第2話  自分を売り込んだ日


「伯爵って……黒伯爵様のお屋敷かい?」


 おじさんは怪訝そうな声で返した。やめた方が良いんじゃないのか、と言いた気だ。


「黒伯爵様と言えば、大きな声では言えないが毒薬を作るとか。知り合いが毒草を納めたことがあるんだ」


 心配してくれるおじさんに、私はにっこり微笑む。黒伯爵もといペインフォード伯爵、推しのエリオットが領民に慕われるのはヒロインと関わった後だ。今の時点ではまだ、毒の人と誤解されている。


「良いんです。私、きっと黒伯爵様のお役に立てるから」


 原作クイーンズエッグ第一話が始まるよりも前。エリオットが誰のことも信用していない頃。まずは彼の近くにどんな立場でも良いから転がり込む必要がある。 


「何かあったらすぐ逃げるんだよ」


「ありがとうございます」


 私の笑顔を見たおじさんは頬を緩めた。荷馬車はお屋敷の近くまで向かってくれるようだ。


「良い薬があるよ!」


 お店からの声かけに私は目を丸くした。手綱を握りながらおじさんが笑う。


「そのアザミを卸したのはうちだよ!」


 おじさんの返答にお店のおばさんは木枯らしも吹き飛びそうなほど豪快に笑っていた。


 意外に活気があって声をかけられる度に目移りしてしまう。あちこちに看板を出すパブにおじさんが目を向けていて、私を優先してくれることに内心で感謝した。


「わ、此処、あのコマと一緒? え、路地裏とか凄い入り組んでそう。迷路?」


 荷馬車の後ろでそわそわと原作の記憶と繋ぎ合わせて内心はしゃいでしまった。良い大人でも、原作のカットが出てきたら喜んでしまうのがオタクのサガだろう。


 街には息吹が感じられた。甘くて、でも少しだけ苦くて。軒先のドライフラワー、店棚の茶色の薬瓶、パブから漏れる美味しそうな料理の匂い。確かに人が生きて、日々を営んでいる。


「私は温かさを感じるよ、エリオット」


 ガラガラと進みながら街の空気に触れる。孤独な彼を育んだ場所。こんなに温かいのに、彼は誰も信じない。


 どうか早くこの手が届きますようにと願う。この温かさが伝わるように。


「あの兄弟、まだ通ってるのか」


「でも伯爵の温室はなぁ……」


 道端の噂話が耳に入ってきた。そんなの書いてない、と思わず耳をそばだてたけど、風にさらわれるように、残りの言葉は聞こえなかった。


「兄弟……?」


 エリオットのお屋敷にある温室では珍しい薬草を栽培している。彼による繊細な調合は王都の女王が重用するほどなのに、街の人には“毒の人”として認識されている。其処に通う兄弟がいる?


 考えているうちにお屋敷の前に着いていた。お互いに安全を願う挨拶の後おじさんは去っていく。私は高鳴る心臓を抑えるため、ひとつ深呼吸をした。


 馬車のおじさんが予定外に話しかけてきたり、知らない噂話が聞こえてきたり。私が書いたはずなのに知らないことばかりだけど、立ち止まってはいられない。


「頑張れ恵麻!」


 気合いを入れて瀟洒しょうしゃな鉄門扉に手を伸ばした。


 立派なお屋敷は壁面を蔦が這い、覆ってしまっている。白い壁は夏の日なら緑の蔦とコントラストがそれでも美しいのだろうに、冬が迫る曇天の下だとひどく陰鬱だ。刈れば良いのに、と思うものの植物を相手にする彼にそれは無理か、と思い直す。


「うわぁ、緊張する……」


 荷物ひとつ持たない私は扉の前に立った。心拍数が今までにないくらい跳ねている自信がある。


 だからまた、深呼吸。大丈夫、と言い聞かせて。


 震える手で冷たい金属のドアノッカーを掴んで叩いた。角のある馬を模したノッカーは非常に掴みづらい。誰がこんなのつけましょうと言ったのか。来客を追い返す意図があるとしか思えなかった。


 数回叩けば中から返答があった。重たい錠が回り、ぎぃ、と古めかしい音を立てて扉が開く。執事のエドワードの姿を見て何となく感動した。自分で配置したとはいえ、既存のキャラが出たら嬉しい。


「どちらさまでしょうか」


「あ、あの、エリオット様に私を雇って欲しくて来ました!」


「はて。今、メイドの求人はなかったと記憶してますが」


 エドワードはエリオットの父親が領主だった頃からこのお屋敷に仕えている大ベテランだ。モノクルがきらりと光って格好良い、壮年のイケオジである。


 見惚れている私とは裏腹に、エドワードは口元の整えられた髭を白い手袋をした指先でいじりながら、私を頭の天辺から足の爪先まで眺める。品定めするような視線は当然と言えた。


