第5話  働く日


 推しに雇って欲しいと伝えてから数日経った。流石に私もおかしいと思う。頑張っているとはいえ、自分の馴染み方が凄い。


「エマー」


 ミリーの後継であるアイリスに呼ばれた。髪を纏めるのがあまり得意ではなくてブルネットのお団子の隙間からぴょんぴょんと短い髪が跳ねて飛び出していた。ミリーはそれをいつも叱るが、だってぇ、とまだ十八歳のアイリスは唇を尖らせる。


 手のかかる子は可愛いのか、ミリーは叱るものの本気ではない。身だしなみはしっかり整えるように、と言いながら歳の離れたお姉さんのようにアイリスの髪を結い直すのが常だ。アイリスはその時間を喜んでいる様子でもあった。


「さぁ、今日もしっかり働きますよ」


「はぁい」


 ミリーが声をかけ、アイリスが返事をする。私も返事をし、お掃除セットを持って決められた清掃ルートを辿った。貸与されたメイド服の長い裾を翻しながら絨毯の上を進む。お屋敷の人にはすっかりミリー直属のメイド見習いとして認識されていた。


 このフォーブズ邸の主人は私の推しであるエリオットだけれど、家族はいない。つまり彼以外は全て使用人だ。全員が彼のために働き、彼が快適な生活を送れるように影のように働く。


「立派なお屋敷すぎてお部屋の多いこと〜!」


 使い切れない部屋の方が多いけど、だからといって掃除しないわけにもいかない。手順を覚えた後は黙々と働くだけだ。


「ひと部屋掃除したら手を洗う、消毒液の後は手を洗う」


 ミリーに口酸っぱく言われ、覚えた決まりを復唱する。手間ではあるけど大切なことだから省略はしない。使用人の健康を守るために必要なことだから、私に耐性があってもミリーは繰り返すのだ。


「お疲れ様です!」


 使用人の手洗い場は行けば誰かに遭遇する。皆が手順を守っているからで、お、新入りかと私は顔と名前を覚えてもらったようだ。私の方は先輩たちのこと全然分からないけど、私と同世代の人が多い。


 充分に手を洗ったら私にはご褒美がある。エプロンのポケットに忍ばせた入れ物を開けて、特製のハンドクリームを掬った。滑らかで触り心地からして手に優しい成分が入っていますと言わんばかりのそれは、推しのお手製だ。


「何か良い香り」


 そんなに強くは香らないけれど、草原にいるような感覚になる。


「えー、あたしはちょっと苦手。薬草って感じする」


 私の独り言を聞きつけたらしい先輩が反応した。更に隣にいる別の先輩が笑う。


「なんか虫除け効果がある花を使ってるらしいよ。あんた、虫なんじゃない?」


「ちょっと、虫扱いはやめてよ」


 先輩たちはじゃれ合いながら次の仕事場へ向かって行った。ポケットから出したハンドクリームを塗りながら。


 皆に支給されるハンドクリームは、彼なりの労りなのだと思う。ミリーからではあるもののハンドクリームを賜った日の夜はあまり眠れなくて、何度も取り出しては眺めた。


「は、私も急がなきゃ」


 ハンドクリームを塗って、次の仕事場へ向かえばアイリスがひらひらと手を振った。次は彼女と同じ場所だ。


「エマは初めてだよね、アイビー」


「アイビー?」


 知らない単語に首を傾げれば、そう、とアイリスは窓を開けた。冷たい風が入り込んで私は思わず首を竦める。


「この壁にくっついてる葉っぱの名前。アイビーって言うんだって」


 私もアイリスの隣に行って窓の外を覗き込んだ。白壁を覆う緑の蔦は実はガーデニングの技術が取り入れられている。木枠が立てかけられていて、それを頼りに伸びているようだ。外目には壁を直接這っているように見えたから驚いた。


「すっごく強くて、家の中に入ってくることもあるってエリオット様が言ってた」


「エリオット様が?」


 二年先輩のアイリスは推しと直接話す機会もあったのだろう。羨ましい。


「でね、あんまり強くはないけど毒もあるの。葉っぱを触った手で目とか口とか触ったらダメなんだって」


 ぇえ……私も推しから直接教えてもらいたい……。心の声を封じて、そうなんだ、と答えた。


「今日はアイリスと一緒に、アイビーの長い蔓が壁にくっついてないか確認して、くっついてたら切る仕事!」


 アイリスは明るく簡単に言うけど、どれだけのアイビーが蔓延っているかと私は目をやった。一日で終わる量じゃない。でもまぁそんなのは百も承知だろう。何より私向きの仕事だ。


 アイビーの除去と、人の手が触れる場所の拭き掃除を毎日念入りに行うと、時間はあっという間に溶けた。それでも苦はない。掃除をして手を洗う度に推しが作ったハンドクリームを塗る権利を得られるのだから。 


「エマはいっつも早起き。ミリーみたい」


 秋が深まって寒さもどんどん厳しくなっていくある日の朝、同室のアイリスはベッドの上で欠伸を隠さず猫のように伸びた。既に身支度を整え朝食も終えた私は彼女を微笑ましく思いながら眺める。


