幽霊の微笑 AI

 まさか――何か言えるとすれば、それ以上の言葉はない。


 体が凍りつく。逃げたいのに、足が動かない。彼女の顔が、ぼんやりと見えてくる。悲しげな目が、わたしをじっと見つめる。


 夜見川君と一緒に出会った幽霊。悲恋のうちにこの世を去ったという、白い女の姿があった。


「あなた……また来たのね」


 声が、風に溶けるようにかすれる。優しい、けど切ない響き。……っていうか、憶えていてくれたのかよ。いい人かよ。わたしの願望もあるけど。


 わたしは後ずさりながら、震える声で訊く。


「あなたは……あの時の幽霊。……どうしてここに?」

「どうしてって、私は元々ここにいるじゃない。お客様はあなたの方でしょう?」


 女の霊は、ゆっくり首を傾げる。まさか幽霊に論破されちゃうなんて思いもしなかった。たしかに、ここではわたしの方が客人だよね。


 そんなわたしの心理も知らず、女性の幽霊は続ける。


「あなたたち……あの夜の二人。また、来たのね。好きな人と一緒に……時間を、大切に」


 やっぱり一般的な人間とは違うのか、どこかからくり人形のように同じ言葉を繰り返している。


 それでも覚束ない言葉は、わたしの胸にグッサリと刺さった。大切にするべきだった人は、もうわたしの傍にはいない。


「夜見川君は……もう、いないの」

「どうして? あなた達、とても愛し合っていた……」

「彼はね、事故で死んじゃったの」


 自分で言っていて、声が震える。あらためてその現実を口にすると、現実感の無かった夜見川君の死がもう少しだけリアルになった。


 幽霊の目が、寂しげに細まる。


「そう……悲しいのね。あなたも、大切な人を失って」


 優しい声。肝試しの時より、温かい人に思えた。きっと、彼女も大切な人を失ったからだろう。


「ペンダントを、探しているの。無くしたままだとかわいそうだから、どうしても返してあげたくて……」


 言葉が、勝手に出る。女性の霊は、静かに頷く。


「分かったわ。一緒に探しましょう。それが助けになるかは分からないけど、あなたにとっては大切な物でしょうからね」


 彼女の言葉に、胸が熱くなる。幽霊なのに、優しい。


 夜の霧が少し晴れて、道が見えはじめる。なんとなく、モーセの十戒を思い出した。


 女性の霊が、先に歩き出す。私は、震える足で後を追った。暗闇が、少し明るくなる気がする。気のせいかもしれないけど、こんな状況でも上手くいきそうな感覚が沸いてきた。


 二人(?)でペンダントを探しはじめる。女性の霊が、霧を払うように手を振る。月明かりが、地面を照らす。木の根の間、落ち葉の下を、二人で這うように探す。彼女の黒髪が、風に揺れる。


「ここ……あの夜、二人で歩いた道ね。手をつないで、笑って……」


 幽霊の声が、懐かしげに響いた。彼女自身にも楽しい思い出があったのだろうか。どうしてか、彼女にも幸せであった時があってほしかった。


 ペンダントを探しながら、わたしの記憶が蘇る。あの夜の温もり、星空の下の約束。ペンダントを握って、この時間がいつまでも続けばいいと祈っていた。


 二人でペンダントを探すも、そう簡単には見つからない。幽霊特有のスーパーパワーで、というわけにはいかないみたい。


 夜が更けていく。異常な状況のせいか、眠気も相まって脳裏に妄想とも幻覚ともつかない映像が流れていく。


 冬が来て、春が過ぎ、卒業式がはじまる。わたしと夜見川君の姿はそこに無くて、誰もいなくなった教室を寂しそうに見つめる先生。卒業式の花を胸に付けて、最後の下校を伴にする竹川君と志穂ちゃん。ああ、あと半年もしたら、本当にこんな光景が見えるんだろうな。


 走馬灯のように流れていく妄想はまだ続いていく。


 春が来ると桜が咲いて、あっという間に夏になる。志穂ちゃんと竹川君が、わたしの知らない制服を着て、笑い合っていた。うん、この二人なら高校へ行っても、そのまま仲の良いカップルでいつづける気がする。


 志穂ちゃんの髪はちょっと茶色くなっていて、竹川君は背が伸びて前よりもさらに筋肉質になった。


 それから二人は大人になって、結婚して、子供を抱いて、子供も大きくなって、幸せそうに三人で歩いている。「いくら何でも急ぎすぎでしょ」って笑いたくなるけど、妙にリアルな映像でツッコむ気が起きなかった。


「ふう」


 わたしは真っ暗な木々の中で息を吐く。長く歩きすぎたのだろうか。妄想もわたしのキャパシティを超えて、少し疲れてしまった。


「見つからないね」


 わたしはまるで他人事のように言った。長い時間を峠の森の中で過ごしているうちに、ペンダントのことがどうでもよくなりかけていた。薄情だなって思うけど、やることをやり切ったっていう裏返しでもあるのかもしれない。


 山を歩いている間に、わたしのペンダントがずいぶんと痛んでいた。手で触ると、ガサガサした感じがする。まあ、安物なのは知っていたけどさ。それにしてももろすぎない?


 いまだに一緒に歩いてくれる女性の霊に申し訳なくなってきて、わたしはついに口を開く。


「なんだか、これ以上探しても見つからないような気がするの」


 幽霊は感情の読めない表情で、わたしのことをじっと見つめていた。


「何て言うか、わたしは夜見川君がこの世にいないってことを受け入れられなかっただけなのかもしれない。だから、彼の代わりを探して必死になっていただけなのかも」

「そう……」


 幽霊の声はどこか寂しそうに聞こえた。わたしはなんだか申し訳ない気分になった。


「でも、ありがとう。あなたに助けてもらって、本当に嬉しかった。お陰でわたしは夜見川君の死を受け入れられるような気がしてきた。それだけでも十分」


 そこまで言うと、ふいに涙がこぼれ落ちてきた。それに気が付くと、自分でも止められなくなった。もう大丈夫だと思っていたのに、感情が溢れてきて死にそうになる。


「今までありがとう。わたしはもう帰るよ。あなたも、昔愛した人にまた会えるといいね」


 震える声で、なんとか言い切った。まさか幽霊に助けられるなんて思いもしなかったけど、彼女には本当に助けられた。


 女性の霊が、優しく微笑む。


「分かったわ。力になれなかったのは申し訳ないけど、それであなたが納得出来たのであればいい。あなたのいるべき場所に帰りなさい」

「うん。今まで、本当にありがとう」


 そう言って、わたしは彼女のもとを去っていった。彼女に会うまでは迷っていたのに、どこを行けば帰れるのかが分かるような気がした。


 峠の森を歩きながら、溢れてくる涙を拭う。どうしてこんなに泣いているのか分からないけど、溢れてくる感情を抑えることが出来なかった。


 なんとなく、彼女に会うのはもう最後な気がする。


 彼女には二回しか会っていないけど、きっとこの時間は、わたしの人生で大きな部分を占めるだろう。そんな気がした。


 さあ、帰らなくちゃ。


 きっとみんなが待っている。

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