第6話 庭掃除の日


 はらはらと、立派な木が針葉樹らしい細い葉を沢山落としている。木枯らしがそれで遊ぶから終わりが見えない。


 庭に出て落ち葉を掻き集め、バケツへ入れていく。外は長くいると凍えそうだった。首筋を撫でていく風の冷たさに身震いし、それでも私はせっせと手を動かす。動いていれば多少の寒さは誤魔化せる気がした。


 さく、と落ち葉を踏む音がして私は振り返る。いつも窓の外から手を振ってくれる見習い庭師の少年が後ろに立っていた。外にいることが多いからかそばかすの浮いた顔に、泥のついた作業着を着たブラウンの髪をした少年だ。チョコレート色の目は私を探るように見ている。


「こんにちは」


 私は話しかけた。にっこり笑えば少年はぱっと頬を染める。色白の頬にすっと差した朱が可愛らしくて私は益々微笑んだ。


「……あの、いつも窓から見てる」


 もじ、と伏せた目を窺うように上げて少年が口を開く。まだ声変わり前の少年らしい声だった。


 私はなるべく優しい声を意識して返す。


「エマです。あなたはいつも手を振ってくれるわね。良ければ名前を教えてくれるかしら」


「おれ、スタンリー。兄ちゃんの仕事にくっついてきて見習いしてるんだ。此処は色んな植物があるし、楽しい」


「植物が好きなの?」


 私はスタンリーと視線の高さを合わせて少し屈む。彼は頬を紅潮させて頷いた。


「見たことないやつがいっぱいだ。全部に毒があるからまだ触らせてもらえないけど、水やりとか、手伝ってる。いつかおれも兄ちゃんみたいな立派な庭師になるんだ」


 兄を誇らしく思っていることが伝わってきて私は頷いた。


「頑張ってるんだね。スタンリー、あなたならきっとなれるよ。お兄さんに習っていっぱい勉強してね」


 うん、とスタンリーは歯を見せて笑う。遠くでスタンリーを呼ぶ声がする。兄の声なのだろう。すぐにスタンリーは反応し、今行くと答えていた。


 マスク代わりなのか首元に下げていた布を鼻まで持ち上げてスタンリーは私を一瞥する。兄ちゃんが呼んでるから行く、と律儀に別れを告げてくれた。


「うん、またね」


「! うん、また!」


 嬉しそうに笑ってスタンリーは駆けていく。途中で振り返って今までのように大きく手を振ってくれるから、私も手を振り返した。


 庭園がある方へ駆けて行ったスタンリーの背が夕陽に紛れて見えなくなるまで見送って、私は掃き掃除を再開する。


「暗くなっちゃう。終わるかなぁ」


 せめて風、止んでもらって良いですか、と内心で呟いたら少し弱まった気がする。今のうち!


 さく、とまた落ち葉を踏む音がする。誰か手伝いに来てくれたのかも、と期待した。振り返りながら見えた黒に、息が止まるかと思った。


 推しが立っていたからだ。


 私は慌ててメイド服の裾を持って習った通りにお辞儀をした。頭を下げて推しの通り道を塞いでいないことを確認し、彼の靴の爪先あたりをじっと見る。推しは立ち止まったまま動かない。はらりと葉を落とす木を見上げているようだ。


 アイリスと同じく私も髪を纏めるのは苦手だ。でも簪代わりにこの木の枝を拾った。庭で拾った枝、というのがまた何とも不恰好ではあるのだけど、綺麗に纏まってさえいればミリーは何も言わなかった。でも影になれなかった使用人だと知られたら、流石に木の枝なんか頭に挿すなと言うだろうか。


「――きみ、何だっけ、エマ?」


 名前を訊かれているのだと思って、はい、と答えた。何だっけってなるくらいなのに一発で当てるんだから凄い。


 また大好きな声で大好きな推しに名前を呼んでもらってしまった、と高揚した気分でいたから、推しが近づいたことに気付かなかった。気付いた時には彼の靴が目の前にあって私は目を見開く。


「これ」


 衣擦れの音さえ聞こえる距離で推しが手を伸ばしたのを気配で察した。ぐ、と頭に感触を覚えて簪代わりの枝を引き抜かれたのを知る。途端に解けた黒髪が私の横にカーテンみたいに流れて、冷たい風が髪の束を揺らした。思わず顔を上げると紫の目も驚いたように丸くなっていた。