「寝坊とか遅刻とかしちゃいけないって思ってるの」


 社会人として許されざる行為だから早起きは染み付いている。アイリスも寝坊はダメだと思うけど〜とむにゃむにゃ言いながら起き上がって着替え始めた。


「ね、エリオット様って今日もお部屋にいる予定?」


 私の質問に「エマはエリオット様のことばっかり」とアイリスはまだむにゃむにゃしながら答えた。


「ずっとお部屋で研究してる」


「だって全然お見かけしないから。出てくることあるの?」


 肝心の推しをあれ以来見ていない。この世界線では生きているのを感じられたから大きな喪失感からは解放されたのかもしれない。


 でも、だから会えなくても良いかと言うとそんなことはない。いつだって推しは見たい。


「研究に必要なお花とか葉っぱとか、お庭から採ってるから出てるよ〜」


 アイリスはそう言うけど、あまりにも遭遇率が低い。レアキャラと化している。


 推しは私で毒を試さない。これは意外だった。客人を追い返す口実に新しい毒を試したかったんだと原作では言うような人物が、致死量の毒を与えても死なない実験体を手に入れたのに。私はいつ呼び出されても良いように覚悟をしているのだけど、彼は私を雇ったことさえ忘れてしまったのではないだろうか。


「うー、ご飯行ってくる!」


 アイリスがまだ眠そうにしながらも部屋を出て行った。行ってらっしゃい、と見送って私は部屋を見回す。


 二人で使っている使用人部屋は、二人分のベッドにメイド服を仕舞うクローゼット、テーブルがひとつでスペースがなくなる広さだ。寝るための場所、という感じだけれどアイリスとのおしゃべりが私の娯楽だから充分だし、ちょっとした学生寮のようで楽しい。


 両親や妹を思い出して寂しくなる時もあるけど、今はどうか、置き去りのスマホはロックを外さずに壊してほしいと願うばかりだ。家族に二次創作を見られる恥ずかしさはそれだけで死ぬ。


「さぁ、今日もしっかり働きますよ」


「はぁい」


 ミリーの号令で私は今日もお掃除セットと練り歩く。庭の掃き掃除のこともあれば、アイビーの除去のこともあれば、邸内の拭き掃除のこともある。本当に人手不足で何でも回ってきた。


 今日は邸内の拭き掃除だ。窓側にある部屋のドアノブを拭きながらふと窓の外に視線を移した。


「推しは……いないかぁ」


 毒草庭園が見える位置だから期待した。アイリスの話を思い出して、もしかして、と何度も目をやるけど、推しの黒は見えない。


「あ……! ってなんだ、影か」


 一瞬、緑の中に黒がちらついた気がして思わず窓に駆け寄った。木の影だったことが判ってあからさまに落胆した。


 推しの毒草庭園には温室まである。窓からはその一画しか見えないし、大体が緑の葉っぱがあることしか分からない。だから黒がいればすぐ判る、と思ったのに。とんだトラップだ。


 生身の彼と同じ世界、同じ邸にいると思うと欲張りが頭をもたげた。こんなに近いのに、ひどく遠い。


「お、今度は庭師見習い君」


 窓の外に何度目か分からない視線を向けた時、少年が走ってきた。若い使用人が多いけど、彼は若いと言うより幼い。十二歳くらいの彼のことをアイリスに訊いたら、庭師の弟だと教えてくれた。


「まぁ広いもんね。ひとりじゃ大変か」


 庭園では庭師が雇われているらしい。けれど幼い少年は私同様に見習いなのだろう。あの子のお兄さんとなれば庭師の方も若いとは思うけど、まだ一度も姿を見ていなかった。


「あは、可愛い〜」


 少年が窓から眺めている私を見かけて大きく両腕を振る。私もそれに手を振り返した。少年が兄に怒られたのか慌ててまた走っていくのを微笑ましく見守ってから、私も拭き掃除を再開する。


 大広間の振り子時計がお昼を告げた後、休憩のために厨房へ向かった。


「よぉ、エマ。いつものサンドイッチ作っといたから、それ食べたらまた掃除頼むな」


 厨房では料理人が数人、朝からずっと忙しそうに働いている。特に主人の食事だけでなく使用人たちの賄いも準備してくれる料理長には頭が上がらない。腕が良いのかサンドイッチさえ美味しく、私は食事の時間が楽しみだった。


「ありがとうございます。今日も美味しそう!」


「少し多めにもらえたからな。新鮮な野菜、使ってるぜ」


「わぁ、嬉しい!」


 料理長は気さくで、使用人たちから慕われていた。四十代くらいに見える男性の料理長は夕食の下拵えを始めていた手を止めてサンドイッチを頬張る私をじっと見る。


 口からはみ出ないように片手で口を覆いながら、何ですか、と私は首を傾げて尋ねた。


「いや、お前はいっつも美味そうに食べるよなぁ。それが嬉しくてさ。エリオット様の口にも合うものが作れてると良いんだが」


「絶対大丈夫ですよ! サンドイッチさえこんなに美味しいんですもん! 料理長の腕は私が保証します!」


「お前に保証されてもなぁ」


 料理長は笑う。えー、何でですか、と私は少しむくれたけれど何でも美味しく感じる私では確かに自信にはならないのかもしれない。


 すぐさまぺろりと食べ終わってしまった私は皿を下げようと立ち上がり、料理長に制されて皿を受け取ってもらってしまった。


「料理人なんてのは、美味いって言われたいし喜んでもらう顔が見たくて作ってるところはあるんだよ。今はお前がそれをやってくれるからな、これからも頼むぜ」


「こちらこそいつも美味しいご飯ありがとうございます。これからも楽しみにしてるのでよろしくお願いしますね! ご馳走様でした!」


 私はにっこり笑うと掃除を再開するために厨房を出る。そして拭き掃除の後に庭の掃き掃除を頼まれて、冷たい風吹く外へと夕暮れに出て行ったのだった。


 落ちる陽の陰に、推しの黒を思いながら。


 温室の方で、影が揺れた気がした。

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