第4話 毒に触れる仕事の日


 エドワードはエリオットに忠実だけれど盲目ではない。自分で判断し、動くことができる。邸内を目を閉じても歩けそうな迷いのない彼の足取りがそれを示していた。


 益になると思わせられれば推しが何を言おうと庇ってくれるだろう。でももし害と見做されれば是も非もなく放り出されるに違いない。


 そんなエドワードでさえ彼の死を、止められなかった。


 推しの処刑シーンを思い出すと呼吸が浅くなる。胸の奥の灯が消えるような感覚はもう二度と、味わいたくない。


 だから推しを死なせないためにこの屋敷で私は上手く立ち回らなくては。何処でだって、自分の要求をある程度通すために円滑な関係を築くのは必須だろう。


 心の中でそういう打算的なことを考えながら私はエドワードの後をついていく。彼は何も言わず、私をとある部屋の前に連れてきた。


 ノックの後、すぐに扉が開いた。赤毛をきちっと結い上げた女性が出てくる。歳の頃は三十代くらいに見えた。彼女はエドワードを見ると丁寧にお辞儀をして、それから不思議そうに私を見やった。


「ミリー、今日付でこの屋敷に置くことになったエマだ。屋敷の案内と、エリオット様のいつもの戯れに対する処理を頼む。それから部屋の用意も。監督も兼ねて信頼の置ける者と同室が良いだろう」


「エマです。よろしくお願いします」


 とりあえず私の世話を頼まれているらしいことを察して私は頭を下げる。何も尋ねずミリーと呼ばれた女性は分かりましたと了解の意を返した。


 エドワードは踵を返すと何処かへと去っていく。きっと彼には彼の仕事があり、新米の私につきっきりになる暇はないのだろう。


「私はミリー。この屋敷のメイド長をしています。あなた、役職は?」


 ミリーは私を緑の目でじっと見た。メイド長なら屋敷のメイドたちを統括するはずで、採用についてもそれなりに意見を尊重される立場ではないだろうか。私の存在は寝耳に水だろう。出だしから失敗していないか、これ。


「役職はまだ分かりません。けど、私、毒に耐性があるのでエリオット様のお役に立てると思ってやってきました。私にできることがあればお仕事をください」


 毒に耐性、とミリーは少なからず驚いたように表情を動かした。虚言かどうか測るような目を一瞬向けたように感じたけれど、メイド長の判断は速い。ひとまず私を一瞥するとついてくるように言い、何処かへ向かって歩き出す。屋敷内の何処を歩いているのか最早分からない私は今度は彼女の背中を追った。


 ミリーは使用人たちの忙しなく働く方へ進み、ランドリーから端切れ布を手に取った。端切れとは言ってもそれなりに綺麗で、厚手のものだ。


「毒に耐性があるとは言っても手袋をひと組、持っていた方が良いでしょう。それからバケツと、消毒液を……」


 ミリーは私に備品棚と思わしきところから手袋を取ってくれた。お礼を言って受け取り、私はミリーの後ろを金魚のフンみたいにただくっついて歩く。水を入れたバケツを持とうとしたけど百戦錬磨のメイド長の筋肉の方が圧倒的で速い。


「エリオット様のお部屋の前では無言で。私たちはエリオット様が快適に過ごせるように働く影なのですから」


「はい」


 ミリーと一緒にエリオットの部屋の前まで戻り、そっと水の入ったバケツを置いた。私は端切れを一枚取ると端っこを使ってドアノブを丁寧に乾拭きした。表面を拭ってみるけれど毒を取り除けているのかイマイチよく分からない。


 自分の顔が映るくらい綺麗なドアノブは、普段からこうやってミリーを始めとするメイドたちがそれこそ影のように働いているからに違いない。毒に触れてもある程度は大丈夫なように白い手袋をして、変色すればすぐに脱いで手を洗うようにしているのだろう。


