暗がりの中で Shou

 あっという間に一日が終わり、ホームルームを終えて下校となった。昨日といい今日といい、何が起こっているのか自分でもよく分かっていない。


 発端は昨日のポッキーゲームだった。負けた方が勝った方にキスをするというルールだったので俺が自主的に負けてあげた方がいいのかなと思っていたら、あっという間に上城がポッキーを食い尽くして、俺たちはキスでゲームを終えた。


 帰り道で上城が泣き出した時は焦った。やっぱり俺なんかがファーストキスの相手では嫌だったのだろうかと本気で思った。だけど上城はそうは思っていなくて、初めてのキスが俺で良かったと言ってくれた。


 正直、彼女がどうして泣いていたのかも分からない。だけど、それが上城にとって生涯の思い出になるなら、もっといい思い出で上書きしてやらないといけないと思った。そして、気付けば俺の方から彼女の唇を奪っていた。自分でもどうしてそこまで大胆になれたのか分からない。


 我ながら朴念仁と言われるタイプの人間だと思っていたが、そんな奴の人生でも変わっていくものなのだろうか。


 そんなことを思っていると、前の席に座っている上城が振り返る。


「一緒に帰る?」


 中学生にもなると男女が一緒にいると色々と噂をされるので、あまりそういった会話をしない奴も多い。だけど、俺たちはつい昼頃にクラス公認で付き合うことになった。お互いに寝不足で頭がおかしくなっているところに、コントみたいに会話が噛み合って結果付き合うこととなった。


「そうだな。帰ろうか」


 そう言って席を立つと、周囲から微妙にニヤニヤした視線が集まってくる感じがした。仕方がないこととはいえ、なんだか変な感じがする。俺自身が全然目立つ生徒じゃなかったからな。


 体にまとわりつく視線を気にしないようにしながら、俺は上城を連れて教室を出た。


 下校通路を二人で歩いていくと、なんだか周囲の人々がいちいちこちらを見ているのではないかという気分になってくる。もちろん自意識過剰に違いないのだろうが、これまでの生活があまりに女子と無縁だったせいか、ただ二人で歩いているだけでも変な感覚を覚えるのは確かだ。


「なんだか、付き合うことになっちゃったね、わたし達」

「ああ、そうだな」


 第一、お前が責任を取れとか言い出したからなんだけどな、とは思ったけど言わなかった。寝不足で誤解を誤解のまま進めてしまった俺にも非が無いわけじゃない。


「手、繋ごうか」


 そう言われて、俺はあさっての方向を見つめながら手を差し出した。なんだか、上城の顔を見ることが出来なかった。だから彼女がどんな顔で言っているのかも分からない。


 上城の手が、俺の指先をひったくるようにグイっと引き寄せる。よろめいて一瞬変なっ声が出そうになった。上城の手はそれなりに強い力で俺の手を握っている。


「別に俺は逃げないぞ」

「どうかな。そう言って逃げられても困るから、しばらくはこのまましっかりと握っていようかな」


 上城はいたずらっぽく言って、握った俺の手を元気よく揺らす。幼稚園の頃に仲の良い子供たちが手を握るみたいに。


 夏も終わったせいか、気持ち空が紅く染まるのも早まってきた気がする。気付けばセミも鳴いていないし、時折赤トンボの姿を見かける。もうすっかり秋なのか。


 俺たちが付き合うことになったとはいえ、あと半年もせずに中学校生活は終わる。別々の高校へ行くことになれば、俺たちの仲も自然消滅、ということになるかもしれない。親が高い金を払って子供に携帯電話を持たせるとは思わないし。


 そうなると、今過ごしている時間は本当に貴重なのかもしれないな。前に会った幽霊の言葉しかり、会っていられるうちに人との繋がりを大切にするべきなのかもしれない。


「なあ上城」

「なあに、わたしの王子様?」

「やめろ。バカップルか」


 そう言うと上城が笑う。あれだけ恥ずかしそうにしていたのに、手を繋いで少し歩いたら気恥ずかしさもどこかへと飛んで行ったようだ。


「今更だけどさ、この前に行った肝試しは、本当に楽しかった」

「そうだねえ。まさか、本当に幽霊に会うなんて思ってもみなかったけどね」

「ああ、それは岳や植村にすら言えないけどな」


 そう言って、自分でおかしくなってくる。上城もクスクス笑ってから、口を開きはじめる。


「あの時、わたし、思ったことがあったの」

「おう、何だ」

「たしかに好きな人と一緒にいられる時間って永遠じゃないし、場合によっては少しかないチャンスを逃すと、もうそれが永遠にやって来ないこともあると思うの」

「そうかもな」


 たしかに、身内でも急に亡くなる人が出てくると「もっと話をしておくべきだった」と思うことが無くも無い。


「だからね、わたしは好きな人と一緒にいる時間を大切にしていきたいと思う」


 沈みゆく太陽を見つめる上城の目は儚く輝いているようにも見えた。「だから」その目が、急に俺の方へと向けられる。


「夜見川君、本当に大好きだよ。周囲の意見なんて関係なく、君のことが好き」


 俺は思わず言葉を失った。こんなにまっすぐな目で俺を見つめる上城を初めて見た。それなら、俺もその誠意に応えるしかない。


「俺もだ、上城。これから何があるか分からないが、俺なんかでいいならよろしく頼む」

「うん。じゃあ、愛してるって言って」

「それはまた違うな」

「え~? だって、わたしのこと、好きなんでしょ?」

「ああ、だけど、愛しているっていうのはそんなに軽い言葉じゃないんだ。少なくとも俺にとっては」


 自分でも言っていてよく分からないが、「好き」と「愛している」の間には明白な差があると思う。強いて言うなら、言葉に対する責任の重みか。


 結婚式でも「この人を一生好きでいますか?」とは訊かないだろうし、やっぱり愛しているという表現になるとより責任が大きくなるのだと思う。そういう言葉を、その場のノリだけで使いたくなかった。


「ふうん。まあ、いいんですけど」


 上城はちょっとふてくされたように言う。なんだか、数日前までの上城とは違う人物のように思えた。


「まあ、そう気を悪くするな。俺が君を好きなのは間違いない。そのうち自信を持って『愛してる』って言える日が来るかもな」

「卒業までに間に合う?」


 そう言われて、少しだけドキッとする。俺たちが中学を卒業する頃にも、この幸せな時間は続いているのだろうか。


 正直言って、自信が無い。本当のところ、絶対なんてものは存在していなくて、俺たちは不確定の中をいつまでも揺れ動いている。


 それでも――


「ああ、間に合わせるよ。絶対に」


 そう言い切ると上城が意外そうな顔をして驚いていた。その後、クスリと笑ってから口を開く。


「期待してるからね」

「任せとけ」


 そう言った時、俺自身もこの先ずっと上城と一緒にいたいのだろうなと思った。


 夕日が沈んでいく。暗がりに変わりつつある夕日を眺めて、俺は上城の手を強く握った。

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