「メイドじゃないんです。あの、エリオット様はお薬の調合がお得意ですよね。でも、初めて使うお薬とか、初めて触る薬草とか、おありなんじゃないですか? 私、毒に耐性があるんです。きっとお役に立てると思って、遠路はるばるペインフォードの奥地からやってきました」


 こんな感じのセリフだったよなと思い出しながら紡ぐ。


 特殊設定そのいち。まずは彼に、何でも良いから他者への関心を向けてほしい。そう願って分身に盛り込んだ。


 エドワードの表情は動かない。


「名前もないような小さな村でしたけど、私は其処で同じような役割を担っていました。ただ、冬の準備が間に合わなくて、村人は散り散りになりました。私は行く宛がありません。もし良ければ雇って頂けると本当にありがたいんですが」


 分身には天涯孤独になってもらった。原作の世界観にも馴染むし、伯爵家を頼って訪れる理由としても都合が良い。


 まぁ現実の私は両親も妹も健在だ。二次創作では私を憐れんだ女神様が三つの特殊設定おくりものと共にこの世界へ送ったことになっている。


 あれ、大丈夫だよね? 女神様どころか原作にも創作神にも見放されたような気がするけど、贈り物、持ってきてるよね?


「ふむ」


 エドワードはモノクルの奥で目を細めた。原作の彼はエリオットを心の底から支えたいと思っているし、エリオットが産まれた時から誰より近くで見守っている。この屋敷で一番の理解者と言っても良い。


 そんな彼でさえ、エリオットを救えなかった。


 エリオットが一番である彼にしてみれば、怪しさ満点の見知らぬ娘など近づけたくないはずだ。けれどその体質が本当なら、主人の負担を軽減できるのも確かだ。だからエドワードは私を利用しようと考えるだろう。


 私の解釈だとエドワードはそういう人物だ。だから私はそれを見越し、不利にならない条件をチラつかせて自分の望みを叶えようとする。


 エドワードは口を開いた。


「すべての決定権はエリオット様にある。虚言ならば相応の対処をするだけですからな。お目通りが叶うかはエリオット様次第だが、まぁ、良いでしょう。どうぞ」


「ありがとうございます」


 私はにっこり笑って小さく会釈した。大丈夫、シナリオ通り。


 お互いを利用しながら私はひとまず屋敷へ足を踏み入れた。真っ赤な絨毯は足音を吸収して、ふかふかだ。自室のラグマットより推しのお屋敷で敷いている玄関マットみたいなものの方が高級なのは、流石伯爵様、というところなのだろう。


 まずは応接室へ通された。いきなり主人の部屋には連れて行かれるわけもない。私も重々承知している。


「此処でお待ちを」


 素直に頷き、緑を基調としたソファに腰掛ける。客人を長く居座らせるつもりがないのか、ソファはお尻がすぐ痛くなる硬さだった。


 アポなしで突撃した正体不明の娘にも関わらず、伯爵家メイドさんが紅茶を用意してくれる。白い手袋をした手から温かいカップを受け取った。私の知る紅茶とは香りが違う。この地域のハーブが使われている裏設定を思い出して苦笑した。


 毒入り、という可能性が一瞬だけよぎって、湯気ですら毒の気配に思えてしまった。体の奥が冷えた気がする。推しの毒の人という評価は誤解だ――誤解だけど、それを利用しないと言い切れるだろうか。でも私は贈り物を信用している。それに人ひとりの体の処理は面倒に違いない。だから躊躇いなく飲んだ。


「美味しい。え、なに、淹れ方? 水? やっぱり茶葉?」


 仄かな甘みと爽やかさに拍子抜けして、素直な感想がもれた。と同時に飲まず食わずだったことにやっと気付く。ぐびぐびいけるけど何となく飲み干すのも気が引けたからチビチビ飲んだ。


 ……部屋の調度品を三回は眺め回し終わった頃、カップの把手を無意識に叩いている指先に気付く。部屋に生唾を飲み込む音が響きそうだった。これ、身の程を弁えて退室すべき流れかな、と不安になる。いや、大丈夫。信じて待って良い。


 いよいよハーブティーを飲み終わる頃、エドワードが現れたから私は思わず立ち上がった。


「お待たせしました。エリオット様の許可が出ましたので、ひとまずは面談、と参りましょう」


 就職面接だ、と私は襟を正す思いで頷くと、再びエドワードの後に続いた。

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