龍神の門出

風月 雫

龍神の門出

 一つの物語りが終わろうとしていた。


 満天の星空の下に星の光が反射する浅瀬の海が広がる。その海の底には一か所、小さな青白い光が輝いていた。

 羽衣を身に纏った女性が一人佇み、海を眺めている。


 その浅瀬の海に彼女がそっと入り、小さな光るものを大事そうに掬い上げた。

 彼女は十月十日とつきとおか、この時をひっそりとここで待っていたのだ。

 

 薄い皮に覆われた、夜空に瞬く星の光のように輝くその物をじっと見つめる。

 薄っすらと中が透けて見え、赤子らしいものが丸まり、トク、トクと手に鼓動が伝わってきた。神からの授かりものだ。


「無事に育ったのね。良かった」


 一つの物語りが終わろうとする1年ほど前から、この海に異変が起こる。青白く光るものが海の底に出来、その中に新しい生命いのちが宿る。


 ――が稀に、この時まで育たない事がある。その年の次の年には遠い土地で、水、地、風といった災害が起きた。

 女性は海から陸に上がると、愛おしく見ながら、濡れたままの服で少し離れた神殿に赴く。

 神殿には、もうこの子に仕える神獣の龍「ウマ」が待っていた。

 

 彼女はウマに目線で合図を送ると、手に抱えていたそれを神像の前に置く。そして唄うように祈り『祝詞』を捧げた。

 

 何処ともなく、疾風が起こった。慌てて彼女は風をよけるように顔に腕を持ってきた。


「何故? 神はこの子をお気に召さなかったの?」


 今までとは違う儀式に彼女は戸惑った。今までは、そのまま薄い皮が破れ中から赤子が出てくる。


 彼女は辛うじて柱にしがみ付き、神像の前に置いたあれを見た。


「――! 無くなっている」


 待ち焦がれ、長い月日を待っていたのに、神獣の『ウマ』と共になくなっていた。それを攫うかのように吹いていた風も次第に落ちつく。彼女は慌てて神像の前に向かった。


「あ、ああ……」


 この世に出てくる姿を見る前に、あれが跡形もなく無くなってしまっていた。

『ウマ』もいない。彼女は何が起こったのか理解出来ず、ただただ、泣き崩れる。


 神からの授かりも育たないことはあった。途中で諦めなければならない時も。その時は、仕方がないと、それが運命だと言い聞かせ納得し、受け入れてきた。けれど、今回は違った。あと、もう少しでこの世に産まれるはずだった。彼女はあれを慈しみ、我が子のように大事に見守ってきたのだ。もうすぐこの世に生れ落ちるはずだったあれには、もう名も決めていた。


――龍輝リュウキ


 これが、次に必要としている世界に届けるはずの龍神の子。長い月日をそっと見守り続け、もうすぐ顔を見れるという所で、神が攫って行ったのだ。


「何故、どうして……」


 彼女は神像に問いかけた。長い月日を見守ってきたものをどうして奪うのかと。


――すまぬ。


 そう彼女の頭に低い声が聞えた。神の声だ。

 

――そなたには、本当に申し訳ない。あやつは厳しい世界に送り込まなければならなくなった。あれには、少し試練を与えないといけない。人間が住む世界で生き抜くための――。人の心の痛みが分かる龍神になってもらわないといけない。


「人の心の痛み……ですか?」


 彼女は神像の前で泣き崩れたまま、地面の砂をギシリと握った。


――傲慢、横柄、高飛車な人間。それとは逆に、謙虚、謙遜、配慮深い人間もいる。中には何かを守ろうと貧しいながらも必死で生きようとしている者もいる。そんな人々の痛みが分かる龍神になってほしいのだ。


「けれど、私は……」


 彼女は自分は単なる神からの授かりものを見守る役目のもの、と言い聞かせる。それ以上の事は望んではいけない。


「いえ、私は神の子の誕生を祝う者です。神の御心のままに」


 自分の気持ちに蓋をするかのように、歯を食いしばり思いっきり目を閉じた。


――さあ、あの子の新しい物語りが始まる。あの子の門出を祝ってやろう。


 彼女の心はまだ、救われていない。けれど彼女はそっと神像に跪き、顔を見ることの出来なかったあの子の為に、祝いの祈りを捧げた。


 新しい物語りの始まりと共に。


 きっとあの子は人間の住む世界を尽くしてくれるだろうと信じて。

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龍神の門出 風月 雫 @sizuku0219

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