変わらぬ君と Gaku
――二〇二五年秋。
ガキの頃の俺は、こんな未来を予想しただろうか。いや、それは無いだろう。こんなことが起こるなんて、誰にだって予想なんか出来やしない。ワインも味がしなくなってきた。
だいぶ酒が回ってきた。最近は控えていたけど、こんなことが起こったら飲まないとやってられないだろうよ。
俺は一体、誰と話しているんだ。目の前に座る整った顔の少女。かつて通っていた中学で一緒のクラスメイトだ。
なあ、夜見川。お前はこうなる未来を想像出来たか?
二十五年前に交通事故で亡くなったはずの同級生がいきなり連絡してきて、当時とまったく変わらない姿で目の前に現れる。これを怪奇現象と呼ばずに何と呼べばいいんだ?
最近は美容整形の技術が驚くほど進化しているのも知っている。本当は五十歳なのに、どう見ても二十代にしか見えない美魔女って呼ばれる存在がいるのも知っている。
だけどよ、上城の場合は明らかにおかしい。何もかもが変わらなすぎる。まるで、二十五年前からタイムマシンに乗ってやってきたんじゃないかってぐらいに。
アレなのか? よくライトノベルで聞くトラックで轢かれて転生ってやつ。あるわけねえよな、そんなこと。
だけど、現実としてあの時のクラスメイトは俺たちの前にいる。再会した瞬間は、あまりの驚きに声も出なかった。なあ、あのポケベルぐらいしか無い時代から、お前はどうやってこっちにやって来たんだ?
志穂も驚きが顔に出過ぎだ。あんなに露骨に驚いたら、上城が異変に気付くじゃないか。
イタリア料理店に入ると、いくらか掻き乱れた心も和らいだ。
店内の照明は柔らかく、壁に飾られた水彩画が暖かな光を反射している。俺たちは窓際のテーブルに座って、コースターの上でワイングラスを回している。
店内は静かで、遠くのキッチンからかすかに皿の当たる音が聞こえるだけだ。月見町のこのイタリアンは昔よく行った駄菓子屋の跡地で、孫が引き継いでリニューアルした。二十五年ぶりの再会を果たすなら、あの色々あった峠よりもこっちの方がいいだろうという話になったからだ。
上城は向かいに座ってメニューを眺めている。あの時と少しも変わらない表情で。「このパスタ、美味しそう」って言う声が、まるで二十五年前の教室から聞こえてくるみたいだ。一体どんな現象が起きているんだ。
髪の長さ、どこか遠慮がりに見える目、そして肝試しに行った時みんなでつけたペンダント。すべてが、あまりにもあの頃のまま過ぎる。
この前ノーベル賞をとった人ってタイムマシーンを作った人だっけ? いや、絶対に違う。たしか細胞だか医学の研究だったはずだ。少なくとも過去の人間を現在に移動させる技術なんて生まれていない。そんなことをすれば、世界中がもっと大騒ぎになっているはずだ。
グラスのワインを飲み下す。こんなの、飲まないとやっていられるか。酔っ払いが話していそうな与太話が、現に目の前で起こっているんだ。夢だと思った方がよほど合理的だ。
志穂の足が、テーブルの下で俺の足を軽く蹴る。痛いって。ってことはやっぱり現実なのか。蹴ったのは「落ち着け」って意味だろうけど、俺の方だって平静を装っているのが精一杯だ。
上城さんから連絡が来たのは、一週間前。もちろん絶滅したポケベルなんかじゃなくて、メールだった。
「久しぶり。上城だけど、しばらくぶりに志穂ちゃんも一緒に会いませんか?」
届いたのはシンプルな文面。絵文字も無く、送信元は上城亜衣と記載されていた。
当然のごとく、俺は悪質なイタズラだと思った。二十五年……悲しい事故でみんなが傷付いて、一緒に涙を流した。そんな事情も知らない奴が上城の名前を騙るなんて許せないとさえ思った。
ただ、俺にも身に覚えが無かったわけじゃない。
あの事故があってから、思い出の地でもあり忌まわしい場所でもある
何度か月美津峠を訪れている間に、肝試しの話を思い出した。悲恋を経て死んだ女の霊は、ペアリングやペンダントなど、二人で一つになるものを持っていけば出てくるという話だった。
その話を思い出した俺たちは、あの時のペンダントを持って月美津峠を訪れた。無駄なのは分かっていた。だけどあの日から、結局俺たちはあきらめることが出来なかったんだ。
ペンダントを数珠のように持って、月に祈りを捧げた。この空の下のどこにいたとしても、いつまでも元気でいてくれとか、そんなことを祈ったのだと思う。その時に声が聞こえたような気がしたが、まさか本人だったのか?
