第7話 推しとの食事の日


「とんでもないことですよ、エマ」


 数人のメイド仲間に体をごしごし洗われ頭もわしゃわしゃ泡立てられながら私はミリーの焦った声を聞いていた。ミリーは監督するだけで私を洗いはしないものの、そわそわと落ち着かない様子だ。


「エリオット様が誰かと食事をしようだなんて! 厨房は今大慌てで準備をしています。エドワードでさえ慌てていました。ドアに体当たりする勢いで入ってきたんですから」


「そ、それは、わぷっ、すご、へぷっ」


 何とか返事をしようとするものの髪の毛の泡を洗い流されて、口に入らないように閉じなければならなかった。途切れ途切れの返事をミリーは聞いていないようで、遂には左右にうろうろ歩き出してしまう。


「あなたに着せる服を選ばなくてはなりません。でもあなた、着の身着のまま此処へ来て、下着を買う余裕もないからと給金を急遽前払いでもらっていましたよね。他の服なんて、ましてエリオット様の前に出る服なんて」


「持ってないです」


 隙を見て私は答える。実際に生活を始めようという段階になって、自分の体ひとつで此処へ来たことに気付いてしまった。恥を忍んでミリーに相談したのに、無意識だろうがメイド仲間にこんなところでバラされるなんて恥ずかしい。


「で、でも、私、いつもの支給して頂いた仕事着で充分だと思います。きっと汚してしまうから」


 嘔吐したり痙攣したりする、と推しは言っていた。解毒できるだけだから、きっとそうなるんだろうと思う。其処まで都合の良い能力ではない。


 死なないと分かっていることだけが救いだ。いっそ死んだ方がマシ、と思うような毒はあるかもしれないけれど。


「とにかく、エリオット様の前に出るに相応しい状態にはしますからね」


 メイド長の意見には従わなくてはならないので、私は大人しく抵抗せずされるがまま受け入れる。


 あんなに会いたいと思っていた推しに今日は二度も会えるというのに、氷の塊でも飲み込んだかと思うほど指先が冷たかった。


 夜の八時ギリギリに何とか支度を整えて、ミリーが満足そうに息をつく。


「許容範囲でしょう。さぁ、食堂へ」


 ミリーに連れられて私は食堂へ向かった。八時の大時計の鐘が鳴って、推しも食堂へ現れる。映画でしか見たことがないような長いテーブルを私は初めて見た。というか食堂へ足を踏み入れるのも初めてだ。推しは普段自室で食事を摂るから食堂を使うことがない。だから私が拭くべき毒も此処にはない。


 以前はお客さんを招いてパーティーをしたこともあったのかもしれない。少なくとも家族だけが食事を摂る場所として想定されていない広さの食堂は、二人だけで食事をしようとすると当然スペースが余った。


 部屋の中央に長テーブルを置き、白いクロスをかけて火を灯した燭台を二つ、設置する。花を生けた花瓶も置いてあるけれど、あれ、玄関ホールに飾っていた花じゃないのかな。


 私がシャワールームにぶち込まれている間、普段は使われない食堂を解放するために使用人たちは大変だったらしいことが窺われた。お疲れ様です。


「……」


 私は正面に座る、けれど遠い推しを盗み見た。何だって長テーブルのお誕生日席にそれぞれ向かい合って座るのか。誰かと食事を一緒にする推しなんて、私だって見たことない。


「それじゃあ、始めようか」


 食事の挨拶としてはどうなんだと思うけど、推しの一言で料理長が自らワゴンを押して食堂へ入ってきた。ミリーを始め、初日に私へお茶を出してくれたメイドが給仕を行う。ミリーやアイリスは推し専門の世話係みたいなものだから、私とは遠い。少し心細い。


 料理長が心配そうな目を私へ向けた。私は咄嗟に安心させようと思って微笑む。頬が震えているのが自分でも分かったけれど、大丈夫だ。死なない。苦しいかもしれないけど、死にはしない。


 目の前にディナーの皿が並んでいく。いつも簡単なまかないしか食べない私は、しかもそれで充分な私はこれが推しの食べている料理なのかと思って喉を鳴らした。ミリーが聞いたら怒るだろうけど、離れているからきっと大丈夫だ。


 最初のひと皿はスープで、ペインフォードらしい香草が使われていた。ハーブティーで味わうのとも違う独特の風味だ。もしもこれが毒入りなら? そう思いながら口にするけど、舌がピリつくようなこともない。緊張した体でもサラリと飲めた。


 でも正直、緊張していて何を食べたのかあまり覚えていない。ひと口ひと口が今度こそ毒を引き当てるかもしれないと思うと、胃がひっくり返りそうだった。とろけるソースや舌で充分に押しつぶせるまで柔らかく煮込まれた食材は何となく記憶にある。料理長の主人への心遣いが見える気がしたのに、喜ぶ言葉も笑顔も出せなかったと思う。


 推しが無言で食べるのに合わせるように私も同じようなペースでゆっくり食べる。遠くて分からないけれど同じ料理に見えた。


「料理は美味しかった、エマ?」


 ほとんど最後だろうと思う料理を食べ終わった推しがナフキンで口を拭きながら私に尋ねる。私の体は今のところ、何ともない。ずっと無言で声の出し方を忘れていた私は慌ててグラスの水を飲んで、はい、と答えた。


「料理長のお料理はいつも美味しいです」


 そう、と推しは悪い顔で笑んだ。来る、と私は思う。既に仕込まれていたかこれからかは分からないが、毒が来る。


 推しのこの、良心を置き去りにしたような笑い方。原作の彼が何か企む時によく見せた。


 誰かを傷つける、明確な意図を持った上で。


「最後のデザートは私が用意した。気に入ってもらえると良いんだけど」


 言葉ばかりは優しげに、けれど微塵も私を労わる様子のない声にこそ毒が含まれていそうだった。


 私を見ていた紫が一瞬伏せられる。次に推しが視線を向ければエドワードが銀のトレイを持って近づいてきた。クロッシュが被せられていて中身が判らない。


 平皿が、コト、と微かな音を立てて目の前に置かれる。最初に推しが毒で私を試したら窘めるような声を出したエドワードは今、微塵も感情を揺らさない。彼も私を“見届ける”つもりだ。


 主人の命令を忠実に守るエドワードの衣擦れだけが響く中でクロッシュが外され、私は目を疑った。木の実だ。予想外すぎて度肝を抜かれたけど、すぐにそんな生易しいものではないと気付く。


「これ……」


 お皿の上に醤油皿ほどの白い陶器が載っていた。その中に、ころんと転がる赤い実がいくつか。ぷにぷにと柔らかそうな果肉はマットな質感ながら何処か瑞々しい。マクラメアクセサリーに使うビーズのような大きさで、こんなに可愛らしいのに恐らくは――人の命を刈り取るもの。


 先ほど受けたばかりの説明を思い出す。


 ――秋に赤い実をつけるんだけど、その種子に毒がある。


「イチイの実だ。食べてくれるね」


 推しの声に顔を上げた。人によっては下衆と捉えられてもおかしくないくらい悪い顔をした推しが、楽しそうに笑んでいた。

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