 私が乾拭きしたドアノブをミリーが水拭きした。布を変えては何度も何度も繰り返して、最後にミリーが消毒液で静かに、けれどぐっと拭う。ドアノブが誇らしげに見えるほどピカピカになった。


 目配せを受けて私は頷くとそっと立ち上がる。部屋の中から音はしない。いるのかいないのかも分からないけれど、そっと足音を忍ばせて私たちは部屋の前から去った。


「掃除の後は必ず手を洗うこと。毒に耐性があるとはいっても、清潔であることは第一です。そしてエリオット様の近辺を掃除した布は全て、燃やします」


「燃や……?」


 聞こえてきた物騒な単語に私は驚いた。そんな描写、原作にあっただろうか。でも推しの背負っているものを考えると妥当かもしれない。毒を拭った布は再利用できない。捨てるにしてもきっと支障が出る。だから燃やしてしまう。


 燃やす煙にも毒が含まれるかもしれないから近づきすぎないこと、と私は言い含められた。


「ひゃぁ、寒い」


 裏庭に出れば冷たい風に体を震わせた。ミリーは寒さなど感じていないように進む。目立たない場所に金属の箱が置かれていて、中は黒く煤けていた。きっと何度もこの箱の中で毒を拭いた布を燃やしたのだろう。


 私たちは使った端切れを放り込む。ミリーがマッチを取り出して、シュッとひとつ箱の側面で擦った。ぽっと灯った炎は箱の中に落ちていき、端切れを含んでよく燃える。少し距離を取って立ち昇る煙を見ている私にミリーがバケツの水を準備しながら言った。


「エマ、と言いましたね。エリオット様のお世話は故あって私と、万が一に備えて私の後継が担当しています。あなたにもし抵抗がなければ、まずは近辺のお掃除から、一緒に手伝ってもらいたいのですけれど」


「勿論です! 私にできることなら何だって!」


 首が取れるのではと自分でも思うほどブンブンと頷いて私はミリーを見上げた。背の高いミリーは緑の目を細めて笑う。一本の後れ毛も許さないとばかりに結い上げた髪の印象が強かったけれど、そうやって笑うととっつきにくさは消え去った。


「これは危険な仕事です。エリオット様の体質を知っていてそう言ってくれていますか? あの方は、ご自身で毒を摂取するためか、あの方自身も毒そのものとなっているんですよ」


「……聞いたことがあります。それでも、です。いえ、だからこそ、でしょうか」


 原作で知っているけれど、そうは言えないからそれらしいことを言いながら頷く。結局本当に推しが毒そのものなのかは言及がなかった。でも彼自身はそう思って過ごしているし、周りへ被害を出さないための手袋でもあるはずだ。


 ふと緑の視線を感じて目を上げる。ミリーの目が私を見つめていた。


「――あなたも、毒を摂るの?」


 ミリーが尋ねる。まるで天気の話みたいな口調で、私は一瞬何を訊かれているのか分からなかった。何度も頭の中で言葉を繰り返してやっと理解する。言葉の裏に滲む、痛みを。だからどんな表情をして良いか分からないまま、いいえ、と答えた。


「私のそれは、贈り物、なんです。エリオット様とはきっと随分と違うと思います。私は毒を体内で時間はかかっても解毒することができるだけで、私自身には何も。でも心配だと思うので私には近づかなくて大丈夫です」


「そういうことではありません。でも、ええ、気にする者はいるでしょうから、私からもそれとなく伝えましょう」


 新人の私に気を回してくれる彼女の強さが、何だか眩しかった。私の胸の内など知らないミリーが続ける。


「この屋敷は慢性的な人手不足ですから、仕事は沢山あります」


「わぁ、頑張って覚えますね」


 私がそう言うとミリーは少し驚いた表情を浮かべて、それから小さく声をあげて笑った。


 その笑みで、胸がじんわりと温かくなった。

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