……そんなバカな。そんなことがあってたまるか。
「亜衣ちゃん、急に連絡が来て本当にビックリしたよ。なんだか夢みたい」
志穂が明るく切り出す。結婚してずいぶん経つけど、彼女がこの状況をどうとらえているかは俺でも読めない。天然だから「そういうこともあるかも」ぐらいに思っているんじゃないか。その心理は分からない。
「今まで、どこに行っていたの? あたしはてっきり……」
そこまで言って、志穂の目に涙が浮かぶ。零れ落ちた涙が、マスカラのせいで黒い筋になる。上城がハンカチを出そうとして、志穂が「ごめんなさい」と自分で拭き取った。
「なあ、今まで何があったんだ? 俺は訳が分からなくてさ、正直混乱している」
酒が回ったのもあり、本音を軽くぶちまけると、上城がテーブルをじっと眺めながら口を開く。
「わたしも分からないの。なんだか、すごく長い夢を見ていたみたいで、今も正直、自分の見ている世界が本当なのか分からない」
「お互い様だな」
テーブルの下でまた志穂に蹴られる。酔いが回っているせいか、あまり痛みは感じなかった。
「まあ、過去は過去だ。今はこうして会えたんだから、それで良しとしようじゃないか」
俺は自分にも言い聞かせるように踏みかけた地雷を回避し、話題を変える。
「しかし上城さんは本当に変わらないな。二十五年経っても、あの頃のまま。美容の秘訣があるなら教えてくれよ」
話題が変わったせいか、志穂がホッとした顔で乗ってくる。
「そうよ、亜衣ちゃん。いつまでも肌がツヤツヤで、羨ましいわ。どんなスキンケア?」
上城は一瞬目が点になり、クスッと笑ってから「ありがとう。ただ、大人になれていないだけなのかも」と答えた。割と本音なのだろうが、その冗談は俺たち夫婦にとって救いになった。
そのせいもあってか、会話が弾む。もう面倒になったのもあるのだろう。細かい話は忘れて、昔話に花が咲かせた。当時のクラスメイトたちが今はどうしているのか、誰が出世したとか、誰が結婚したとか、同窓会でよくあるようなポジティブな話だけを選んでいく。
話の流れで、志穂がスマホで子供の写真を見せる。
「うちの息子、十五歳よ。
上城さんの目が少し遠くなる。
「十五歳……。そういえば、そんなことを言ってたね。あの頃から倍以上の年月が経ったんだね」
テーブルが一瞬で静まり返る。そうだ。あの時からあまりにも長い時間が経ち過ぎた。俺たちは大人になったどころか、シワまで増えた。それなのに、上城はあの時から少しも変わらない姿で俺たちの前に座っている。
デザートのティラミスが運ばれてきた。フォークで一口、甘いクリームが口に広がる。目の前の少女は、どんな思いでこのデザートを口に含んでいるのだろう。
「ごめんね」
デザートを食べながら、上城がそっと呟いた。
「みんな、きっと辛かったよね」
志穂がフォークを置いて、亜衣の手を握る。
「もういいのよ、亜衣ちゃん。今、こうして会えたんだから。これから、たくさん思い出作ろうよ。同窓会、もっとみんな、たくさんの仲間を呼んで」
上城さんがどこか寂しそうに笑う。
「うん、そうだね。峠で、みんなでまた星を見に行きたい……」
その言葉に、俺の胸が詰まった。月美津峠に、もう一度……。
もしかしたら上城は知らないのだろうか? それとも彼女は本当に……。グラスを傾けると、ワインが空になっていたことに気付いた。
「おかわりする?」
「いや、いいんだ」
上城さんの気遣いを、ありがたく断った。あまりにも不思議過ぎる時間は、あっという間に過ぎ去っていった。
デザートを食べ終えて、会計を済ませる。店を出ると、秋の夜風が冷たい。月見町の街灯が、あちこちでぼんやり光っている。
「二人ともありがとう。今日は楽しかった。また連絡するね」
「あ、ああ……。俺もとても楽しかったよ」
挨拶もそこそこに、俺たちは解散した。上城さんからは連絡先ももらっている。また何かがあれば一報をくれるそうだった。
「じゃあね」
上城さんは手を振って、自宅のある方へと帰って行った。だけど、あの頃に建っていた彼女の実家は無いはずだ。家族はみんな引っ越したはずだから。
呼び止めるべきなのだろうか。そうは思いつつも、結局は何も言えずにあきらめた。夜の街には、また冷たい秋の風が吹く。
「……なあ、今の俺は夢を見てるんじゃないよな?」
「あたしも、同じことを訊こうと思っていた」
さすが夫婦。年を食っても気が合う。俺たちは夫婦仲睦まじく混乱している。実は事故ったのは俺の方で、ベッドで長い夢を見ていたというオチではなかったらしい。
俺たちは反対方向へと歩いて行く旧友をずっと眺めていた。暗闇に消えていく小さな背中は、間違いなくあの上城さんのものだった。
でも、お前は一体誰なんだ?
だって、お前は……。
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