第3話「生存者」

左腕と契約してから、一週間が経った。


その一週間で、俺は左腕の力に慣れつつあった。最初は黒い左腕を見るたびに不気味さを感じていたが、今ではもう慣れた。左腕は俺の一部で、左腕の声も、もう違和感はない。


朝、目が覚めると、窓から外を確認する。魔物の姿は見えない。左腕が呟く。


『今日も平和だな』


「ああ」


俺は短く答えて、食料を確認する。缶詰が残り少ない。また、外に出なければならない。


リュックを背負って、武器を手に取る。金属棒は相変わらず錆びていないし、ナイフも切れ味を保っている。部屋を出て、マンションを出る。


外に出ると、空は曇っていた。雨が降るかもしれない。雨が降れば、水を集められる。貯水タンクを用意しておくべきだろう。


街を歩く。崩壊したビルの間を、錆びた車を避けながら歩く。道路には相変わらず草が生えていて、まるで自然が人類の痕跡を消そうとしているかのようだ。


遠くで、魔物の咆哮が聞こえる。方向を確認する。東の方だ。俺が向かうのは西だ。問題ない。


歩き続けていると、左腕が声をかけてきた。


『あれを見ろ』


左腕が示す方向を見ると、遠くに煙が上がっている。


煙。


人がいる証拠だ。


俺は足を止めた。


人。一年間、俺は人と関わらなかった。関わりたくなかった。人と関わると、また失うかもしれない。だから、避けてきた。


だが、今は左腕がいる。一人ではない。それが、俺の心を少しだけ変えたのかもしれない。


『どうする』


左腕が聞いてくる。


「…行ってみる」


俺は答えて、煙の方向へ向かった。


煙が上がっている場所は、廃墟となった学校だった。校舎の一部は崩れているが、半分ほどは残っている。校庭には、バリケードが作られていて、その内側に人がいた。


10名ほどだろうか。男も女も、老人も子供もいる。皆、疲れた顔をしているが、まだ生きている。まだ、希望を捨てていない。


俺が近づくと、見張りが俺に気づいた。


「誰だ!」


男の声だ。銃を向けられる。自衛隊から奪ったものだろう。


俺は武器を置いて、手を上げた。


「敵じゃない」


「一人か?」


「そうだ」


見張りが警戒しながら、校舎の方へ声をかける。


「リーダー!誰か来た!」


しばらくすると、校舎から男が出てきた。40代くらいの男で、がっしりとした体格をしている。元警察官だろうか。そんな雰囲気がある。


「お前、一人か?」


男が聞いてくる。


「そうだ」


「よく生き延びたな。魔法使いか?」


「…ああ」


俺が答えると、男の顔が少し和らいだ。


「なら、歓迎する。俺は高橋。ここのリーダーだ」


高橋が手を差し出してくる。俺は少し迷ったが、握手をした。


「柊だ」


「柊か。よろしく。うちには魔法使いが一人しかいない。お前がいてくれると助かる」


高橋が校舎の方へ手招きする。俺はバリケードを越えて、校舎に入った。


校舎の中は、思ったより整頓されていた。教室が住居になっていて、廊下には食料や水が積まれている。人々が行き交っていて、皆、何かしらの作業をしている。


高橋が俺を案内してくれる。


「ここは元々、避難所として使われていた。だが、魔物が増えて、避難所も崩壊した。俺たちは、ここに逃げてきた」


「何人いる」


「10人だ。少ないが、皆、必死に生きている」


高橋が教室の一つを指す。


「魔法使いの佐藤がいる。紹介しよう」


教室に入ると、女性が一人いた。20代くらいで、明るい顔をしている。こんな世界で、まだ笑顔を保てるのは、強さの証だ。


「佐藤、新しい仲間だ。柊さん」


女性が俺を見て、笑顔を見せた。


「よろしく。佐藤美咲です」


「…柊だ」


俺は短く答えた。美咲は気にせず、続ける。


「魔法使いなんですよね。嬉しいな。私、治療魔法しか使えないから、戦闘は苦手で」


治療魔法。貴重な能力だ。この世界で、怪我を治せる人間は少ない。


「よろしくお願いします」


美咲がもう一度笑顔を見せる。俺は頷いた。


高橋が俺に部屋を案内してくれた。教室の一角が、俺のスペースになるらしい。簡易ベッドと、いくつかの荷物が置かれている。


