記念日

角山 亜衣(かどやま あい)

なんの?

 今日も定時上がり。


『今から帰るね』

 妻にメッセージを送ると、秒で既読が付いて、

 定番のハートマーク多めのスタンプが返ってきた。


 都心の会社から、電車に揺られること小一時間。

 若干混雑してはいるが、朝のラッシュほどではない。


 もうすぐ愛する妻が待つマイホームだ。

 あと二ヵ月ほどで、新婚一年目を迎える。


 初めての結婚記念日は何をして祝おうか。

 そろそろプランを練らなくては。



「ただいまー」


 玄関を開けた瞬間、甘い匂いがした。


「おかえりなさ~い♡」


 リビングへ続くドアを開けて、妻が出迎えてくれた。

 エプロン姿が可愛らしい。とても似合っている。


「あっくん、早く早くっ」


 妻は小走りするようなリアクションで、俺の手を引いてリビングへと誘う。


 テーブルの上にはケーキが置かれていた。

 ホールって言うのだろうか、円いケーキだ。

 ろうそくまで立っている。


「え?」


 思考が止まった。


 ケーキ。

 ろうそく。

 そして、妻の笑顔。


「あっくん、おめでとう~♡」


 妻が言う。


 ヤバい。


 何の「おめでとう」だ?

 今日って、何かの記念日だったか?


 結婚記念日までは、まだ二ヵ月あるはずだ。


 ケーキには、チョコペンで書いたであろう文字がデコレーションされている。


 【♥あっくん♥おめでとう♥】


 祝われているのは、俺だ。

 二人の記念日ではなく、俺の記念日だ。何かしらの。


 思い出せ……思い出せ……。

 いや、その前に、何か言わなきゃだ。

 妻は俺の顔をじっと見つめて、俺の言葉を待っている。


「あ、ああ。ありがっとう」


 声が一瞬、裏返りそうになるのを必死で抑える。


 妻は首を少し傾げた。


「なぁに? その間」


 妻は台所からナイフを持ち出した。


 ヤバいヤバい。

 夫婦喧嘩の原因の上位に『記念日を忘れる』があったはずだ。

 最悪、離婚にまで発展するケースもあるとか、ないとか……。


「い、いや~、こんなお祝いしてもらうのって、慣れてなくってさ。

 びっくりしたなぁ~もう~」


「ふふふ♡ あっくんらしいね。さ、座って座って!」


 ナイフはケーキの横に、そっと置かれた。

 ケーキを切る用のナイフだったらしい。


「あ、そ、その前に、ほら、着替えてくるよ」


 妻は満足そうに頬杖をついて、ケーキを眺めている。


 もしかしてだけど、手作りケーキ、だったりするのか!?


 ヤバいヤバいヤバい。

 思い出さなきゃ。


 ひとまず、クローゼットのある寝室へ移動する。


 ケーキを焼いてまでお祝いする日といえば……

 付き合った日とか、初デート記念日?

 いや、それならだ。

 今日はらしいから、違う。


 俺の誕生日──は、先々月だった。


 まさか、免許を取得した日とか?

 ……念のため免許証を確認するが、全然違う。


『あっくん、まだ~?』


「今行くよー」


 こうなったら、うまく探りを入れて聞き出すしかない。


 テーブルに着く。


 チキンのから揚げ、パスタ、サラダ。

 安物だがシャンパンまで用意されている。


「いやー、お待たせお待たせ。そうかー、もうこんな日だったかー」


「ふふふ♡ あっくん、忘れてたでしょ」


「あははっ、いやー、一年も前のことだからぁ」


「え? 一年?」


 え? 違うのか!?

 記念日を祝うのって、一年ごとじゃないのか?


「あっくん、もしかしてだけど……忘れちゃってる?」


「いっ、いいやあ~? わ、忘れるもんか。俺のことなんだし。あれだろ~?」


 ピンポーン♪


 チャイムが鳴った。

 妻が応対している。


 その隙に、壁に貼ってあるカレンダーに目を走らせる。


 今日の日付に赤い丸が付いている!

 しかし、何の日かは書いてない! 残念!


 先月の同じ日にも赤い丸が付いている。

 つまり、先月の今日、俺が何かやったんだ。

 お祝いされるようなことを。


 なんだ?


 出世なんかしてない。

 ギャンブルにも手は出してないし。

 一緒に見ていたテレビのクイズ番組で、俺が全問正解したとか!?

 ……そんな番組、見てない。


 そうだ、スマホのメッセージを見れば何かわかるかも!?


「お待たせ~。お隣さんだった。ご実家からお野菜いっぱい届いたから、お裾分けですって♪」


 テーブルに戻った妻は、鼻歌を歌いながらシャンパンを開けた。


「さ、乾杯しましょ?」


「あ、ああ。えっと、何に、乾杯しようか」


「もう~、に決まってるでしょ?」


 チン☆


 そのあとは、幸いにして、何のお祝いなのかに触れることなく、

 二人だけの何かの記念日パーティは進行していった。


 ケーキ入刀時がイチバンの山場だと思ったが、どうにかしてやり過ごすことができた。


 そうして、何度も心臓が止まりそうになった記念日をやり過ごすことができた。




 翌日──


 今日も定時上がり。


 スマホに残されていたメッセージなどを先々月までさかのぼったが、

 結局、昨日が何の記念日だったのかはわからずじまいだ。


『今から帰るね』

 妻にメッセージを送る。

 しかし一向に既読が付かない。


 やはり、昨夜、記念日を忘れていることに気付かれたのだろうか。

 怒っているのかもしれない。



「……ただいまー」


 恐る恐る玄関を開けると、真っ暗だった。

 妻の靴も見当たらない。


 まさか……


 家出? それとも、実は誰かと不倫してたとか?

 お祝いとかでラブラブな雰囲気を演出して、油断させておいてからの──

 いや、妻に限って、そんなことは……


「弘美!」


 靴を脱ぎ散らかして、リビングへの扉を開いた。



 パン! パン! パパン☆



 !?



 部屋の明かりが灯されると、リビングには隣近所の方々も居て、

 手にはクラッカーを持っている。


 そして押し寄せる、拍手の波。


「「おめでとうー!!」」



 え……なんの?



<了>

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