第4話「何日目」
三日が経った。
天気は曇りが続いていた。雨は時々降るけれど、長くは続かない。エネルギー残量は少しずつ減っているけれど、まだ余裕がある。ギリギリ維持できている状態だった。
本当の身体との通信は相変わらず不安定で、いつ途切れるかわからない。でも、途切れる気配もなかった。
「ナギ、これ持って」
ツムギに渡されたのは、古びた工具箱だった。ずっしりと重い。
「今日は出張修理。ついてきて」
「え? でも、他の人に見られたら——」
「大丈夫。お客さんは目が悪いおじいちゃんだから。あんたのこと人間だと思うよ」
ツムギはそう言って、工房の扉を開けた。
外は曇り空。雨は降っていなかった。水たまりがあちこちに光っている。廃墟の街並みが、灰色の空の下に広がっていた。
「ナギ、そこの水たまり避けて」
「え? 平気だよ、濡れても」
「違う。深いの。膝まであるから」
ナギは慌てて足を止めた。確かに、その水たまりは他より暗かった。底が見えない。
「地上じゃ、水たまりに気をつけないと。見た目より深いことがあるから」
「そうなんだ……」
「慣れれば見分けられるようになるよ」
ツムギはひょいひょいと水たまりを避けながら歩いていく。ナギは必死でその後をついていった。
空では、こんなこと考えたこともなかった。道は整備されていて、水たまりなんてない。歩く時に気をつけることなんて、何もなかった。
「ここ」
ツムギが立ち止まったのは、崩れかけた建物の前だった。元は何かの店だったらしい。看板はもう読めなくなっている。
「おじいちゃーん、ツムギだよー」
ツムギが声をかけると、中から返事があった。
「おお、来てくれたか。入っておくれ」
中に入ると、老人が一人で座っていた。白髪で、皺だらけの顔。でも笑顔は穏やかだった。
「そっちの子は?」
「友達。手伝いに来てもらったの」
「ほう。若いのにえらいね」
老人はナギのほうを見たけれど、特に何も言わなかった。本当に人間だと思っているようだった。
「ラジオが壊れちゃってね。直してもらえるかい」
「見せて」
ツムギは古いラジオを受け取って、分解し始めた。中を覗き込み、部品を一つ一つ確認していく。
「ナギ、そこの小さいドライバー取って」
「これ?」
「そう。ありがとう」
ナギは言われた通りに道具を渡した。ツムギの手元を見つめていた。細かい作業。複雑な回路。でもツムギは迷いなく進めていく。
「ここが断線してる。直せば動くよ」
「助かるねえ」
ツムギは手際よく修理を進めた。ナギはその横で道具を渡したり、部品を持ったりした。言われたことをするだけだったけど、役に立てている気がした。
「はい、できた」
ツムギがスイッチを入れると、ラジオからノイズ混じりの音楽が流れ始めた。
「おお、動いた動いた。ありがとうね、ツムギちゃん」
「お代はいつもの」
老人は奥から何かを持ってきた。缶詰と、乾燥させた何かの葉。
「今月の分。少ないけど、勘弁しておくれ」
「大丈夫。十分だよ」
帰り道、ナギは聞いた。
「お金じゃないんだね」
「地上にお金なんてないよ。物々交換。修理してあげる代わりに、食べ物をもらう」
「そうなんだ……」
空では考えられなかった。欲しいものがあれば買えばいい。それが当たり前だった。
「ナギ、さっきはありがとう」
「え?」
「手伝ってくれて。助かった」
ナギは驚いた。
「私、言われたことしかしてないよ」
「それでも。一人より二人のほうが楽だから」
ツムギは笑った。
「また手伝ってね」
——空では、こんなこと言われなかった。
手伝おうとすると「余計なことするな」と言われた。機械に任せればいいのに、なぜ自分でやろうとするのか、と。
でもツムギは「ありがとう」と言った。また手伝ってね、と。
「……うん」
ナギは小さく頷いた。
工房に戻る頃には、また雨が降り始めていた。ぽつぽつと、屋根を叩く音。
「何日目だっけ」
ツムギが呟いた。
「三日目」
「まだ三日か。もっと長く感じる」
「……私も」
雨音が響いている。二人で窓の外を眺めた。
「いつまでこのままなんだろう」
ナギが言うと、ツムギは少し考えてから言った。
「わからないね」
「……うん」
「でもまあ、いいんじゃない?」
「え?」
「明日終わるかもしれないし、来週まで続くかもしれない。考えても仕方ないよ」
ツムギは肩をすくめた。
「私は毎日こんな感じだから。明日何があるかなんて、誰にもわからない」
「……そうだね」
「だから、今日のことだけ考える。今日やることをやって、今日食べるものを食べて、今日眠る。それだけ」
雨音が、少しだけ心地よく聞こえた。
「何日このままなんだろう」——その問いに答えはない。
でも不思議と、焦りはなかった。
ツムギがいるから。一人じゃないから。
そう思ったら、明日が来るのが少しだけ楽しみになった。
雨音のむこうに ― 空の少女と地上の少女 三五六九十 @fizzbuzz
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