「これで纏めていたの?」


「は、はい。あの、ごめんなさい、丁度良い長さだったので、落ちてたからとはいえ拾ってしまって」


 慌てて謝ってまた頭を下げた私に推しは何も返さない。おずおずと顔を上げた私の目に映ったのは、簪代わりにしていた枝を白い手袋の指先でくるくると弄ぶ推しの姿だった。何をしても様になる推し、素晴らしい。


「この木、何の木かきみは知ってる?」


 赤褐色の樹皮をした幹から、冬が近づいても緑色をした細い葉を推しは見上げる。私も見上げ、先ほどからずっと格闘している葉を眺めた。


「いえ」


 消え入りそうな声で答えれば、イチイ、と教えてくれた。今まで聞いたどの声よりも柔らかくて優しくて、私は推しへ視線を戻す。推しは木を見上げたままだけれど、その紫の目には愛しさが滲んでいるように見えた。


 優しい顔だ、と思う。人や本を見る時とは違う、穏やかさがあった。


「秋に赤い実をつけるんだけど、その種子に毒がある。あと、枯れた葉にも。今きみが掃除している葉には多少の毒性が含まれる。でも枝の部分は加工がしやすいから楽器になることが多い」


「楽器。素敵ですね」


「……そう思う?」


 不意に向けられた視線には相変わらず温度がなくて私は少し息を呑んだ。でも悟られなかったのではないかと思う。フラットな状態でいることは訓練を積んだから慣れている。内心の動揺をなるべく表に出さないように、と前職では言われていた。推しの前でフラットでいられる自信はないのだけど、何とか取り繕えたのではないかと思う。


「はい。人の生活に一緒に寄り添ってくれる木なんだなって思います」


「……そうだね。はい、返すよ」


 推しの手が差し出される。白い手袋が夕陽でオレンジ色に見えた。


「まさかこれ一本で髪を纏められるなんて思わなかった」


 推しの手ずから簪代わりにしていた木を受け取ったら、フラットでいようと思ったことなど意識の彼方へ吹き飛ばしてしまった。あわあわ言いながら受け取り、ほんのり推しの体温を感じられるようなそうでもないような思いで大切に握った。


「大丈夫です、慣れてるのですぐできます」


 私は箒を地面に置くと両手で受け取ったばかりの簪代わりの枝で髪を纏め直す。推しが眺めていて少し手が震えた。推しに髪を纏めるところをじっと見られることがあるなんて考えたことがあっただろうか? いや、ない。


 ポニーテールにする時のように手櫛で簡単に髪を集める。ぐっと髪の毛を巻き込むように枝を挿せば、引っ掛けない限りは外れずに纏まる一本挿しの出来上がりだ。


「ふぅん。見事なものだね。お詫びに今夜、一緒に食事でもどうかな」


「食事」


 もう何も考えられなくなっていた私は聞こえた単語を繰り返す。


 私だって思い上がってはいない。食事にかこつけて推しがいよいよ私に毒を試そうとしているのだ。察した瞬間、胃が冷たく重くなった気がする。特殊設定を信用しているとは言っても毒は――怖かった。


 言葉を探す私を迷っていると取ったのか、彼は小首を傾げた。何故、と私は思う。何故、命令じゃないのだろう。何故、私に判断を委ねるのか。でも。


 どう、と推しから小首を傾げるように誘われて拒否するオタクなどいるだろうか? いるはずがない。


「喜んで」


 私の返答に満足した様子で推しは口角を上げた。原作でよく見た、悪いことを考えている時の笑顔だった。


 でも、私は既に覚悟を決めた。推しをひとりにしてはいけないと思ったから、割と無理を言って置いてもらっているのだ。その最初の段階で尻尾を巻いて逃げるなんてできない。


「料理長には言っておくから、夜、八時に食堂で」


 表面上ばかりは綺麗に微笑んで推しは言う。私は何とか返事をし、邸内へ戻る推しの後ろ姿を綺麗だと見惚れて見送った。


 傾いた日が沈みかけて暗くなってきた庭を慌てて掃く。灯りの少ない此処には本物の夜がある。ひたひたと迫る夜から逃げるように私も戻った。


 報告を受けたミリーは血相を変え、私の腕を強く掴む。


「とんでもないことですよ、エマ」


 え、と思ったことを問う間もなく、私はバスルームへぶち込まれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る