第4話 夢

 体中が熱い。発生原因は何だ。接触か、訓練か、投薬か。現場での戦いの影響か。メトロシティの喧しいネオンライトの熱か。


 違う。全身が、何かに浸されている。


 瞼を開ける。視覚が戻ると、そこは薄暗く閉鎖的な場所だった。やけに身体が軽い理由はすぐに判明した。重力をほとんど感じない。半透明の溶液の中に、浮いている。両手を上下左右に動かし周囲に触れると、丸みを帯びた形をしていた。ポッドの中にいるのか。


 よく見れば、右腕がついている。生身の右腕だ。つまり、これは夢なのだと男は自覚した。だから液体の中で浮遊していても息ができる。壁を打つ。鈍い音が反響する。ここから出られれば、夢から離脱できるかもしれない。男は何度もハッチを打ったが、水圧の影響で衝撃はほとんど伝わらない。自分の力も弱まっている。それに何故か、ポッド内の広さが変わっているような気がした。膨張している? 


 違う! 


 男は気づいて悲鳴を上げかけた。手が縮んでいる。先ほどまでは大人の手だったものが、まるで子供の手になっている。ポッドが膨張しているのではなく、自分が退行しているのだ。

 身体はみるみるうちに、縮小していく。慌てる間もなく、今度はポッド内の溶液の温度が上昇していった。すぐに体温を超えて、焼けるような熱さに全身が包まれる。少年は声にならない悲鳴をあげながら、ポッドに爪を立てて何度も引っ掻くが、びくともしない。どうしようもなくなって、全身を掻きむしりたい衝動にかられる。


 すると突然、前面のハッチが開き、少年は溶液と共に外界へ吐き出された。空気に触れたことで、聴覚と嗅覚が戻った。アミノ酸を思わせる甘い匂いがする。なぜ夢がまだ続いている。なぜまだ子供の姿をしている?


 頭を上げる。蒸発していく溶液がミスト状に漂い、視界を濁らせている。意識の回復に時間を要した。固く冷たい施設の床が、身体の熱をわずかに吸収していく。上半身を起こす。筋力も落ちていた。細い腕だ。粘り気のある溶液がベタベタと肌に纏わりつき、滴っていく。気持の悪さに顔を拭った。


 視界が晴れると、見えたのは革靴のつま先だった。さらに視線を上げると、そこには見慣れた顔。だが、今より若い頃の姿だ。鎧のようなスーツは、昔から変わらない。磨き上げられた靴も、しっかり固められた髪も、堀の深い顔つきも、じっとりとした眼差しも、変わらない。変わったところと言えば、肌に刻まれた皺が増えたくらいだ。少年は、琥珀色の瞳でしっかりと、スーツの男を睨んだ。男はわずかに唇を上下させる。だが声は、はっきりと聞き取れた。


「きみを人間として、育て上げよう。まずは呼び名を与える」

「よびな?」


 そんなものが必要なのか。疑問を呈すると、男は続けた。

「イノダと呼びたい。理由……? 機会があれば、いずれ話そう」

 男は、若き日の琴平はそう言って、少年をしっかりと見つめ返した。その眼差しが、自分の中に蠢く過剰な熱を冷ましていくような気がした。

 少しだけ垂れた目尻が微笑みに似ていたが、表情は認識できなかった。

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