいか。いや、ちょっとの失敗作を美味しくないからって言ってるのに、「大丈夫大丈夫」と、何でも口にしていたんだから、筋金入りだ。
仕方がないなあ、と返してあげると、目を輝かせて焼きそばを啜り始める。
もっと若い頃は、「あんたのせいでまた太った!」と、くだらない姉妹喧嘩が勃発することもあったが、結婚をして幸せな生活を送っている今は、少々ぽっちゃり体型でも気にならないのだろう。高校生のときと同じくらい、姉はよく食べる。
いっそ惚れ惚れするくらいの食べっぷりに、私はしばし、自分の分を食べるのを忘れて、ほけっと見つめてしまう。
「……食べないの?」
その視線に、じとっとしたものが一ミリも含まれていないかといったら、嘘だ。私が残したら、食べる気だな。
「食べるよ。お腹は空いてるから」
「そ。ならよかった」
そしてその言葉も、本心からのものだ。矛盾しない。
こっちに戻ってきたばかりの私は、人生で一番痩せていた。ストレスは、自分で馬鹿みたいな量を作って、それを食べるという解消法で対処してきたけれど、効果がなかった。自分が、本当にショックを受けたときには、食を受け付けなくなるタイプなのだと、初めて知った。
姉はそのときの姿を見ているから、ゆっくりでも食事を摂ることができている私に、安堵している。しばらくの間、視線を感じたが、やがて姉も、自分の前の皿に集中していた。
「でもさあ、ほんと、気分転換でもいいから外に出て働いた方がいいんじゃない?」
「うーん」
実家に戻ってきて生活も落ち着いてきて、そろそろ、というのは自分でも思っていたところなのだ。
この街は、程よく都会で田舎だ。いいところも悪いところもある。スーパーに行けば、顔見知りのおばさん(昔からおばさんだったけど、いつになったらお婆さんになるんだろう?)が、「まひるちゃん、いつ戻ってきたの?」と、大げさに驚く。「いくつだっけ?」と聞かれて馬鹿正直に二十八だと応えたら、次に飛んでくるのは「結婚は?」だ。私にとっては、血が乾かない生々しい傷口を抉る刃だ。
この年の女が夜にひとりで働くなんてこと、彼らは想像したことがないのだろう。都会には、若い男女がコンビニ夜勤で生活費を稼ぎながら、夢を追う姿なんていうのは普通だった。昼間にふらふらとひとりで歩いていても、平日休みの職業なのだとしか思われないが、この街しか知らない人たちは、「仕事もせず結婚もせず。まひるちゃんは大丈夫なのかい?」と、心配の目を向ける。
それがやがて軽蔑になり、両親にも迷惑をかけるかと思うと、辛い。
恋愛や結婚はもうどうでもいいしする気はないから、仕事だけはしなければならない。親はまだのんびりしていていいと言うけれど、ゆくゆくは自立して、ひとり暮らしをしたい。
幸い、手元には婚約破棄の慰謝料がある。退職金は雀の涙だった。もともとの貯金と合わせて数百万円。一生遊んで暮らすことはできないが、半年くらい休養してもいいか、と考えていたのが甘かったらしい。
「東京の仕事、楽しかったからなぁ……」
作って試食して、あれこれと提案して、却下されて、また死に物狂いで考え直して、ようやく商品になる。まだ私がメインとなった企画が通ったことはなかった。結婚して辞めたとしても、その点については後悔が残っただろう。
姉は、私が東京でしていた仕事についてよく知らない。彼女は料理はそれほど得意ではないが、自分の手でできる限りのことはしたいと、毎日頑張っているから、冷凍弁当は必要ないのだと笑っていた。
「料理の仕事、すればいいじゃない? レストランとか食堂のキッチンで働くのはどう? まずはバイトでもいいのよ。働いてるうちに、どうにかなるでしょ」
楽天的だなあ、と苦笑する。それが晴日姉のいいところだ。前職は、正確には料理の仕事ではないのだけれど、説明しても仕方ない。
「あんた、高校で調理師免許取ってたでしょ? そういうの活かしてかないと!」
高校は、一般科と調理師科が併設されている私立の学校に行った。料理や食品に関わる仕事がしたいと思っていたから、地元にそういう特別な学校があってありがたかった。そこから女子大の家政科に進学し、管理栄養士の資格も持っている。
確かに宝の持ち腐れだ。普通の人が持っていないアドバンテージをふたつも持っていて、職歴だってあるのだから、なんだってできるはず。
「そうだね。いつまでも実家の世話になってるわけにもいかないし……ちょっと探してみようかなあ」
傷が癒えるのをただ待ってくれている両親も優しいが、姉の強い言葉で発破をかけるやり方もまた、優しさだ。私がいつまでもくよくよといじけていたって、私をひどい目に遭わせた連中は、勝手に幸せになるんだろう。
それなら、私だって幸せになる努力をしないと、差が開いていくばっかりじゃない?
私はスマホを取り出しかけて、少し考えて、やめた。
まずはあんかけ焼きそばが冷める前に、食べてしまおう。
仕事を探すという目的ができてから食べる料理は、これまでよりも味がはっきりと感じられて、美味しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます