第4話「亀裂」

集落で暮らし始めて、数日が経った。


最初は居心地の悪さを感じていたが、今では少し慣れてきた。人々は俺に話しかけてくるし、子供たちは俺の周りを走り回る。俺は相変わらず無愛想だが、それでも皆は気にしていないようだった。


朝、目が覚めると、校舎の廊下から人々の声が聞こえる。食事の準備をしている音だ。俺はベッドから起きて、窓の外を見た。校庭では、高橋が見張りの配置を確認している。


俺は部屋を出て、廊下を歩いた。美咲が食事の準備をしている。


「おはよう、柊さん」


美咲が笑顔で言う。俺は頷いて、配給された缶詰を受け取った。


食事を終えて、俺は校庭に出た。バリケードの修理を手伝うためだ。高橋が木材を運んでいて、俺も手伝った。


「助かる。お前がいると心強い」


高橋が言う。俺は何も答えなかった。


作業をしていると、美咲が近づいてきた。


「柊さん、慣れましたか」


「…まあ」


「良かった。最初は不安でしたけど、皆あなたのこと受け入れてますよ」


美咲がそう言って笑う。俺は黙って作業を続けた。


美咲が隣で木材を運びながら、話し続ける。


「私も、家族を失ってから、ずっと一人でした。でも、ここに来て、皆と一緒にいると、少しだけ楽になった気がします」


俺は美咲を見た。美咲は笑っているが、その目には悲しみが見える。美咲も、俺と同じだ。家族を失って、それでも生きている。


「柊さんは、どうですか。一人で生きてきたんですよね」


「…ああ」


「辛かったでしょう」


美咲がそう言う。俺は何も答えなかった。辛かったかどうか、もう分からない。ただ、生き延びてきた。それだけだ。


作業を終えて、俺は校舎の屋上に上がった。ここからは、街全体が見渡せる。崩壊したビル、錆びた車、草が生えた道路。まるで文明が滅びた後の世界で、実際にそうなのだろう。


左腕が呟く。


『人間と暮らすのは、どうだ』


「悪くない」


『珍しいな。貴様が他人を認めるとは』


「認めてるわけじゃない。ただ、ここにいるだけだ」


『強がるな』


俺は左腕を見た。黒い左腕。この腕が、俺を変えたのかもしれない。一人ではなくなったから、人と一緒にいることを受け入れられるようになった。


その日の午後、高橋が俺を呼んだ。


「柊、話がある」


高橋が真剣な顔をしている。何かあったのか。


「見張りが報告してきた。魔物の動きがおかしい」


「どういうことだ」


「魔物が、ある方向へ移動している。まるで何かに引き寄せられているかのように」


高橋が地図を広げる。魔物が向かっているのは、北の方角だ。


「調査が必要だ。お前と佐藤、それに俺と数名で行く」


「分かった」


俺は頷いた。


翌朝、調査隊が出発した。高橋、美咲、俺、それに護衛が二人。合計五人だ。


街を進む。崩壊したビルの間を、慎重に歩く。魔物の姿は見えない。いつもなら、この辺りには小型の魔物がいるはずなのに、今日は一匹もいない。


不気味なほど静かだ。


美咲が俺の隣を歩きながら、小声で言う。


「静かすぎますね」


「…ああ」


「何かが起きている気がします」


俺も同じことを感じていた。この静寂は、嵐の前の静けさだ。


左腕が呟く。


『嫌な予感がする』


「何だ」


『分からない。だが、何かがおかしい』


俺は警戒を強めた。


調査隊が進むと、やがて広場のような場所に辿り着いた。元々は公園だったのだろう。今は草が生い茂っていて、遊具は錆びている。


そして、そこに「それ」があった。


巨大な亀裂。


空間が裂けていて、黒い裂け目が浮かんでいる。まるでガラスにヒビが入ったように、空間そのものが歪んでいる。


第1話で見た、あの亀裂と同じだ。だが、もっと大きい。高さは10メートルほどあって、幅も5メートルはある。


高橋が息を呑む。


「これは…新しい亀裂か…」


護衛の一人が後ずさる。


「やばい…また魔物が出てくるんじゃ…」


美咲が俺を見る。不安そうな顔だ。


俺は亀裂を見た。亀裂からは、何も出てきていない。だが、亀裂の向こうから、何かが覗いている気がする。


左腕が呟く。


『これは…まずい』


「何だ」


『新しい魔物が出てくる。それも、強い魔物だ』


「どうして分かる」


『感じる。我は魔王の欠片だからな』


その瞬間、亀裂が光った。


眩しい光が放たれて、俺たちは目を覆った。


そして、亀裂から何かが出てきた。


巨大な魔物だ。


体長は15メートルほどあって、まるで竜のような姿をしている。黒い鱗に覆われていて、目は赤く光っている。翼があって、尻尾が長い。


A級魔物だ。


護衛の一人が叫ぶ。


「逃げろ!」


だが、遅かった。


魔物が咆哮した。耳を劈くような轟音が響いて、俺たちは耳を塞いだ。まるで頭の中で爆発が起きたかのような衝撃で、視界が揺れる。


魔物が俺たちを見た。赤い目が、俺たちを捉える。


そして、魔物が動いた。


速い。


魔物が護衛の一人に爪を振る。護衛が避けようとしたが、間に合わなかった。爪が護衛の体を引き裂いて、血が飛び散る。護衛が倒れる。


「逃げろ!」


高橋が叫ぶ。


美咲が防御魔法を張る。光の壁が現れて、俺たちを守る。だが、魔物の次の攻撃で、壁が砕け散った。美咲が吹き飛ばされる。


俺は前に出た。


左腕の力を使う。黒い炎が生まれて、魔物に向かって放たれる。


炎が魔物を包む。だが、魔物は燃えない。鱗が炎を弾いている。


『この魔物は強い。通常の攻撃では効かない』


左腕が言う。


「どうすればいい」


『力を解放しろ』


「何」


『我の力を、全て解放しろ。そうすれば、倒せる』


だが、力を解放すれば、何が起きる。左腕は、以前も暴走しそうになった。


『心配するな。制御する』


本当か。


魔物が再び攻撃してくる。爪が俺に迫る。


俺は避けた。だが、避けきれず、肩に爪が当たった。痛い。血が流れる。


美咲が叫ぶ。


「柊さん!」


美咲が治療魔法を使おうとするが、魔物が美咲を狙う。


高橋が銃を撃つ。だが、効かない。弾が鱗に弾かれる。


魔物が高橋に向かう。


「高橋さん!」


俺は叫んだ。


左腕が疼く。


『力を解放しろ!』


左腕が叫ぶ。


だが、俺は躊躇した。力を解放すれば、皆を巻き込むかもしれない。


『信じろ!我を信じろ!』


左腕が言う。


俺は、決断できなかった。


魔物が高橋に爪を振り下ろす。


高橋が避ける。だが、間に合わない。


その瞬間、美咲が高橋の前に立った。


防御魔法を張る。だが、魔物の爪が壁を砕いて、美咲の体を貫いた。


「美咲さん!」


俺は叫んだ。


美咲が倒れる。血が流れる。


高橋が美咲を抱き起こす。


「佐藤!しっかりしろ!」


美咲が目を開ける。弱く笑う。


「大丈夫…です…」


だが、大丈夫じゃない。傷が深い。


俺は魔物を見た。


怒りが湧き上がる。


だが、力を解放すれば、皆を巻き込む。


俺は、どうすればいい。


左腕が呟く。


『逃げろ』


「何」


『今は、逃げろ。この魔物は、今の貴様では倒せない』


俺は歯を食いしばった。


「高橋さん、逃げるぞ」


「だが…」


「今は逃げるしかない」


俺は美咲を抱き上げた。高橋と残った護衛が、俺について来る。


魔物が追ってくる。


俺たちは走った。ビルの間を、崩れた道路を、ひたすら走った。


だが、魔物は追ってこなかった。途中で、追跡をやめたようだ。


俺たちは集落に戻った。


美咲を治療室に運ぶ。傷は深いが、命に別状はないようだ。


高橋が俺に言う。


「集落を移動させる。ここは危険だ」


「…分かった」


俺は美咲の傍に座った。美咲は眠っている。


左腕が呟く。


『すまない。力を、抑えきれなかった』


「お前のせいじゃない」


『だが…』


「俺が、決断できなかっただけだ」


俺は左腕を見た。黒い左腕。この力を、まだ完全には制御できていない。


窓の外を見る。空は暗い。


新しい亀裂。新しい魔物。


この世界は、まだ終わっていない。

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