「ここを使ってくれ。何かあったら言ってくれ」


「…ありがとう」


高橋が去って、俺は一人になった。いや、一人ではない。左腕がいる。


『人間は群れる生き物だな』


左腕が呟く。


「…そうだな」


俺はベッドに座って、窓の外を見た。校庭では、人々が作業をしている。バリケードを補強したり、食料を運んだり、皆、生き延びるために動いている。


俺も、こうすべきだったのか。一人で生きるのではなく、誰かと一緒に。だが、もう遅い。家族は戻ってこない。


夜になった。


校舎の中は、ランプの明かりで照らされている。電気はないから、火を使うしかない。だが、火は魔物を引き寄せる可能性があるから、最小限にしている。


食事の時間になると、皆が集まった。食料は配給制で、一人一人に缶詰と水が配られる。俺も缶詰を受け取って、隅で食べた。


美咲が俺の隣に座ってきた。


「一人で食べるの寂しいでしょ」


「…別に」


「そう言わないで。仲良くしましょう」


美咲が笑う。俺は何も言わなかった。


「柊さん、どこから来たんですか」


「近くだ」


「家族は」


「…いない」


美咲の顔が少し曇った。


「そうですか。私も、家族はいません。魔物が出た日に、両親が死にました」


俺は何も言えなかった。美咲も、同じだ。家族を失っている。だが、美咲は笑っている。前を向いている。


「でも、生きていれば、いつか良いことがあるって信じてます」


美咲がそう言う。俺には、そんな希望はない。ただ、生き延びているだけだ。


食事を終えて、俺はベッドに戻った。左腕が呟く。


『あの女、強いな』


「…そうだな」


『貴様も、少しは見習え』


「うるさい」


俺は目を閉じた。


そのとき、外で音がした。


咆哮だ。


魔物だ。


俺は飛び起きて、外に出た。校庭に人々が集まっていて、皆、バリケードの方を見ている。


バリケードの向こうに、魔物がいた。


大型の魔物だ。B級魔物で、体長は5メートルほどある。まるで恐竜のような姿で、牙が鋭い。


高橋が叫ぶ。


「全員、校舎の中に!」


人々が校舎に逃げる。子供たちが泣いている。


魔物がバリケードを壊そうとしている。バリケードが揺れる。


俺は前に出た。


「柊さん!」


美咲が叫ぶが、俺は止まらない。


バリケードを越えて、魔物の前に立つ。


魔物が俺を見た。赤い目。まるで血のような色だ。


魔物が吠える。


俺は左腕を前に出した。


『やるのか』


「ああ」


左腕の力を使う。


黒い炎が生まれる。


いつもの火炎魔法とは違う。左腕の力を使った炎は、黒くて、まるで闇そのもののようだ。


炎が魔物を包む。魔物が咆哮する。暴れる。だが、炎は消えない。


やがて、魔物が倒れた。動かなくなった。死んだ。


俺は炎を消して、振り返った。


人々が、俺を見ている。


恐怖と畏敬の混じった目だ。


「すごい…」


誰かが呟く。


美咲が駆け寄ってくる。


「すごい力ですね」


だが、美咲の目は、少し警戒している。


「その左腕…何ですか」


「…関係ない」


俺は答えずに、校舎に戻った。


部屋に戻って、ベッドに座る。左腕が呟く。


『人間は、力を恐れる』


「知ってる」


『気にするな』


「気にしてない」


俺は横になった。


翌朝、高橋が俺を訪ねてきた。


「昨日はありがとう。お前がいなかったら、皆死んでた」


「…いい」


高橋が真剣な顔で聞いてくる。


「柊、うちに残らないか。魔法使いが二人いれば、もっと安全になる」


俺は迷った。


残るか。去るか。


一人でいたい。だが、人と一緒にいるのも、悪くないかもしれない。


左腕が呟く。


『貴様が決めろ』


「…少しだけ、世話になる」


俺は答えた。高橋が笑った。


「ありがとう。助かる」


高橋が去って、俺は窓の外を見た。


校庭では、子供たちが遊んでいる。こんな世界でも、子供たちは笑っている。


俺は、ここに残ることにした。


少しだけ。

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