夜見川君のお母さん AI

「夜見川君のお母さん?」


 わたしの口は思わず不用意な言葉を発していた。でも、間違いない。少し年を取った姿だけど、目元や口元のラインが基本的には変わっていない。


 夜見川君の家へ遊びに行った時、玄関で出会ったお母さん。優しい笑顔で「お友達? 翔の部屋でゆっくりしてね」って言ってくれた人。挨拶もそこそこに夜見川君の部屋まで行ってイチャイチャしていたから、そこまでじっくりと話したことはない。


 でも、二十五年経った今でもどこか温かそうな人となりは変わらない。髪に白いものが混じっているけど、彼女こそ夜見川君のお母さんで間違いない。


 夜見川君のお母さんは大きく目を見開き、わたしを凝視する。そりゃそうかも。だってわたし、二十五年前に行方不明になっているはずだから。


 目の前で固まったままの表情が、驚きから混乱、そして……信じられない、という色に変わっていく。わたしも同じだ。どうしてここに? ……って、夜見川君とはご近所さんなんだから大して不思議でもないのか。巡り合わせとしては神がかり的なタイミングだとは思うけど。


「亜衣ちゃん? あなたは上城亜衣ちゃんなの?」


 夜見川君のお母さんの声が震える。わたしは頷きかけて、慌てて動きを止める。ああ、もう面倒くさい。っていうか、どうするの……この状況。


「……どうして? あれから二十五年も経って……あなた、本当は生きてたの?」


 ――生きてたの?


 その言葉に、胸がチクッと痛む。わたしは、死んだ扱いにでもなっていたの?


 事故の後、病院で目覚めて、家族に囲まれて、でもみんなの視線がよそよそしくて……。待って、違う。わたしは夜見川君の痕跡を探しに行って、そのまま行方不明になっただけのはず。夜見川君が亡くなったとは聞いたけど、わたしは生きて、戻ってきた……はずだよね?


 何か、とても嫌なものを見落としている気がする。わたしの腕が、小刻みに震えてきた。


 夜見川君のお母さんの両手が、震えるわたしの腕をそっと包み込む。なんだか、落ち着けって言われているような気がした。


「亜衣ちゃん……本当に亜衣ちゃんなの? あの事故で、翔と一緒に……。お葬式もしたのに……。一体どういうこと? 今までどこにいたの?」


 え? 葬式? 葬式って、夜見川君のだよね?


 わたしも頭が混乱してきて、言葉が詰まる。夜見川君のお母さんの目は涙でいっぱいになっていた。わたしは慌てて手を振る。


「え、えっと……あの、わたし……上城亜衣ですけど……じゃなくて、遠い親戚で……そう、亜衣の、親戚なんです。つい最近に親とケンカで家出して、亜衣の実家を探してたんです。だけど……ここ、建て替わっちゃってて……。ごめんなさい、突然で」


 とっさに思いついた言い訳が口から出る。わたしにしては上出来なアドリブだった。なんだか墓穴を掘りそうな気がしないでもないけど。


 どちらにしても、これぐらいのことを言わないと色々とつじつまが合わない。さっきの混乱はさておき、わたしが上城亜衣本人であることは隠し通さないと。


 夜見川君のお母さんが、ゆっくり息を吐く。涙を拭いて、わたしをじっと見つめる。


「親戚……? 亜衣ちゃんの? それで、家出してここに来たの? 亜衣ちゃんの家、たしかにこの辺だったけど……もうあれから二十五年も経つし、当時の家もとっくに取り壊されてマンションになったわよ。知らなかったの?」


 うん、やっぱり欠陥だらけの言い訳だったよね。今のわたしが高校生の設定だったとしても、二十五年前に生まれているわけがないんだから。だけど夜見川君のお母さんがうまいこと矛盾に気が付いていない。それだけ目の前にいるわたしのインパクトが強すぎるんだと思うけど。


 お母さんの声が少しだけ落ち着く。わたし話を聞きながら、密かにホッとしている。でも、安心している場合じゃない。話を合わせないと。


 ひとまず第三者から実家の取り壊しを聞き出せたのは前進だ。いいニュースではないけど。わたしは落ち着いて質問に答える。


「はい、知らなかったです。わたし、亜衣の遠い親戚で、えっと……アユミ、です。家出して、お金もなくって……亜衣の実家に頼ろうと思って、来ちゃったんですけど……。すみません、迷惑かけちゃって」


 嘘が、次から次へと出てくる。バレたらどうしようと頭が熱くなって、汗が背中を伝う。そんなことも知らずに、夜見川君のお母さんが優しく微笑む。


「まあ、そんな……。二十五年も経ってるのに。しかし本当に亜衣ちゃんにそっくりね。見た瞬間はかなりビックリしたけど、困ってるのね。うちの翔も、あの後……。まあ、いいわ。とりあえず、家に来なさい。泊まっていきなさいよ。話聞くから」

「え?」


 泊まる? 夜見川君の家に? 予想だにしていなかった展開に、わたしは思わず言葉を失いかける。


「……本当に、いいんですか?」

「いいのよ。亜衣ちゃんの親戚なら家族みたいなものだわ。翔の部屋、空いてるし。行きましょう」


 そう言って夜見川君のお母さんは返事を待たずに歩きはじめる。わたしは時間差でハッとしてその後を付いて行った。


 夜見川君の家……あの部屋に行くのは二十五年ぶりだろうか。もう二度と行くこともないだろうとは思っていたけど、想定外の展開に頭が混乱して、足がフラつく。それこそ夢なんじゃないかって思った。

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