第11話 そして、日常は戻らない


 朝は、驚くほど普通に始まった。


 鳥が鳴き、

 風が吹き、

 学院の鐘が、きちんと鳴った。


「……あれ?」


 ノアは、目を覚まして天井を見つめた。


「今日は……何も起きてない?」


 恐る恐る起き上がる。


 床は軋まない。

 空気は静かすぎない。

 世界は――黙りすぎてもいない。


「……やった?」


 ノアは小さくガッツポーズをした。


---


 廊下に出る。


「おはよう」


「お、おはよう……」


 生徒たちは、以前より少し距離を保ちつつも、

 逃げ出したり、伏せたりはしない。


(……進歩では?)


 食堂。


 スープは普通の味。

 七色に光らない。

 半額でもない。


「……普通だ」


 ノアは、ほっと息をついた。


「これだよ、これ」


 料理長が、遠くで涙ぐんでいた。


---


 午前の講義も、何事もなく進んだ。


 チョークは折れない。

 板書は最後まで書かれる。

 講師も倒れない。


「世界法則は――」


 ノアはノートを取りながら思う。


(ああ……日常って、こういうやつだ)


 その瞬間。


 隣の生徒が、ぽつりと言った。


「……ノア君が、落ち着いてる」


「え?」


「昨日までと違う」


 ノアは苦笑した。


「俺は、ずっと落ち着いてたよ」


 生徒は、真顔で言った。


「そう見えるだけで、

 世界の方が緊張してた」


 ノアは、聞かなかったことにした。


---


 昼休み。


 中庭のベンチ。


 ノアは空を見上げる。


「……何も起きないな」


 その言葉に、

 空が少しだけ、きらっとした。


「……気のせい、気のせい」


 自分に言い聞かせる。


---


 夕方。


 学院長に呼び出された。


「座りなさい」


「はい」


「まず、結論から言う」


 学院長は、真剣な顔で言った。


「君の日常は、もう元には戻らない」


 ノアは、静かに聞いた。


「……やっぱり?」


「戻そうとしたが、無理だった」


「努力、しました?」


「した。

 世界が拒否した」


「世界が」


 学院長は、穏やかに続ける。


「だが、悪いことばかりではない」


「そうなんですか?」


「君がいることで、

 予測不能な未来が増えた」


「不安しかないんですけど」


「未来とは、そういうものだ」


---


 ノアは、少し考えてから言った。


「……俺、魔法使えません」


「ああ」


「戦えません」


「知っている」


「それでも、ここにいていいんですか?」


 学院長は、即答した。


「だからこそ、だ」


 ノアは、笑った。


「理屈、通ってないですよ」


「この世界では、

 理屈が通らないものが必要な時もある」


 ノアは立ち上がる。


「……じゃあ、できることだけやります」


「何だね?」


「普通に生きること」


 学院長は、少し驚いた顔をしてから、笑った。


「それが一番、難しい」


---


 夜。


 ノアは、自室でベッドに横になった。


「……結局、俺は俺のままか」


 魔法は使えない。

 特別な力も、実感はない。


 ただ――

 いるだけで、世界が少し揺れる。


「……まあ」


 天井を見つめて、呟く。


「明日も、ちゃんと起きよう」


 その言葉に、

 世界は何も反応しなかった。


 それが、少し嬉しかった。


---


 だが。


 遠く、誰も知らない場所で。


 歯車が、ひとつ動いた。


「……観測完了」


「対象、“空白”は安定?」


「いいえ」


「では?」


「これからが本番です」


 ノア・リーヴェンは、眠っている。


 何も知らずに。


 そして世界は、知ってしまった。


 ――彼を中心に、

 物語が動き続けることを。


 日常は戻らない。

 だが、物語は始まったばかりだった。

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俺、魔法使えません――世界が勝手に深読みしてくる 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123

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