ハルポン4、 オリビアさん、雨が降って来たんですけど!

 

 ……しまった。

 避難する場所を間違えた。


 突然のことだった。

 経堂にあるカラオケ店に向かっていたところ、天候急変を告げる稲光と雷鳴が轟いた。その一分もしないうちに、雨が降り出した。


 とりあえず公園のクヌギの木の下に避難したが、横殴りの雨のため、ほとんどしのげない。


 幸い、嵐のような雨は十分ほどで通り過ぎた。


 でも、俺とオリビアさんは、服を着たままシャワーでも浴びたように、全身ずぶ濡れになった。


「いや~、散々な目にあったね」

「ほんとそう」


「折り畳み傘持ってないなんて、市川君うかつ」

「オリビアさんもじゃん」


「……そうなんだけど。ねぇ、市川君」

「何?」


「どうして目線そらすの?」

「……その、だって」


「なに? わかんないよ」

「……透けてます」


「え? ……わぁ、見ないで!」

「はい、見ません!」


 ……ちょっとだけ見てしまった。

 ブラウス越しに浮かび上がった緑のブラを。


「市川君、見たものは全部忘れて!」

「はい、忘れます!」


 ――と言っても、脳内にはしっかり保存されたけど。


「このままだと風邪ひいちゃう。ウチに行ってシャワー浴びよう」

「えぇ!?」


「なんか問題ある?」

「いや、いきなり家に行って大丈夫なの?」


「うん。パパもママも仕事でいないだろうし、クロ……妹も部活で遅くなるだろうし」


 つまり二人きり……。


 いいの?

 家に行って?


 俺たち、話すようになってまだ三日しか経ってない。

 付き合ってるカップルですら、お宅訪問は早くても一カ月以上経ってからでは?


 いや、そもそも俺たち付き合ってないけど……。


「くちゅん……ううっ、さむっ」


 オリビアさんがかわいいくしゃみをする。


 ……これ以上は放っておけない。


 こうして俺は、なし崩し的にオリビアさんの家に行くことになった。


 ◇


 オリビアさんの家までは、そこから歩いて五分ほどだった。


 雨は止んだものの、服が肌に張り付いて気持ち悪い。

 歩くたびに靴の中で水がぐちゅっと鳴る。


「ごめんね、市川君。こんなことになるなんて思わなかった」

「いや、オリビアさんのせいじゃないし」


「次の交差点を右」

「り、了解」


 オリビアさんの透けたブラウスの中身が通行人に見えないように、俺は自然と背中で隠すように歩く。


 ぴったり身体をくっつけているわけではないけど、吐息や、近づきすぎてたまに当たる柔らかい何かの感触に、俺の決心は何度も揺らぎそうになる。


 住宅街に入り、少し歩くと、白い外壁の新しいマンションが見えてきた。


「ここだよ。どうぞ」

「お、おじゃまします」


 玄関に入った瞬間、ふわっといい匂いがした。

 柔軟剤なのか、家そのものの香りなのか……とにかく落ち着く匂いだ。


「タオル持ってくるね。市川君はそこで待ってて」

「う、うん」


 オリビアさんが部屋の奥に駆けていく。

 その背中を見送ったあと、俺は玄関で固まった。

 

 ……どうしよう。

 これ、完全に個別ルートイベントじゃん。

 ゲームならCG回収が入るやつだ。


 いや、落ち着け。

 俺はただ雨に濡れただけ。

 シャワーを借りるだけ。

 

 健全。

 超健全。

 心頭滅却すれば火もまた涼し……って言うけど、無理。


 火もまた涼しどころか顔が焼けるように熱い。


「市川君、これ使って。あと、シャワー浴びてきていいよ。お風呂場こっち」


 タオルを二枚抱えたオリビアさんが戻ってきた。

 

 濡れたブラウスはさっきより乾いてきているけど、まだ薄く肌が透けて見える。

 見ないようにしようとして、逆に意識してしまう。


「えっと……俺だけ先に浴びていいの?」

「うん。わたしは後でいいから。市川君、寒そうだし」


 優しい。

 優しすぎる。

 こんなの、惚れるなって方が無理だ。


「じゃ、じゃあ……お借りします」

「うん。シャンプーとか好きに使っていいからね」


 案内された脱衣所に入り、扉を閉める。

 その瞬間、どっと疲れが出た。


 ……やばい。

 心臓がずっと忙しい。


 服を脱ぎながら、俺は思った。


 ――これ、絶対に何か起きるフラグだろ。


 でも、そんな期待を抱いた自分をすぐに殴りたくなる。

 オリビアさんはただの善意で言ってくれただけだ。

 俺みたいな陰キャに、そんな都合のいいイベントが起きるわけがない。


 シャワーを浴びていると、外から控えめなノックが聞こえた。


「市川君、着替え置いておくね。パパのだけど、サイズは多分大丈夫だと思う」

「ありがとう……!」


 なんだこの……距離感。

 近いのに、遠い。

 遠いのに、優しい。


 シャワーを浴び終え、借りた服に袖を通す。

 サイズはぴったりではなかった……さすが元メジャーリーガー。

 でかい。


 脱衣所の扉を開けると、廊下でオリビアさんが待っていた。


「どう? 少しは温まった?」

「うん、ありがとう」


「あ、パパの部屋着、大きいかぁ……やっぱり私のジャージの方がいい?」

「……いや、大丈夫」


 身長的にはオリビアさんのジャージの方が絶対に合うけど、そんなものを装備したら今度こそなけなしの良心が決壊しそうだ。


「そう? じゃあ、次わたし浴びてくるね。市川君はリビングで待ってて」

「わかった」


 そう言ってオリビアさんは脱衣所へ向かう。

 その背中を見送りながら、俺は思った。


  ――この状況、心臓に悪い。


 そして、オリビアさんがシャワーを浴びている間、俺はリビングでひとり、落ち着かない時間を過ごすことになる。


 大きな溜息をつくと、スマホを操作してソシャゲの毎日無料ガチャを回す。


 たまにはSSRでも出ろ、と祈ったけど、そんな運があるなら今こんなに事態になってない。


 だって、リアルで俺はオリビアさんという特大SSRを引いてしまったのだから。


 ……この後、さらに際どい事件が起きることを、俺はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る