第8話 静かにしろと言った結果


 ノアは、心の底から願っていた。


「……今日は、静かに過ごしたい」


 それだけだ。


 派手なことは望んでいない。

 魔獣もいらない。

 視線もいらない。

 できれば噂も消えてほしい。


 普通の一日。


 ただ、それだけ。


---


 ――その願いが発動したのは、朝だった。


 寮の廊下。


 いつもなら騒がしい時間帯。


「おはよー!」

「遅刻するぞー!」


 ……無音。


「……?」


 ノアが扉を開ける。


 誰もいない。


 いや、正確には――

 全員、壁際に張り付いていた。


「……なにしてるの?」


「しっ……!」


「音、立てるな……!」


「え?」


 ノアが一歩踏み出す。


 ――カラン。


 誰かの持っていた鍵が落ちた。


 次の瞬間。


 学院全体の鐘が一斉に鳴り止んだ。


「……え?」


 ノアは固まる。


 遠くで、誰かが叫んだ。


「止まったぞ!?」

「鐘楼が沈黙した!?」


 ノアは慌てて言った。


「ち、違う! 俺じゃない!」


 その声に反応するように――

 今度は、風が止んだ。


 完全な無風。


 旗が垂れ下がり、木の葉が宙で静止する。


「……世界、息止めてない?」


---


 一方、学院本部。


「報告! 鐘楼機構、原因不明で停止!」


「気流観測、全域ゼロ!」


「魔法反応――減衰、いや……沈黙!?」


 学院長は、頭を抱えた。


「……やはり来たか」


「何がです?」


「“静寂への過剰反応”だ」


 研究主任が叫ぶ。


「ノア・リーヴェンは今どこだ!?」


「寮から移動中です!」


「まずい……!」


---


 その頃ノア。


 静かすぎる廊下を、そろそろと歩く。


「……お願いだから、普通でいて」


 足音が響く。


 ――コツ。


 次の瞬間。


 床のきしみ音が消滅した。


「え、音、吸われた?」


 ノアは口を押さえる。


「……あ」


 声が、出ない。


「…………」


 無音。


 完全無音。


 ノアは必死に身振り手振り。


(やばい、やばいやばい!)


 通りすがりの生徒が、泣きそうな顔で頷く。


「わ、わかってます……刺激しないようにします……」


(違う! 刺激してないのにこうなってる!)


---


 食堂。


 本来なら一番うるさい場所。


 だが――


 全員、無言。


 スプーンが触れないよう、

 皿は布で包まれ、

 咀嚼は極限まで抑えられている。


 ノアが席につく。


 椅子が、音を立てない。


「……逆に怖いんだけど」


 口を開いた瞬間。


 厨房の火が、消えた。


「え?」


「え?」


「火、全部!?」


 料理人が絶叫(声は出ない)。


 ノアは、慌てて言った。


「も、もういい!

 ちょっとくらい騒いでも――」


 ――その瞬間。


 全音、復活。


「うおおおお!?」

「音が戻った!?」

「鍋がしゃべってる!?」


 爆音。


 鍋が落ち、皿が割れ、

 誰かが転び、

 誰かが泣いた。


 ノアは叫んだ。


「ちがう! 俺のせいじゃないって!」


 天井が、きしんだ。


「……ごめんなさい」


 即座に静まる。


 全員、床に伏せた。


「もうやだこの世界!!」


---


 緊急会議。


「結論を言う」


 学院長が言った。


「彼に“静かにしてほしい”と思わせるな」


「それだけで世界が黙る!」


「いや、黙りすぎる!」


「むしろ騒がせろ!」


「本人に!?」


「無理です!」


 その頃ノア。


 自室で布団を被っていた。


「俺が静かにしたいだけで、

 なんで世界が極端なの……」


 ぽつり。


「……少し、騒がしい方がいいのかな」


 外で、祭りの準備が始まった。


「え?」


 太鼓。


 音楽。


 花火。


「なんで!?」


 学院長の声が遠くから聞こえる。


「やれ! とにかく賑やかにしろ!

 彼が満足するまで!」


 ノアは天を仰いだ。


「俺、魔法使えないはずなのに……」


 世界は今日も、

 全力で勘違いしていた。

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